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    2026年9月24日

    歴史・事件王室・制度人物

    連載「大英博物館物語」全 4 回 の第 4 回

    大英博物館の盗難はeBayで見つかった——2023年、約1500点が消えた宝石庫と「すべて所在確認済み」の返信 第4回

    2023年8月、大英博物館は収蔵品が「紛失・盗難・損傷」していたと発表し、職員1人を解雇した。その2年前、デンマークの美術商がeBayに出品された宝石の出どころに気づき、学芸員の名前を添えて通報していた。博物館の返事は「問題の品はすべて所在が確認されている」。連載「大英博物館物語」の第4回は、番号の付いていない宝石が静かに消えていった仕組みと、退けられた通報が受け入れられるまでを追う。

    大英博物館の盗難はeBayで見つかった——2023年、約1500点が消えた宝石庫と「すべて所在確認済み」の返信 第4回

    前回のパルテノン彫刻は、世界中の目が注がれる中で「誰のものか」を問われ続けてきた。今回の品は逆で、誰の目にも触れない保管庫の箱の中にあった。多くは指先ほどの宝石で、台帳には番号さえ付いていなかった。なくなったことに最初に気づいたのは博物館ではなく、オンラインの競売サイトで買い物をしていた、館の外のひとりの研究者だった。

    2023年8月16日、「紛失・盗難・損傷」

    紀元前15世紀から19世紀までの、金の装身具と小さな宝石

    2023年8月16日、大英博物館は短い声明を出した。収蔵品の一部が「紛失、盗難、または損傷」していることが分かり、職員1人を解雇した。警察が捜査しており、外部の専門家による調査も始める、という内容だった。

    なくなったのは、展示室を飾る大きな彫刻ではない。声明によれば、金の装身具と、半貴石やガラスでできた宝石。年代は紀元前15世紀から紀元後19世紀にまたがり、ほとんどは保管庫にしまわれていて、近年は展示されていなかった品だという。指先に載るほどの大きさのものが多い。

    博物館は職員の名前を出さなかったが、数日のうちに新聞が名前を報じた。ピーター・ヒッグス。1993年からギリシャ・ローマ部門に勤め、古代ギリシャの収集品を担当する学芸員で、2021年からは部門長の代行も務めていた。前回、1937年にパルテノン彫刻を「白くするために削った」事件を見たが、あの彫刻を預かっているのと同じ部門である。30年勤めた人物だった。

    最初の反応は、戸惑いに近いものだった。ヒッグスの息子はタイムズ紙に「父のはずがない。何かがなくなっているとさえ思えない」と話している。一方、理事長のジョージ・オズボーン(元財務相)は同じ8月、BBCラジオ4の番組に出て、なくなった品はおよそ2000点にのぼると認め、博物館の幹部は集団思考(グループシンク)にとらわれて、宝物が持ち出されていると信じられなかったのではないか、と述べた。

    ここで先に断っておく。ヒッグスは一貫して容疑を否認しており、2026年4月の時点で逮捕も起訴もされていない。この回でヒッグスの行為として書くことは、博物館が民事訴訟の訴状で主張している内容であり、裁判所が事実と認定したものではない。そのうえで、この事件でいちばん奇妙なのは盗みそのものより、博物館が2年前に通報を受け、それを退けていたことのほうである。

    40ポンドで出品されたカメオ

    1926年の目録と、PayPalに出た名前

    通報したのは、デンマークに住むイッタイ・グラデルという人物だった。ローマの皇帝崇拝についての研究書をオックスフォード大学出版局から出した古代史家で、のちに古代の彫刻宝石を扱う美術商になった。

    彫刻宝石には2種類ある。石の層を彫り残して図柄を浮き上がらせるカメオと、石の表面に図柄を彫り込むインタリオ(凹彫り)だ。インタリオは蝋に押しつけると像が浮き出るので、古代には印章として使われた。どちらも小さく、多くは指輪や首飾りの金具に嵌められていた。

    グラデルは2014年ごろから、eBayで「sultan1966」と名乗る出品者から宝石を買うようになった。出品者は、祖父が戦間期にヨークでがらくた屋を営んでいて、その遺品だと説明していた。グラデルが買った品は、数年でおよそ70点になる。

    引っかかったのは2016年のことだ。同じ出品者が、紀元1世紀ごろのローマのカメオの断片を最低入札価格40ポンドで出品し、ほどなく取り下げた。グラデルはその図柄に見覚えがあった。1926年に大英博物館が刊行した収蔵宝石の目録、H・B・ウォルターズ編『大英博物館所蔵 ギリシャ・エトルリア・ローマの彫刻宝石とカメオ目録』に、線画で載っていた品に似ていたのである。オックスフォードの宝石研究者マーティン・ヘニグと目録を突き合わせると、sultan1966 がかつて出品した品のひとつが、この目録に図版として載っていることが確かめられた。

    出品者の正体は、取引の記録からたどれた。支払いに使うPayPalの口座には「Peter Higgs」という名前が出ていた。美術商の知人に聞くと、「それは大英博物館の学芸員の名前だ」と言われた。出品者が使っていたメールアドレスは「Bodrum1966」で始まっていた。ボドルムはトルコの港町で、古代にはハリカルナッソスと呼ばれ、世界の七不思議のひとつマウソロス霊廟があった場所である。霊廟の彫刻は大英博物館にあり、ヒッグスはボドルム出土の彫刻について書いていた。

    「すべて所在が確認されている」

    2021年2月の通報と、7月の返信

    2021年2月、グラデルは副館長ジョナサン・ウィリアムズに、集めた証拠を添えてメールを送った。書き出しはこうだ。

    大英博物館からの窃盗にかかわる、憂慮すべき発見をしたので連絡します。どうやら、あなたがたの学芸員のひとりによるものです。

    メールには、疑わしい学芸員の名前も書いてあった。館長ハルトヴィヒ・フィッシャーにも知らせている。

    博物館が2024年に高等法院へ出した訴状によれば、このあと館内で次のことが起きた。2月26日、古典学者のドロシー・ロベル・キングがヒッグスにメールを送り、eBayでのカメオやインタリオの販売をめぐって、誰かがあなたを「はめようとしている」と伝えた。ヒッグスは翌27日、このメールを副館長ウィリアムズに転送する。その直後に誤解を招く文書を作り、eBayとPayPalのアカウントを閉じた。2021年3月1日に作られたとされる一覧表の題は、「2005年に記録チームが見つけられなかった宝石」だった。問題の宝石は、ずっと前からなくなっていた——そう読める書類である。宝石が1963年に失われたとする手書きの書き込みも、偽って加えられていたと博物館は主張している。

    館内の調査を経て、2021年7月12日、ウィリアムズはグラデルに返信した。調査の結果、「問題の品はすべて所在が確認されている」。安全点検でも、手順は堅牢で収集品は守られていると確認された、と。同じ月のうちに、グラデルの主張は「まったく根拠がない」とも書き送っている。のちにグラデルは「要するに、余計な口を出すなと言われた」と振り返った。

    博物館自身が、2023年12月の発表でこの経緯を認めている。「博物館の調査は、主張に根拠がないと誤って結論づけた」。

    番号のない宝石は、消えても気づかれない

    1993年に1449点あった未登録品のうち、1161点が消えていた

    大英博物館に展示されているローマ時代のインタリオの指輪(登録番号 GR 1772,0314.139)。盗まれた品ではなく、宝石と台座の関係を示すための参考写真。盗難では、こうした台座から宝石が外されたとされる。2007年撮影。写真: Nic McPhee / CC BY-SA 2.0
    大英博物館に展示されているローマ時代のインタリオの指輪(登録番号 GR 1772,0314.139)。盗まれた品ではなく、宝石と台座の関係を示すための参考写真。盗難では、こうした台座から宝石が外されたとされる。2007年撮影。写真: Nic McPhee / CC BY-SA 2.0

    「所在が確認されている」と答えられたのには、理由がある。博物館の収蔵品には、ひとつずつ登録番号が振られる。たとえば「GR 1772,0314.139」なら、ギリシャ・ローマ部門(GR)が1772年3月14日に受け入れた品の139番目、という意味だ。番号があれば台帳と照合でき、なくなれば「どの品がない」と言える。

    ところが、大英博物館には番号の付いていない収蔵品が大量にあった。2023年10月の発表では、館の約800万点のうち、およそ100万点が未登録だった。

    訴状によれば、ギリシャ・ローマ部門の保管庫には、1993年の点検の時点で未登録の品が1449点あった。2023年に同じ保管庫を調べると、そのうち1161点、8割近くが見当たらなかった。2023年12月、博物館はこうまとめている。「主な標的になったのは、ギリシャ・ローマ部門の未登録の品、主に宝石と装身具だったとみられる」。台帳に載っていない品は、なくなっても台帳の上では何も起きない。

    登録済みの品も無傷ではなかった。博物館の集計では、被害はおよそ2000点。うち約1500点が紛失または盗難、約350点は金の台座など一部を取り外された品で、約140点には工具の傷が残っていた。訴状は、ヒッグスが宝石を金や銀の台座から引き剥がし、宝石だけを安値で売ったと主張している。取り外された金について、博物館は大半が地金として売られ、もう戻らないとみている。

    保管庫には2人1組で入る決まりがあったが、ヒッグスのような承認された職員は付き添いなしで入ることができた。訴状によれば、ヒッグスは2014年から2023年までに少なくとも24回入室し、ひとりで中を見て回ることがあったと本人も認めている。館のデータベースには、ヒッグスによる98件の書き換えが残っていた。博物館は、そのうち83件が、のちに損傷や盗難が判明した品に関するものだったとしている。

    暫定館長に就いたヴィクトリア&アルバート博物館の元館長マーク・ジョーンズは、1000万ポンドをかけて5年で全収蔵品を登録・デジタル化すると発表し、こう述べた。「盗難へのいちばん大切な対策は、公開を広げることだ。収集品はよく知られ、よく使われるほど、欠けたときに早く気づかれる」

    館長は辞め、博物館は元学芸員を訴えた

    2023年8月25日の辞任と、2024年3月26日の高等法院

    通報を退けたあとも、手がかりは館内から出てきた。2021年のうちに、内部監査の抜き打ち点検で、ギリシャ・ローマ部門の保管庫の品が1点、決められた場所にないことが分かる。2022年4月、保管庫と部門の宝石・装身具の点検が始まり、欠けている品が次々に見つかった。同じ年の10月、グラデルは今度は理事のひとりに手紙を書き、それが理事長オズボーンに届く。12月、監査の結果が幹部と理事長に上がり、理事長はすぐに警察を呼んだ。警察の求めで、公表は翌年の夏まで伏せられた。

    発表から1週間後の2023年8月23日、館長フィッシャーは、グラデルが手元の品をすべて明かしていなかったために調査が妨げられた、という趣旨の発言をした。グラデルは「真っ赤な嘘だ」と反論する。2日後の8月25日、フィッシャーは辞任を表明した。

    大英博物館が2021年の警告に、そしていま全容が現れた問題に、しかるべき包括さで対応しなかったことは明らかだ。その失敗の責任は、最終的に館長が負わなければならない。

    グラデルについての発言も、「判断を誤った。心から遺憾に思い、撤回する」と取り消した。副館長ウィリアムズも、調査が終わるまで職務から退いた。2023年12月12日には、元理事で弁護士のナイジェル・ボードマンらによる独立調査の勧告36項目が公表される。1項目めは、「何が博物館の収蔵品なのかを定める方針を持つこと」だった。270年続いてきた博物館が、自分の持ち物の範囲を定める方針を持っていなかったのである。報告書の本体は、警察の捜査を理由に公開されていない。

    2024年3月、博物館はヒッグスを相手に高等法院へ民事訴訟を起こした。3月26日の審理で、博物館側の弁護士は、ヒッグスが2009年7月から2018年1月にかけて「信頼される立場を濫用した」と述べ、偽名を使い、偽の書類を作り、館の記録を操作して足跡を消そうとしたと主張した。ロンドン警視庁の調べでは、2014年5月から2017年12月にかけて、ヒッグスのeBayアカウントから、館の収蔵品に似た品が96回、約45人の買い手に売られていた。取引には「ポール・ヒギンズ」という名前も使われていたという。ヘザー・ウィリアムズ判事は、手元に残る品を4週間以内に返却するか一覧にして示すこと、eBayとPayPalの記録を開示することを命じた。

    ヒッグスは体調を理由に審理に出なかった。強い精神的な負担のため治療を受けており、十分に応じられないと伝え、訴えには争う意向を示している。

    戻ってきた654点、溶かされた金

    2026年4月、告発者に贈られた「1753年」のメダル

    回収はグラデルから始まった。自分がeBayで買った品を直接返し、ほかの業者から買った分も含めた数百点を、コペンハーゲンのトーヴァルセン美術館を通じて返している。博物館の訴状によれば、2024年3月までに戻った356点のうち、約350点がグラデル経由だった。2024年2月、博物館は戻ってきた宝石のうち10点を館内で公開した。盗まれたことを、展示にしたのである。

    2024年5月には、FBIの協力で、ワシントンの収集家から一度に268点が戻り、合計は626点になった。関係者によれば、この収集家もeBayで買った買い手で、売り手は「ポール・ヒギンズ」と名乗っていたという。

    それでも、全部は戻らない。2026年1月、博物館は行方不明の品を追う専任の担当者を雇う方針を明らかにした。報道はこの職を「宝探し」と呼んだ。仕事は地味で、世界中の美術商、競売会社、収集家と連絡を取り、eBayのような転売サイトを見張り、戻ってきた品を合法的に国境を越えさせ、台帳に戻す書類を整える。それまでは5人のチームが本来の仕事と掛け持ちで追っていた。その時点で戻っていたのは654点。約1500点の半分にも届かない。ギリシャ・ローマ部門の責任者トム・ハリソンは、捜索は自分が「引退するか、土の下に入るまで」続くと話している。金の台座のほうは、すでに溶かされているかもしれない。

    2026年4月28日、グラデルはデンマークのホスピスで腎臓がんのため亡くなった。61歳だった。その数日前、大英博物館の館長ニコラス・カリナンは、彼に銀と七宝のメダルを贈っている。添えられた言葉は、「その専門知識と、不正は正されるべきだという情熱的な決意をたたえて」。

    メダルは、彫刻家フェリシティ・パウエルのデザインで2011年に鋳造されたもので、1753年の創設を記念している。第1回で見たとおり、1753年は医師ハンス・スローンが死に、「ばらさずに保存すること」を条件にした彼の収集品を、議会が宝くじで買い取ると決めた年である。その博物館の品を一点ずつ台帳と突き合わせ、欠けていると最初に言ったのは、館の外にいた、ひとりの美術商だった。

    この記事に出てくる観光スポット

    記事に登場した場所の見どころ・料金・アクセスは観光ガイドにまとめています。

    大英博物館|ロンドン観光スポット

    大英博物館

    連載「大英博物館物語」全 4 回

    1. 1大英博物館は1753年、宝くじで生まれた——国王は「国庫に2万ポンドもない」と断り、券は横流しされた 第1回
    2. 2ロゼッタ・ストーンは1801年、降伏したフランス軍から取り上げられた——側面には今も「英国陸軍が捕獲」の文字 第2回
    3. 3エルギン・マーブルは1816年、議会が3万5000ポンドで買った——伯爵は倍以上を使い、借金を残して死んだ 第3回
    4. 4大英博物館の盗難はeBayで見つかった——2023年、約1500点が消えた宝石庫と「すべて所在確認済み」の返信 第4回(この記事)

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    エルギン・マーブルは1816年、議会が3万5000ポンドで買った——伯爵は倍以上を使い、借金を残して死んだ 第3回

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