ジャスト・ロンドンJUST RONDON - ロンドン観光・旅行・現地ガイド
    ジャスト・ロンドンLive.Love.London. - 最強ロンドンガイド
    • 旅行プランを作る
    • 今週のロンドン
    • スタンプ帳ログイン
    お問い合わせサイト概要利用規約プライバシーポリシーTop Pageへ

    ジャスト・ロンドンは、ロンドンの深層に迫る力量も器量もない中途半端な存在ですが、旅の判断をほんの少し整える一文が紛れていれば、それだけで存在理由になります。

    1. Home
    2. /英国を読む
    3. /コラム
    4. /緊急番号999は1937年ロンドンで生まれた——発端の火事で郵政大臣は「遅れはなかった」と答弁していた

    2026年9月20日

    暮らし・技術ロンドンの街歴史・事件

    緊急番号999は1937年ロンドンで生まれた——発端の火事で郵政大臣は「遅れはなかった」と答弁していた

    世界で最初の緊急通報番号999は、1935年11月にロンドンのウィンポール街で起きた火事から生まれた。電話交換手が出ず、通報が遅れて5人の女性が死んだ——そう語り継がれている。ところが議事録を開くと、郵政大臣は下院で「消防はもう現場に着いていた」と答えている。それでも英国は番号を作った。なぜ999だったのか、最初の一週間に何が起きたのか、一次資料をたどる。

    緊急番号999は1937年ロンドンで生まれた——発端の火事で郵政大臣は「遅れはなかった」と答弁していた

    ロンドンで誰かが倒れたら、999を押す。英国に暮らす人なら考える前に指が動く3桁だが、この番号は1937年まで存在しなかった。世界のどこにも、緊急専用の番号というものが無かったのである。生まれた経緯には、教科書に載る筋書きと、議事録に残る事実とが、微妙にずれたまま同居している。

    1935年11月10日、午前6時30分

    ウィンポール街27番地

    ロンドン西一区ウィンポール街は、いまも昔も医者の通りである。ハーレー街の一本東を平行に走り、18世紀に開かれた通りらしく、ジョージ王朝様式のタウンハウスが肩を寄せ合って並ぶ。間口は狭く、そのぶん上へ伸びている。地下に厨房、一階に診察室、二階に居間、その上に寝室、さらに上に使用人部屋。階段は一本しかない。

    27番地は、耳鼻咽喉科医フィリップ・フランクリンの診療所兼住宅だった。当時の電話番号は LANgham 1440。まだ電話番号が局名の頭3文字と数字4桁でできていた時代である。

    1935年11月10日の朝6時30分ごろ、この家から火が出た。一本しかない階段が煙突のように働き、上の階にいた人々の逃げ道を断った。

    死んだのは5人、全員が女性だった。エセル・ジュリア・フランクリン(55)——この家の主人の妻である。エリザベス・キャロライン・ダンクリー(55)、リリー・ハンナ・ブルック(47)、アレクサンドリーナ・ラモント(22)、そして15歳のエヴリン・ハーディ。最年少は15歳だった。主人のフィリップ・フランクリンは助かっている。

    5日後に出た『スペクテイター』誌は、この火事をこう総括している。奥様も女中たちも、天窓から屋根に出られることに気づいていなかったらしい——それがこの事件の不可解さだ、と。そして当時の常識をそのまま書き添えている。並の高さの普通の住宅に、外づけの避難階段やはしごを義務づけるのは、費用として正当化できない、と。

    つまり、この5人を殺したのは第一に建物の構造だった。電話の話は、まだ出てこない。

    同じ通りの歯科医が、新聞に投書した

    総選挙の3日前に載った手紙

    現在のウィンポール街。写っているのは27番地ではなく通りの別の区画だが、間口が狭く上へ伸び、階段が一本しかないこの造りが、1935年の火事で5人の逃げ道を断った。2017年撮影 / Philafrenzy, CC BY-SA 4.0
    現在のウィンポール街。写っているのは27番地ではなく通りの別の区画だが、間口が狭く上へ伸び、階段が一本しかないこの造りが、1935年の火事で5人の逃げ道を断った。2017年撮影 / Philafrenzy, CC BY-SA 4.0

    火が出たとき、同じウィンポール街に住む歯科医が気づいた。N・J・マクドナルド。のちの議事録は彼を「向かいの家の加入者」と呼び、『タイムズ』に載った手紙のほうはウィンポール街58a番地の署名になっている。ともあれ彼は受話器を取り、交換手を呼び出そうとした。

    ここで、いまとまったく違う当時の電話の作法を押さえておく必要がある。1935年のロンドンには緊急番号が無い。消防を呼びたければ、ダイヤルの0を回して交換手を呼び、口頭で消防につないでくれと頼む。その0は、電話番号を知らない人・間違えた人・交換手に用がある人が全員使う番号でもある。交換手の前には呼び出しのランプが並ぶが、そのランプは火事を知らせるものと、時刻を尋ねるものとを区別しない。

    マクドナルドは、つながらなかった。管轄のウェルベック交換局の順番待ちに入れられたまま、数分が過ぎた。

    彼は怒った。そして、英国人がこういうときに取る手段を取った。『タイムズ』紙に投書したのである。手紙は翌11月11日付で掲載された。

    この日付が効いた。3日後の11月14日は総選挙の投票日だったのである。焼けた医者の家と、つながらなかった電話と、死んだ5人の女性の話は、選挙運動のただなかのロンドンに落ちた。

    郵政大臣は、下院ではっきり否定した

    1935年12月9日の議事録

    選挙が終わり、新しい議会が開かれた。1935年12月9日、下院で郵政大臣ジョージ・トライオンに質問が出る。質問者はセント・メリルボーン選出のアレック・カニンガム=リード議員——ウィンポール街を含む、まさにその選挙区の議員だった。

    問いはこうである。「11月10日のウィンポール街27番地の火事の際、向かいの家の加入者が、火事を届け出るためにウェルベック交換局を数分間にわたって呼び出せなかった件について、大臣は報告を受けているか」

    トライオンの答弁は、いま読むとかなり冷たい。

    「本件については詳細な報告を受けております。ウェルベック交換局の当該交換手は、信頼できる経験豊かな者でありますが、火事の時刻に同局が受けた最初の呼び出しは、問題の加入者の夫人からの午前6時40分のものであったと、断固として主張しております。この呼び出しが速やかに応答されたことは争いがありません」

    そして、こう続ける。「加入者が6時35分から6時40分のあいだにかけたと述べている、それ以前の呼び出しが失敗した理由を調査が明らかにできなかったことは、遺憾に存じます」。つまり、つながらなかったという主張自体は否定しきれない。しかし記録には残っていない。

    決定打は次の一節だった。「申し添えますと、消防への電話は6時35分にラングハム交換局経由で遅滞なく接続されております。またその時点で消防は、火災報知柱からの信号によって、すでに火災の通報を受けておりました。消防隊は6時36分から6時37分のあいだに現場に到着しております」

    追及にトライオンはこう言い切る。「本件の要点は、6時35分から6時40分のあいだの呼び出しについて苦情が出されたということでありますが、その時刻までに、消防にはすでに3件もの通報が届いていたということであります」。さらに別の議員に問われて、「争いのある呼び出しが通じるより前に、消防はもう火事の現場にいたのです」。

    郵政省の公式見解は、こうして明快だった。電話は遅れたかもしれないが、遅れは誰も殺していない。

    ところが、同じ答弁の最後でトライオンはこう付け加えている。「火事に関するものを含め、すべての緊急通報について調査する省内調査を開始いたします」。

    この二つは矛盾していない。非を認めずに改善する、というのは役所が最も得意とする所作である。ついでにもう一人、この日質問した議員の名前を覚えておきたい。キーリング議員——全加入者に最寄りの消防署と警察署の番号を書いたカードを配ってはどうか、0を回して交換手を待つ代わりに直接かけられるように、と提案した男である。彼は1935年11月14日の総選挙で初当選したばかりの新人だった。

    なぜ999だったのか

    707と333と111が落ちた理由

    トライオンが約束した調査は、ベルグレイヴ委員会として立ち上がった。委員会の課題は、投書が突いた一点に絞られている。交換手が、緊急の呼び出しとそうでない呼び出しを区別できないこと。

    委員会が置いた条件は4つだった。全国で同じ一つの番号であること。覚えやすいこと。ロンドンで機能するには3桁であること。そして——これが決定的だった——公衆電話から、金を入れずにかけられること。

    最後の条件の重さは、当時の電話事情を知らないとわからない。1930年代末になっても、英国の家庭用電話加入者の過半は所得上位5%が占めていた。普通の人にとって電話とは、赤い箱の中にあるものだったのである。そして当時の公衆電話は、先に硬貨を入れてからダイヤルを回す方式だった。相手が出たらボタンAを押して硬貨を落とし、出なければボタンBで返してもらう。硬貨を入れずに回せるのは、交換手を呼ぶ0だけ。火事を見つけた通行人がポケットに1ペニー持っていなければ、通報できない仕組みだった。

    候補は複数あがっている。まず707。英国のダイヤルは数字に文字が振られていて、Sは7、Oは0だった。つまり707はSOSである。詩的だが、当時の交換機では実現できなかった。333も検討され、同じく落ちた。

    111はもっと現実的な理由で消えた。1を出すパルスは1回の断続で済む。当時の電話線の多くは電柱の上を、ろくな絶縁もされずに走っていた。強風で線が触れ合えば、ダイヤルを回したのと区別のつかないパルスが立つ。111にすれば、風が吹くたびに交換局のブザーが鳴ったはずである。

    残ったのが9だった。9を出すには9回の断続がいる。偶然そんなパルス列が生まれることは、まず無い。0はすでに交換手が使っている。そして技術的にありがたいことに、公衆電話を改造して9を無料で回せるようにするのは安く済んだ。

    もうひとつ、9には誰も設計意図として狙っていなかった性質があった。英国式のダイヤルは、指を入れて金属の指止めまで回す。0の穴が指止めのいちばん近くにあり、9はそのひとつ隣にある。煙が充満した部屋でも、停電の暗闇でも、指を指止めに当ててひとつ横にずらせば、そこが9なのだ。目が見えなくても回せる。

    この番号を考えついた人物として名前が挙がるのが、スコットランドヤードの情報室長トム・ファロンである。彼はのちにテムズ川警察を指揮した。本人は、自分が偶然を面白がっていたことをこう語っている——999は、イースト・エンドを巡回する巡査だったころ、最初に襟章につけた自分の番号でもあった。ただし数字の一致はまったくの偶然だった、と。

    1937年6月30日、91の交換局で

    そしてクラクションにテニスボールが詰められた

    1937年6月30日、下院。質問に立ったのは、1年半前にカードを配ってはどうかと提案したあのキーリング議員である。答えたのは郵政政務次官サー・ウォルター・ウォマーズリー。

    「加入者または公衆電話の利用者が999をダイヤルすれば、直ちに扱うべき呼び出しであることを示す特別な信号が、交換手に対して発せられます」

    世界初の緊急通報番号が、こうして告げられた。対象はロンドンの91の自動交換局。オックスフォード・サーカスから半径12マイル(約19キロ)の範囲である。ダイヤルに文字が振られていない旧式の交換局は、いくつか対象外とされた。公衆電話からは無料。

    議場の反応は、手放しの称賛ではなかった。ハーバート議員が食い下がる。押し込み強盗に入られて動転している人間が、番号をダイヤルするなどという細かい作業をやれるのか。ボタンひとつのほうがよいのではないか。ウォマーズリーは、技術者があらゆる装置を試したうえで、ダイヤルすることが「確実に直通の呼び出しを得る最良の方法」だと結論した、と答えている。

    交換局の側では、999が着信すると赤いランプが点滅し、クラクションが鳴った。交換手の耳の前で。この音が耐えがたいほど大きく、交換手たちはホーンにテニスボールを押し込んで音量を下げたという。世界初の緊急通報システムの現場における最初の改良は、テニスボールだった。

    数字は正直である。運用最初の一週間で、999への通報は1336件。同じ週に、従来どおり0を回してきた緊急通報が1896件あった。つまり最初の週は、まだ古いやり方のほうが多かった。当時の新聞は、1336件のうち171件は単に交換手を呼びたかった人からのもので、999を使うべきではなかったと報じている。7月末までに、正当な999通報はおよそ1万3000件に達した。

    実戦でも、すぐに結果が出た。7月7日付の『イヴニング・スタンダード』紙の見出しはこうである。「999をダイヤル——4分後に警察が男を拘束」。7月8日午前4時には、ハムステッドのエルズワージー街に住むビアード夫人が999を回し、夫が追いかけていた侵入者トマス・ダフィが捕まった。

    同時に、英国人はこの新しいおもちゃの使い道を独自に開拓しはじめた。1937年12月2日の下院で、内務省のジェフリー・ロイドが数字を報告している。首都警察とシティ警察が郵政省と結んだ新体制が11月29日午前8時に動き出し、最初の24時間で460件、次の24時間で311件。そのうち999を使うに値したものは半分弱だった。ロイドは具体例を挙げた。パンの中にマッチ棒と甲虫を見つけた婦人が、スコットランドヤードに電話してきた、と。999は「犯罪に関わる緊急の事柄」のために使ってほしい、と彼は念を押している。

    翌1938年1月の『サンデー・ピクトリアル』紙には、もう戯れ歌が載っている。「北風がうなり、ひゅうと鳴れば/誰かがナイン・ナイン・ナインを鳴らす」。半年で、この3桁は英国人の口に馴染んでいた。

    全国に届くまで39年かかった

    そして「55を押す」に戻ってくる

    1937年に始まった999は、長いあいだロンドンだけの設備だった。翌1938年にグラスゴーが加わり、そこで戦争が挟まる。再開は1946年で、バーミンガム、ブリストル、エディンバラ、リヴァプール、マンチェスター、ニューカッスルが一斉に導入された。1948年3月までに、自動交換局を持つ大きな町はひと通り揃う。

    しかし999は自動交換でなければ動かない。英国じゅうの交換局がすべて自動化され、999が文字どおり全国の番号になったのは1976年である。ウィンポール街の火事から41年、サービス開始から39年が経っていた。

    その間に、世界は英国に追いついてきた。アメリカが911を初めて実際にかけたのは1968年2月16日、アラバマ州ヘイリーヴィルでのことだった。英国に31年遅れている。欧州共通の112は、1991年7月29日の理事会決定で導入が決まり、英国では1992年の規則で制度化された。いま英国では999でも112でもつながる。携帯電話から999が使えるようになったのは1986年で、それ以前は995・996・997という暫定の番号が使われていた。

    そしていま、英国では年間およそ3500万件の999・112通報がある。2022年の内訳では74%が携帯から、26%が固定電話から。行き先は救急が53%、警察が44%、消防が3%ほどである。

    最後に、ひとつだけ現代の話をしたい。英国の警察には「サイレント・ソリューション」という仕組みがある。999にかけたが声を出せない——加害者がそばにいる、というような場合、自動音声の案内に従って55を押す。すると、いたずらや誤発信ではなく本物だと警察に伝わる。英国では1日におよそ2万件の無言の999通報があり、そのうち約5000件がこの仕組みに回され、55が押されるのは1日に50回ほどだという。

    1935年のウェルベック交換局の問題は、交換手の前で、緊急の呼び出しと時刻を尋ねる呼び出しが同じ顔をして並んでいたことだった。それから90年あまり、機械は無言の電話と本物の助けを求める沈黙を区別できずにいる。だから英国は、また新しい番号を足した。今度は2桁である。

    ウィンポール街の投書に対して、郵政大臣は正しかったのかもしれない。消防はもう来ていた。3件の通報が先に届いていた。あの電話が5人を殺したという話には、たしかに証拠が足りない。それでも英国は制度を変えた。誰かが死ななかった理由を並べるのではなく、次に誰かが死ぬかもしれない道筋を一本ふさぐほうを選んだのである。世界最古の緊急番号は、事故調査の結論から生まれたのではなく、新聞への一通の手紙から生まれた。

    ← 前の記事

    ギネスブックは1951年、猟場の口論から生まれた——発端の「ヨーロッパ最速の猟鳥」は、いまも本に載っていない

    次の記事 →

    大英博物館は1753年、宝くじで生まれた——国王は「国庫に2万ポンドもない」と断り、券は横流しされた 第1回

    感想・コメント

    この記事を読んだ感想や、関連して知っていることがあれば教えてください。

    残り2000文字

    投稿は誰でも読めます。個人情報は書かないでください。

    まだコメントはありません。最初の投稿をお待ちしています。

    ← コラム一覧に戻る