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    2026年10月19日文ジャスト・ロンドン編集部参考資料 5件

    人物ロンドンの街歴史・事件

    連載「グローブ座物語」全 4 回 の第 4 回

    グローブ座の再建は1949年、醸造所の壁の煤けた銘板から始まった——工事のさなか、本物が駐車場の下から出た 第4回

    1949年に煤けた銘板を見たアメリカ人俳優サム・ワナメーカーは、イギリスにとどまり、グローブ座を建て直そうとした。土地を借りるまでに33年、区議会との争いに4年。ようやく工事が本格化した1989年、本物のグローブ座の基礎が、あの銘板のすぐ裏の駐車場から出てくる。掘れたのはほんの一部で、劇場の形は学者たちの投票で決まった。ワナメーカーは完成を見ずに死に、劇場は1997年6月に開場した。連載「グローブ座物語」の最終回。

    グローブ座の再建は1949年、醸造所の壁の煤けた銘板から始まった——工事のさなか、本物が駐車場の下から出た 第4回

    画像: Diego Delso / CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

    前回は、取り壊されたグローブ座の跡が醸造所にのみ込まれて場所さえ分からなくなり、1949年、ひとりのアメリカ人俳優が醸造所の壁の銘板を見に来たところまでを書いた。

    最終回の問いは、350年近く前に消えた劇場を、どうやって建て直したのか。それは、再建の工事と、本物の劇場の発掘とが、同じ年に同じ通りで重なった話でもある。前回残した問い、銘板の場所は正しかったのかにも、ここで答えが出る。

    アメリカに帰らなかった俳優

    1951〜1982年

    ワナメーカーが初めてロンドンに来たころ、アメリカでは共産主義者を締め出す「赤狩り」が吹き荒れていた。グローブ座の公式の解説によれば、彼もあやうく、政府の手で仕事を干される者の名簿に載るところだった。1951年、映画の仕事で再びイギリスに渡ると、彼はそのままイギリスにとどまる。俳優、演出家として働き、リバプールでは劇場の運営も手がけた。

    グローブ座の再建は、長いあいだ夢物語と見られていた。それでも1970年、ワナメーカーは再建のための財団を作る。1970年代の初めには、バンクサイドの空き地に大きな天幕を張って、夏の芝居の季節を開いた。川べりの「熊いじめの庭」という通りには、小さな博物館と劇場もこしらえた。かつてこのあたりにあった、熊いじめの見世物小屋にちなむ地名である。

    肝心の土地が手に入ったのは、1982年だった。サザーク区議会とのあいだで、セント・ポール大聖堂の対岸にある川べりの土地を125年借りる契約を結ぶ。16世紀には熊いじめの見世物小屋があったという土地で、前回書いた醸造所の銘板からは、川のほうへ200メートルあまり寄った場所になる。

    銘板を見てから、33年がたっていた。けれど、工事はまだ始められなかった。

    「シェイクスピアの研究さえエリート主義だ」

    1982〜1989年、区議会との4年

    契約を結んだあと、サザーク区議会の顔ぶれが変わる。1993年7月19日、下院の討論で、再建計画を支持する議員がそのいきさつを語っている。

    清教徒たちがバンクサイドの劇場を閉じさせてから340年後、サザーク区議会の理論家たちは、グローブ座の計画も、さらにはシェイクスピアの研究さえも、エリート主義だと言い立てた。彼らは借地の契約を破り捨てようとした。

    議員の言う「340年前」は、第2回で書いた1642年の上演禁止のことだ。この議員は再建を推す側なので、区議会の言い分を公平に伝えているとは限らない。いずれにせよ、争いは4年続いた。決着がついたのは、議員の言葉によれば、区議会が法廷で自分たちの行いを守り切れないと悟ったときだった。

    土地が守られて、ようやく工事に進める。1987年、エディンバラ公フィリップが鍬入れの式を執り行い、1989年に本格的な工事が始まった。最初に造ったのは、テムズの潮の満ち引きに耐える大きな基礎と、地下に設ける展示施設の外枠である。

    その1989年に、すぐ近くの別の工事現場が騒ぎになる。

    工事のさなか、本物が出た

    1989年、ローズ座とグローブ座

    アンカー・テラス(1834年築、サザーク・ブリッジ・ロード沿い)。1989年当時の報道によれば、グローブ座の跡のおよそ6割がこの建物の下に、およそ3割が前の道路の下にある。発掘されたのは、建物の裏の駐車場の部分だった。

    アンカー・テラス(1834年築、サザーク・ブリッジ・ロード沿い)。1989年当時の報道によれば、グローブ座の跡のおよそ6割がこの建物の下に、およそ3割が前の道路の下にある。発掘されたのは、建物の裏の駐車場の部分だった。

    画像: Jwslubbock / CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

    騒ぎの始まりは、隣の劇場だった。1988年12月、パーク・ストリートの西の端、サザーク橋のたもとで、古い事務所ビルの建て替えに先立つ発掘が始まった。そこは、グローブ座より10年あまり早くバンクサイドに建った芝居小屋、ローズ座の跡と目されていた場所で、掘り進めると、多角形の劇場の基礎の3分の2ほどが現れた。シェイクスピアの時代の劇場の遺構が、元の場所でまとまって見つかったのは、これが初めてだった。

    けれど、土地には新しいビルを建てる許可がすでに下りていた。1989年5月9日、地元選出の下院議員サイモン・ヒューズは、深夜の議場でローズ座の保存を訴え、こう付け加えている。

    グローブ座の跡はまだ掘られておらず、何が見つかるのか、そもそも何か見つかるのかも分からない。

    5日後の5月14日、工事が始まる前日には、パーク・ストリートに保存を求める人々が集まり、ワナメーカーも群衆に向かって演説した。ビルは設計し直され、ローズ座の遺構はその地下に残された。

    ヒューズの演説から5か月後、答えが出る。ロンドン博物館の調査団が、パーク・ストリートの南側、前回書いたアンカー・テラスの裏の駐車場を掘り、1989年10月12日、グローブ座の基礎の一部が見つかったと発表したのだ。そこは、1909年の銘板が掛かっていた壁のすぐ裏、通りの南側だった。80年前に「向かい側だ」と言われた銘板のほうが、正しかったのである。

    出てきたのは、外壁の基礎のゆるやかに曲がった一部と、そこから外へ張り出した階段塔の基礎だった。掘れたのは劇場の北東の隅、12メートル×9メートルほどにすぎない。残りの大半の上には、1834年に建ったアンカー・テラスと、サザーク・ブリッジ・ロードが載っている。指定建造物を壊して掘るわけにはいかない。グローブ座の跡は、その年の12月13日に国の指定記念物になった。

    ワナメーカーは、本物の発掘が進むまで複製の建設を延ばすと言った。複製を「完全に正しく」作るためだった。

    劇場の形は、投票で決まった

    1989〜1992年、162度か160度か

    見つかった基礎は、建て直す劇場の形を決める手がかりになるはずだった。グローブ座は円く見えるが、実際には多角形だったと考えられている。何角形だったかは、基礎に残った壁の折れ曲がりの角度から割り出せる。正多角形の内角は、辺の数で決まるからだ。

    ところが、その角度の読みが分かれた。再建計画に学術面から関わっていた演劇史家のジョン・オレルは、いちばん傷みの少ない角を162度と読んだ。それなら劇場は20角形で、差し渡しはおよそ100フィート(約30メートル)になる。別の研究者は同じ角を160度と読んだ。それなら18角形で、差し渡しは90フィートほどになる。わずか2度の違いで、劇場の大きさが1割変わる。

    ほかの手がかりも、決め手にならなかった。1991年の追加の調査で基礎の別の部分が出たが、前の部分とどう組み合わせるかが難しく、議論はかえって複雑になった。第3回で書いたホラーの版画には、もとになった下描きが残っている。それとも照らし合わせたが、発掘された階段塔の位置は、下描きに描かれた塔のどちらとも合わず、幅も予想より5割ほど広かった。

    掘って確かめることはできない。そこで、決め方そのものを決めることになった。1992年6月には、20角形を前提に試しに組んだ桟敷の2区画が、王室の行事でお披露目される。そして10月10日、計画の関係者と研究者が集まった会議で、議長を務めた演劇史家のアンドルー・ガーは、20角形案と18角形案のどちらを採るかを、出席者の投票にかけた。結果は14対6で20角形案。復元するグローブ座は、20角形、差し渡し約100フィートで建てられることになった。

    のちに、復元されたグローブ座の研究部門にいた研究者が、発掘の図面と版画を計算機の上で重ね合わせ直し、こう結論している。復元された劇場は基礎にかなりよく合っているが、完全ではない。退けられた案にも、同じくらい合うものがある。復元は妥当な近似だが、その正確さが退けられた案より明らかに上だとは言えない、と。

    大火以来の藁葺き屋根

    1992〜1993年、建設と、ワナメーカーの死

    形が決まり、建設が進んだ。建て方は、できるかぎり400年前に倣った。木材は、初代の大工たちと同じく、切ったばかりの生の樫。舞台の柱にする木は一本ずつ選び、当時に近い道具と技で形を整えた。継ぎ手はすべて昔ながらに刻み、材木どうしは木の釘で留めた。ただし、安全のために足場とクレーンは今の物を使っている。

    手間は、そのまま費用になった。1993年の下院の討論によれば、劇場に使う煉瓦は特別に焼かねばならず、煉瓦職人が値段を半分にしてくれても、ふつうの煉瓦の4倍した。屋根の藁葺きと壁の漆喰塗りは、夏のあいだしかできない。それまでに集めて基礎に使った金がおよそ750万ポンド、劇場を仕上げるのにあと250万ポンド要る、と議員は訴えている。寄付は企業のほか、ニュージーランド、デンマーク、カナダ、日本、ドイツのブレーメン州の政府からも届いていた。

    いちばんの難関は、屋根だった。第2回で書いたとおり、初代グローブ座は藁葺きの屋根から燃えた。そしてロンドンでは、1666年の大火のあと、藁葺きの建物が禁じられてきた。グローブ座の公式の解説によれば、藁の屋根を載せるには特別な許可が要り、藁の下には燃えにくい素材を張ることが条件になった。非常口も、元の劇場よりずっと多く設けた。380年前に劇場を焼いた屋根を、火事への備えを重ねたうえで、もう一度載せたのである。

    劇場で最初に芝居がかかったのは、まだ建設中だった1993年のことで、公式の解説によれば、それはドイツ語の上演だった。

    1993年7月、ワナメーカーは、英米の関係と再建計画への貢献を認められて名誉大英勲章を受けた。同じ月の下院の討論で、議員は彼の44年を紹介している。その年の12月18日、ワナメーカーはロンドンの自宅で死んだ。74歳。家族によれば、5年にわたって癌と闘っていた。劇場は、まだ建設の途中だった。

    開場を見なかった男の劇場

    1997年6月、そして2014年

    グローブ座が開場したのは、1997年6月である。エリザベス2世が開場を告げ、最初の演目には『ヘンリー五世』が選ばれた。王を演じたのは、新しい劇場の芸術監督マーク・ライランス。役者は男だけで、当時の楽器を鳴らし、当時の仕立ての衣装を着た。幕開けに、口上役はこう問いかける。

    この闘鶏場のような小屋に、フランスの広大な戦場が収まるだろうか。この木造のOの中に、アジャンクールの空を震わせた兜を詰め込めるだろうか。

    シェイクスピアが、円い木造の劇場そのものを指して書いた台詞だ。演出家は、グローブ座の開場をこの芝居になぞらえて、「ひとりの男が、ばらばらな人々を寄せ集める」物語だと語っている。

    2014年1月、グローブ座の隣に、もうひとつの劇場が開いた。17世紀の屋内劇場の設計図とされる図面をもとにした、屋根付きの小さな劇場で、明かりはおよそ150本の蝋燭だけ。第1回で、1596年に住民の嘆願で止められ、第2回で一座の冬の本拠になった、ブラックフライアーズのような劇場である。名前は、サム・ワナメーカー劇場という。

    最終回の問いに答えるなら、350年近く前に消えた劇場は、ひとりの俳優の44年と、本物の跡の発掘と、その跡が語りきれなかった部分を埋めるための学者たちの投票によって建て直された。

    4回にわたって、3度建って2度消えた劇場をたどってきた。材木の出どころだったショーディッチの「劇場」の土台は、2008年に一部が掘り当てられ、いまも地中にある。初代と2代目のグローブ座の土台は、アンカー・テラスの下に眠っている。そして3代目は、そこから200メートルあまり離れた川べりに、藁葺きの屋根を載せて建っている。1909年の銘板は「1598年〜1613年」と書いたが、グローブ座の年号は、まだ閉じていない。

    参考資料

    1. 庶民院議事録「グローブ座計画」原典英国議会(Hansard)1993api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
    2. 庶民院議事録「サザークのローズ座」原典英国議会(Hansard)1989api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
    3. グローブ座の跡の発見を伝える記事「シェイクスピアの劇場、見つかる」原典クリスチャン・サイエンス・モニター1989csmonitor.com(新しいタブで開きます)
    4. 3代目のグローブ座(建て方と藁葺き屋根の許可)公式シェイクスピアズ・グローブshakespearesglobe.com(新しいタブで開きます)
    5. 1599年のグローブ座とその復元——発掘と絵画資料の仮想模型による検証研究ガブリエル・イーガン(『初期近代文学研究』特別号13)2004extra.shu.ac.uk(新しいタブで開きます)

    記事の主な日付・数字・引用は、上の資料と照らし合わせて確かめています(2026年10月確認)。

    この記事に出てくる観光スポット

    記事に登場した場所の見どころ・料金・アクセスは観光ガイドにまとめています。

    連載「グローブ座物語」全 4 回

    1. 1グローブ座の材木は1598年、地主の留守に運び出された——訴状には「剣と斧を持った12人」 第1回
    2. 2グローブ座は1613年、祝砲の火で焼け落ちた——ズボンの火を瓶のビールで消した男と、議会の上演禁止令 第2回
    3. 3取り壊されたグローブ座は、ビール醸造所の下に消えた——1909年の銘板に、学者は「場所が違う」と言った 第3回
    4. 4グローブ座の再建は1949年、醸造所の壁の煤けた銘板から始まった——工事のさなか、本物が駐車場の下から出た 第4回(この記事)

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