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    2026年10月21日文ジャスト・ロンドン編集部参考資料 3件

    王室・制度ロンドンの街暮らし・技術

    首相官邸の猫ラリーより前から、英国政府は猫に手当を払っていた——1929年、財務省が認めた「1日1ペニー」

    首相官邸の猫ラリーが「内閣府ネズミ捕り長」の肩書きを公式に得たのは2011年のこと。だが英国の国立公文書館には、それより80年以上前から、政府が猫を職員のように扱ってきた記録が残っている。手当の額、給与の等級、「飢え死にしかねない手当だ」と責められた役所の反論まで、ロンドンの官庁街で働いた猫たちの勤務記録をたどる。

    ロンドンの官庁街ホワイトホールでは、猫は飼われているのではなく、勤めている。少なくとも役所の書類の上では、長くそうだった。

    「ネズミ捕り長」が公式の肩書きになったのは2011年

    官邸前の中継に映った1匹のネズミ

    2011年1月、首相官邸のあるダウニング街10番地の前から伝えるテレビのニュースに、大きなネズミが映り込んだ。それも二度である。放送局には視聴者からのメールや書き込みが相次いだが、1月24日、首相の報道官は、ネズミ対策に猫を入れる「予定はない」と答えている。

    その3週間後の2月15日、官邸に1匹のトラ猫がやってきた。ロンドン南部バタシーの犬猫保護施設で引き取り手を待っていた、推定4歳の元野良猫である。名前はラリー。路上で自力で生きてきた経歴がこの仕事に向いている、と官邸は説明した。報道官が伝えた最初の勤務ぶりは「ほとんど寝ています。落ち着いた、おおらかな性格のようです」。餌代は税金ではなく官邸の職員が出す、とも付け加えた。

    英国政府の公式サイトは、ラリーを「官邸で初めて、ネズミ捕り長の肩書きを公式に与えられた猫」と紹介している。正式には「内閣府ネズミ捕り長」。職務として挙げられているのは、来客の出迎え、警備体制の点検、そして骨董の家具が昼寝に向いているかどうかの確認である。肝心のネズミについては「作戦を立てている段階」とある。

    ネズミ捕り長という呼び名そのものは、ラリーより前からあった。1997年5月の新聞にはすでに、かつての官邸猫ハンフリーが官邸の外ではそう呼ばれている、と書かれている。ラリーが初めて手にしたのは、肩書きそのものではなく、それが公式だというお墨付きだった。

    2026年7月、推定19歳になったラリーは、7人目の首相を官邸に迎えた。在任中に6人の首相が去ったことになる。

    だが、英国政府が猫をどう「雇って」きたかを本当に教えてくれるのは、官邸の玄関先ではない。ロンドン南西部キューにある国立公文書館の書庫に、題名もそのまま「内務省の公式の猫」というファイルが残っている。

    1929年、財務省は内務省の猫に「1日1ペニー」を認めた

    手当を求めた理由は、おやつの与えすぎ

    国立公文書館によれば、英国政府は19世紀の半ばから、非公式に猫を「雇って」きた。古い庁舎にネズミはつきものだったからである。ただ、公文書館が紹介するファイルで、猫が予算の話として出てくるのは1929年のことだ。

    1929年、財務省は、内務省に住みついていた黒猫ピーターの世話代として、1日1ペニーを出すことに同意した。当時の1ポンドは240ペンスだから、1年でおよそ1ポンド10シリングになる。大きな額ではないが、国の会計が猫1匹のために支出を認めたことに変わりはない。

    面白いのは、内務省が挙げた理由である。ピーターが腹をすかせていたからではない。むしろ逆で、職員たちがおやつを与えすぎたせいで、ピーターはネズミ捕りを怠けるようになっていた、と内務省は説明している。手当は、猫を飢えから救うための予算ではなかったのである。

    ほかの役所も続いた。1936年には内閣府が、自分のところのネズミ捕り、ジャンボのための手当を申請している。ジャンボは1942年に死んだ。戦争で男手が前線に取られていた時期で、後任は雌にしてはどうか、と内閣府の誰かが冗談まじりに提案したことまで記録に残っている。

    戦時中、内務省の一部がイングランド南岸のボーンマスへ移ったときには、移転先でも猫2匹ぶんの手当が申請された。ロンドンの本省はこれを認めたが、条件を付けた。子を産ませないこと、である。議事録には、この件を詠んだ戯れ歌まで書き留められている。

    増えるやもしれぬ猫どもに、餌代払うはためらわる

    原文は「To pay for grub we hesitate / For 'pussies' who may propagate」。役人たちは韻まで踏んで、猫の繁殖による予算の膨張を案じていた。

    「ネズミこそが主食である」——1958年の手当論争

    3代つづいた内務省のピーター

    最初のピーターは長生きした。1946年11月14日、17歳で安楽死させられている。財務省が手当の条件とする「働きのよい猫」に、もう当てはまらなくなっていたという。

    1か月後、生後2か月の子猫が後を継いだ。ところがこの2代目は、1947年6月27日の午前3時15分に車にはねられ、王立動物虐待防止協会の助言で安楽死となった。役所の記録は、事故の時刻まで書き残している。

    同じ年の8月27日に着任した3代目のピーターは、内務省の猫として最も名を知られることになる。1958年にはBBCの番組に出演し、1962年には女性誌にも載った。

    有名になれば、待遇も見られる。1958年、愛猫家たちから「ピーターの手当では飢え死にしかねない」という批判が寄せられた。それに対する内務省の返答が、ファイルに残っている。

    「ピーターが捕るために雇われているネズミは、余得ではない。それこそが彼の主食であるべきで、そう意図されている。ピーターの手当は、彼を食べさせるためのものではない。もしそうなら、手当は彼を怠けさせることにもなるだろう」

    1929年の手当と同じ理屈である。猫の仕事はネズミを減らすことで、手当で腹が満ちれば、その仕事をしなくなる。

    心配して手紙をよこした愛猫家に、別の職員はこう書き送った。ピーターはご親切にも、役所の机の中にハトを1羽置いていってくれた。かじってはあったが食べてはいなかったのだから、飢えているわけではないのでしょう——。

    3代目のピーターは1964年3月9日に安楽死となり、翌月、動物慈善団体のペット墓地に葬られた。

    1964年、「外交の家柄」の猫は年俸制になった

    マン島から届いた、九つの命つきの後任

    ピーターの死から2日後、内務大臣のもとに、マン島の副総督から私信の電報が届いた。ピーターの「不幸な最期」を悼み、後任としてマン島の猫を差し上げたい、という申し出である。添えられた文句は「最低でも九つの命を保証」。英国では、猫には命が九つあると言われる。

    マン島の猫は、尾のない品種として知られる。やってきた血統書つきの雌猫はペタと名付けられ、1964年5月7日、内務大臣に引き合わされた。

    その6日前、5月1日付の内部メモが、ペタの待遇を論じている。これまでの猫は「現業職」の出だったが、ペタには「外交の家柄」がある。だから週ごとの手当ではなく、年俸で払うべきだ——。ペタの初任給は年13ポンドで、先代の倍を超えた。副総督の申し出で来た猫は、役所の給与体系の中で、出自にふさわしい等級に格付けされたのである。

    もっとも、好待遇がよい結果を生んだとは言いにくい。1967年2月には、職員がペタに餌をやりすぎると注意され、ペタは「並外れて太っている」と報告された。同じ年には、ウィルソン首相の飼い猫だったシャム猫のネモとけんかをし、それが首相夫人のけがにつながったと責められている。公文書館がこのファイルから公開している1967年6月30日付の一枚には、「首相夫人が内務省の猫ペタの疑いを晴らした」という題が付いている。

    1968年には、ペタを引退させる話がメモで論じられ始めた。1976年、ペタの消息を尋ねた問い合わせに、役所は「田舎で休暇を楽しんでおり、職員の広い庭を自由に歩き回っている」と答えている。ペタが死んだのは1980年のことだった。

    「連続殺害犯ではない」——首相が弁護した官邸の猫ハンフリー

    窓辺の巣で死んでいた4羽のコマドリ

    官邸のダウニング街にも、猫の系譜はある。1988年に死んだウィルバーフォースは、14年にわたって官邸で暮らした。翌1989年、内閣府の職員が1匹の野良猫を迎え入れる。名前はハンフリー。官僚が大臣を手玉に取るBBCの喜劇『イエス・プライム・ミニスター』に出てくる、老練な事務次官にちなんだ名である。白と黒のこの猫は、10番地から12番地と内閣府の地下室でネズミを追い、餌代は内閣府の予算から出ていたと伝えられる。

    ハンフリーの名を国中に知らしめたのは、ネズミではなく小鳥だった。1994年6月7日、メージャー首相は、閣議室の外のテラスにある植木箱のコマドリの巣を、新聞の政治記者に見せた。巣は親鳥に見捨てられ、4羽のひなが死んでいた。翌朝、その新聞の日記欄は、官邸の猫ハンフリーに疑いがかかっていると書いた。

    首相はテレビのニュース番組で、こう弁護している。「ハンフリーが連続殺害犯でないことは、一点の疑いもなく申し上げられます」。ひなは死んでしまったが、死因は自然なものだ、と。

    12年後の2006年、疑いを書いた記者本人が、あれは記事を面白くするための脚色で、ハンフリーの仕業だという証拠は何もなかったと認めた。記者は、首相自身が知らずに巣を乱し、親鳥を追い払ってしまったのではないかと、ひそかに疑っていたという。ハンフリーには死後の恩赦がふさわしい、と記者は書いている。

    1995年には3か月ほど姿を消し、近くの陸軍医学校で見つかったこともあった。

    1997年5月の総選挙で労働党が勝ち、ブレア首相の一家が官邸に入ると、新しい首相夫人は猫が苦手らしいという噂が流れた。報道担当者は「ここはハンフリーの家です。ブレア夫妻にとっても、それは変わりません」と打ち消した。ところが同じ年の11月、ハンフリーは官邸を去る。腎臓を患って食欲が落ちており、獣医の勧めで、郊外に住む職員の家で暮らすことになった、というのが政府の説明だった。

    野党の議員からは、本当は処分されたのではないかという声まで上がった。政府は、ハンフリーがその日の新聞と一緒に写った写真を公表し、生きていることを証明してみせた。まるで人質の生存証明である。ハンフリーが死んだのは2006年3月、18歳前後だったとされる。

    官邸の猫の餌代は、誰が払っているのか

    肩書きが公式になったとき、国はもう払っていなかった

    並べてみると、猫と国庫の関係には一本の筋が見える。

    1929年、財務省は内務省の猫に1日1ペニーを認めた。1964年、内務省は「外交の家柄」の猫を年俸13ポンドで迎えた。1990年代、官邸のハンフリーの餌代は内閣府の予算から出ていたとされる。そして2011年、官邸で初めて公式の肩書きを得たラリーについて、官邸は、餌代は税金ではなく職員が出すと説明した。

    国の書類が猫を職員として扱っていたころ、猫に正式な肩書きは無かった。正式な肩書きを持つ猫が現れたとき、国はもう餌代を出していなかった。少なくとも、着任のときの説明ではそうである。

    この逆転は、猫に求められる仕事の中身が変わったことを映しているのかもしれない。19世紀以来、役所の猫に期待されたのは、ネズミを減らすことだった。1958年の内務省の返答は、その理屈をいちばん率直に書いている。手当で腹が満ちるなら、猫はネズミを追わなくなる。だから手当は、食べさせるためのものではない、と。

    いまのラリーの職務の一覧で、ネズミは「作戦を立てている段階」にとどまっている。かわりに並ぶのは来客の出迎えで、政府の公式サイトによれば、報道陣はしばしば玄関の前で彼を待ち、国民からは毎日のように贈り物が届く。7人の首相に仕えるあいだ、官邸の玄関先でいちばん長く同じ顔だったのは、この猫だった。

    仕事の評価は、捕ったネズミの数から、玄関先での居ずまいへ移ったように見える。手当と怠けの関係を説いた1958年の内務省の役人なら、この職務一覧に何と書き添えただろうか。

    参考資料

    1. 記録ファイル「内務省の公式の猫」(HO 223/43)より「首相夫人が内務省の猫ペタの疑いを晴らした」所蔵英国国立公文書館1967images.nationalarchives.gov.uk(新しいタブで開きます)
    2. 政府の中枢にいた猫たち(内務省・内閣府の所蔵ファイル HO 223/43、CAB 150/7 の紹介)所蔵英国国立公文書館blog.nationalarchives.gov.uk(新しいタブで開きます)
    3. ダウニング街10番地の歴史(内閣府ネズミ捕り長ラリー)公式英国政府(GOV.UK)gov.uk(新しいタブで開きます)

    記事の主な日付・数字・引用は、上の資料と照らし合わせて確かめています(2026年10月確認)。

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