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    Column

    イギリスは、
    掘るほど面白い

    グリニッジの本初子午線が102メートルずれている理由、ウィンブルドンが芝ローラーの修理代集めで始まった話。イギリスの歴史・制度・習慣を、1本に1テーマずつ。
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    98本
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    11本
    最終更新
    11月5日

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    全 4 回

    ロンドン地下鉄物語

    1. 1ロンドン地下鉄は1863年、蒸気機関車で開業した——「煙を出さない機関車」は試運転で失敗していた 第1回
    2. 21890年、ロンドンの地下鉄は電気で走り始めた——グレートヘッドの「盾」と、「詰め物をした独房」と呼ばれた客車 第2回
    3. 3ロンドン地下鉄を買い集めた米国人ヤーキーズ——議会は「たこの足」と呼び、彼は3路線の開業を見ずに死んだ 第3回
    4. ほか 1 回
    全 4 回

    大英博物館物語

    1. 1大英博物館は1753年、宝くじで生まれた——国王は「国庫に2万ポンドもない」と断り、券は横流しされた 第1回
    2. 2ロゼッタ・ストーンは1801年、降伏したフランス軍から取り上げられた——側面には今も「英国陸軍が捕獲」の文字 第2回
    3. 3エルギン・マーブルは1816年、議会が3万5000ポンドで買った——伯爵は倍以上を使い、借金を残して死んだ 第3回
    4. ほか 1 回
    全 3 回

    ヴィヴィアン・ウェストウッド物語

    1. 1ヴィヴィアン・ウェストウッドは小学校の教師だった——キングス・ロード430番地が9年で5回改名した話 第1回
    2. 2ヴィヴィアン・ウェストウッドはコルセットを掘り起こした——フェミニズムが最も憎んだ服を、なぜ彼女は復活させたか 第2回
    3. 3ヴィヴィアン・ウェストウッドは白い戦車で首相の家に来た——宮殿前のスカートから、クラパムの最期まで 第3回

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    98 本を公開中 ・ 1–12 本目を表示

    NHS物語 第3回
    王室・制度歴史・事件

    NHSの無料は3年で揺らいだ——1951年、入れ歯と眼鏡の有料化に生みの親ベヴァンは大臣を辞めた 第3回

    始まったばかりのNHSには眼鏡と入れ歯を求める人が押し寄せ、2年半で1700万組の眼鏡が作られた。1951年4月、朝鮮戦争の再軍備に追われる財務大臣は、入れ歯と眼鏡の代金のおよそ半分を患者に払わせると決める。生みの親のベヴァンは議会で「来年は上の入れ歯で踏みとどまるのか」と問い、大臣の座を降りた。

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    NHS物語 第2回
    歴史・事件王室・制度

    NHSは1948年7月5日に始まった——前夜、保健大臣ベヴァンは保守党を「害虫以下」と呼んだ 第2回

    1948年7月5日、イギリスで国民保健サービス(NHS)が始まった。それまでの2年間、保健大臣ベヴァンは医師会と正面からぶつかり、専門医には病院で有料の患者を診る道を残して反対を和らげた。開始の前夜、彼は演説で保守党を「害虫以下」と呼び、翌朝、マンチェスター近郊の病院で鍵を受け取った。

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    NHS物語 第1回
    歴史・事件王室・制度

    NHSの原点は1942年のベヴァリッジ報告——役所の分厚い報告書を求めて、ロンドンに行列ができた 第1回

    イギリスの国民保健サービス(NHS)は1948年に始まった。その設計図とされるのが、戦争のさなかの1942年12月1日に出た政府の報告書、通称ベヴァリッジ報告である。300ページの役所の文書を買い求める人が政府刊行物の販売所に列をつくり、要約版と合わせて1年あまりで60万部を超えた。それまでのイギリスでは、医者にかかれるかどうかは、お金と運しだいだった。

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    歴史・事件ロンドンの街

    ビッグベンの鐘は1859年、鳴り始めて2か月で割れた——「ベン」の名を継いだ2代目は、ひびのまま今も鳴る

    ロンドンの国会議事堂の時計塔で鳴るビッグベンは、実は2代目の鐘だ。初代は1857年の試し打ちで割れ、作り直した2代目も1859年、鳴り始めて2か月ほどでひびが入った。設計者と鋳造所は「誰が割ったか」を法廷で争い、議会は4年近く鐘を黙らせたまま議論を続けた。いま聞こえる音は、1863年に鐘を4分の1回して打つ場所を変えただけの、ひびの入った鐘の音である。

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    ロンドンの街人物

    マウストラップ(ねずみとり)は1952年から続く——作者は「8か月」と読み、上演権を9歳の孫に贈った

    ロンドンのセント・マーティンズ劇場で、アガサ・クリスティの推理劇『マウストラップ(ねずみとり)』は1952年から休まず続き、上演は3万回を超えた。始まりは王太后の80歳の誕生日に書かれた30分のラジオ劇で、その筋の芯には1945年に英国を揺らした里子の死がある。作者が「8か月」と読んだ劇が、なぜ映画にもならず、結末も明かされないまま70年以上続いているのかをたどる。

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    暮らし・技術歴史・事件

    アールグレイの由来、見つかっている最初の記録は1884年の新聞広告——グレイ伯爵の死から39年後

    紅茶のアールグレイは、英国の首相だったグレイ伯爵が外交上の贈り物として受け取った茶を再現したもの——老舗のトワイニングも、英国政府の歴代首相の紹介ページも、そう伝えている。ところが古い新聞広告をさかのぼると、「グレイ伯爵の調合茶」という名前が初めて現れるのは1884年、伯爵が亡くなって39年後のことだった。それより前、ベルガモットの香りは安い茶を高級品に見せかける手口として新聞に載っていた。

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    ロンドン地下鉄物語 第4回
    歴史・事件ロンドンの街

    1943年、ベスナル・グリーン駅の階段で173人が死んだ——政府は報告書を伏せ、駅名も明かさなかった 第4回

    第二次大戦中のロンドンで、地下鉄の駅は防空壕になった。政府ははじめ反対し、警察が人々を追い出そうとしたが、市民は切符を買ってホームに居座った。1943年3月、まだ開業前のベスナル・グリーン駅の入口の階段で、避難しようとした人々が折り重なって倒れ、173人が死んだ。政府は駅の名を伏せ、調査報告書を2年近く公表しなかった。

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    ロンドン地下鉄物語 第3回
    人物歴史・事件

    ロンドン地下鉄を買い集めた米国人ヤーキーズ——議会は「たこの足」と呼び、彼は3路線の開業を見ずに死んだ 第3回

    20世紀の初め、ロンドンには許可だけ取って掘られない地下鉄の計画がいくつも眠っていた。それを買い集めて一気に掘ったのは、横領で服役した過去をもつ米国の投資家チャールズ・ヤーキーズだった。議会で「たこの足」と呼ばれた彼は、自分の3路線の開業を見ずに死ぬ。残された赤字の会社を立て直したのは、駅名の文字と赤い丸の標識、そして美しいポスターで地下鉄の「顔」をつくった、ひとりの事務屋フランク・ピックだった。

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    ロンドン地下鉄物語 第2回
    暮らし・技術歴史・事件

    1890年、ロンドンの地下鉄は電気で走り始めた——グレートヘッドの「盾」と、「詰め物をした独房」と呼ばれた客車 第2回

    ロンドンの地下鉄が「チューブ(管)」と呼ばれるのは、粘土層の奥深くに鉄の輪をつないだ丸いトンネルを掘ったからだ。その掘り方を確立したのは、20代で川底のトンネルを掘った技師グレートヘッドだった。1890年、世界初の深い地下を走る電気鉄道が開業する。もとはケーブルで引く計画で、窓の小さな客車は「詰め物をした独房」とあだ名された。

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    ロンドン地下鉄物語 第1回
    歴史・事件暮らし・技術

    ロンドン地下鉄は1863年、蒸気機関車で開業した——「煙を出さない機関車」は試運転で失敗していた 第1回

    世界で最初の地下鉄は、電車ではなく蒸気機関車が石炭を焚いて走るトンネルだった。1863年1月、ロンドンのメトロポリタン鉄道は初日に3万人を超える客を運んだが、言い出しっぺの市の法務官は開業を見ずに世を去っていた。技師が宴席で語った「煙を出さない機関車」は試運転で失敗し、煙の充満するトンネルは、それから40年以上も議会で問題にされ続けた。

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    歴史・事件暮らし・技術

    イギリスの左側通行、記録に残る始まりは1722年のロンドン橋——1960年代、政府は右側への切り替えを本気で調べた

    イギリスはなぜ左側通行なのか。よく聞く「騎士が剣を抜くため」という説には、裏付けになる文書がない。記録で追えるのは、1722年にロンドン橋の渋滞に手を焼いた市の命令と、1835年の法律の「左、すなわちニアサイド」という一句だ。そして1960年代、英国政府は右側通行への切り替えにいくらかかるかを、議会で何度も答弁していた。

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    王室・制度ロンドンの街

    首相官邸の猫ラリーより前から、英国政府は猫に手当を払っていた——1929年、財務省が認めた「1日1ペニー」

    首相官邸の猫ラリーが「内閣府ネズミ捕り長」の肩書きを公式に得たのは2011年のこと。だが英国の国立公文書館には、それより80年以上前から、政府が猫を職員のように扱ってきた記録が残っている。手当の額、給与の等級、「飢え死にしかねない手当だ」と責められた役所の反論まで、ロンドンの官庁街で働いた猫たちの勤務記録をたどる。

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