A History of Britain/全10章・通読できます
イギリスの歴史
全10章
- 通史
- 10章
- 立てる場所
- 40か所
- 年表
- 84行
題字の背景: クラース・ヤンスゾーン・フィスヘル「ロンドン俯瞰図」1616年(Claes Janszoon Visscher II (Public domain))
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気になる疑問から読む
どれも答えが歴史にあります。1つ選べば、それがあなたの入口です。
シティの境界線が、なぜあんなに不自然に歪んでいるのか
Answer
ローマの城壁をなぞっているから
曜日の名前が、なぜそろって北欧の神々なのか
Answer
アングロサクソンが自分たちの神を当てはめたから
牛は cow なのに、なぜ牛肉は beef なのか
Answer
育てる人と食べる人が、別の言語を話していたから
英国王が、なぜ今も「国教会の首長」なのか
Answer
16世紀の王の離婚問題が、そのまま制度になったから
国王が、なぜ庶民院の議場に入れないのか
Answer
1642年にチャールズ1世が武装兵を連れて踏み込んだから
大英博物館が無料なのに、なぜ収蔵品が国際問題になるのか
Answer
帝国の拡大過程で取得されたものが相当数あるから
ロンドンの下水道が、なぜ今も1860年代のものなのか
Answer
1858年の「大悪臭」で、必要の倍の太さで作られたから
パブが、なぜ長いあいだ23時に閉まっていたのか
Answer
第一次大戦の軍需工場法が、90年近く残ったから
GPの診察も入院も、なぜ無料なのか
Answer
1948年のNHS創設時の原則が、今も続いているから
日本人がイギリスに行くのに、なぜETAが必要になったのか
Answer
EU離脱後、英国が国境管理を一から作り直したから
紀元43年〜1066年・第1〜2章
島の土台ができるまで
ローマが道と城壁を敷き、去ったあとにアングロサクソンとヴァイキングが入れ替わり住んだ約1000年。ロンドンという都市の輪郭がここで決まります。
- 1紀元43年〜410年Roman Britain
ローマ支配とブリタニア
ロンドンという都市を作ったのはローマ人です。テムズ川に橋を架けられる最初の地点、という理由だけで選ばれた場所に、約400年で城壁に囲まれた街ができました。
今も残るものシティの境界線が今も不自然に歪んでいるのは、ローマの城壁の跡だから
- 2410年〜1066年Anglo-Saxons & Vikings
アングロサクソンとヴァイキング
ローマが去り、ロンドンは一度捨てられます。英語という言語、州(シャイア)の区分、そして「イングランド」という名前が生まれたのがこの600年です。
今も残るもの曜日の名前が北欧の神々なのも、英語が不規則すぎるのも、この時代のせい
1066年〜1714年・第3〜5章
ひとつの王国になるまで
1066年の征服から、宗教改革、内戦、そして議会が王に勝つまで。今の英国の政治制度の骨格が、この3章のあいだに出来上がります。
- 31066年〜1485年Norman Conquest
ノルマン征服と中世の王権
1066年、英語を話さない王がイングランドを征服します。ロンドン塔は市民を守る城ではなく、市民を威圧するために建てられました。マグナ・カルタもこの時代です。
今も残るもの英語で牛は cow なのに牛肉が beef なのは、征服者がフランス語を話したから
- 41485年〜1603年The Tudors
チューダー朝と宗教改革
ヘンリー8世が離婚のためにローマ教会と断絶し、英国国教会を作ります。修道院は解体され、その土地が貴族に配られました。エリザベス1世とシェイクスピアの時代。
今も残るもの英国の君主が今も「国教会の首長」なのは、王の離婚が理由
- 51603年〜1714年Civil War & Revolution
内戦・共和政・名誉革命
議会が王を裁判にかけ、公開で処刑します。その後の共和政、王政復古、そして1688年の名誉革命で、「王は議会に従う」という原則が確定しました。
今も残るもの国王が庶民院(下院)に入れないのは、1642年にチャールズ1世が踏み込んだから
1707年〜1901年・第6〜7章
世界に広がった時代
連合王国の成立、世界の4分の1を支配した帝国、そして産業革命。大英博物館の収蔵品と、ロンドンの街並みそのものがこの時代の産物です。
- 61707年〜1858年Union & Empire
連合王国の成立と大英帝国
イングランドとスコットランドが合併し、United Kingdom が生まれます。同時に始まる帝国の拡大と、その資金源だった奴隷貿易。大英博物館の収蔵品はここから来ました。
今も残るもの大英博物館が無料なのに、その収蔵品の来歴が今も揉め続けている理由
- 71760年〜1901年Industrial Revolution
産業革命とヴィクトリア朝
世界初の鉄道、世界初の地下鉄、世界初の万国博覧会。同時に、世界初のスラムと公害も生みました。今のロンドンの地下鉄網と下水道はこの時代の遺産です。
今も残るものロンドンの下水道が今も1860年代のものなのは、「大悪臭」事件のおかげ
1914年〜現在・第8〜10章
帝国のあとの現在
二つの大戦、NHSの誕生、ウィンドラッシュ世代の到来、EU離脱。今日ロンドンで見えている多様さと分断が、どこから来たのか。
- 81914年〜1945年The World Wars
二つの大戦
ロンドンは史上初めて空から爆撃された首都のひとつです。ブリッツで街の3分の1が焼け、戦後の再建がロンドンの姿を決めました。
今も残るものパブが長らく23時に閉まっていたのは、第一次大戦の軍需工場法の名残
- 91945年〜1979年Postwar Britain
戦後・NHS・ウィンドラッシュ
焼け跡から、無料の国民医療(NHS)が生まれます。労働力不足を埋めるためカリブ海諸国から人々が招かれ、そして数十年後に「不法滞在者」として扱われました。
今も残るものNHSが今も無料なのと、ブリクストンがカリブ系の街になったのは同じ理由
- 101973年〜現在Modern Britain
EC加盟から離脱、そして現在
サッチャーの改革、金融ビッグバン、ロンドンの再国際化。そして2016年の国民投票と2020年の離脱。この島が何度目かの「ヨーロッパとの距離」を測り直しています。
今も残るもの入国審査でEU市民の列がなくなったのも、ETAが必要になったのもこの帰結
Walk the timeline
1日で2000年を歩く
Tower Hill から西へ。徒歩と地下鉄で1日に収まる4地点で、ローマの城壁から議会が王に勝った現場までを東から順に辿れます。
1Tower Hill
ロンドン城壁
London Wall at Tower Hill
下4.4メートルがローマ期、その上は中世。赤い瓦の列が境目になっている。
2Tower Hill
ロンドン塔
Tower of London
征服者が市民を威圧するために建てた白い塔。ローマ城壁の東端でもある。
3St Paul's
セント・ポール大聖堂
St Paul's Cathedral
大火のあとレンが35年かけて建て直した聖堂と、ブリッツで焼けた周辺の廃墟教会。
4Westminster
ウェストミンスター
Westminster Abbey & Banqueting House
戴冠式の寺院と、王が処刑台へ出た窓。議会が王に勝った現場。
Go and see it
歴史を実際に見に行くなら
各章に挙げた40か所の多くは、以下のページで行き方やチケットを詳しく扱っています。