2026年10月16日文ジャスト・ロンドン編集部参考資料 4件

    歴史・事件ロンドンの街人物

    グローブ座の材木は1598年、地主の留守に運び出された——訴状には「剣と斧を持った12人」 第1回

    シェイクスピアのグローブ座は、新しい材木で建てた劇場ではない。借地の期限が切れ、移転先の計画も住民の反対で断たれた劇団は、1598年12月28日、地主の留守を狙って自分たちの劇場を解体し、その材木をテムズ川の南へ運んで組み直した。地主は「剣、短剣、斧で身を固めた12人」に壊されたと訴え、建物に700ポンド、踏み荒らされた芝に40シリングの値を付けたが、一度も勝てなかった。連載「グローブ座物語」の第1回。

    グローブ座の材木は1598年、地主の留守に運び出された——訴状には「剣と斧を持った12人」 第1回

    画像: Claes Janszoon Visscher II / Public domain, via Wikimedia Commons

    テムズ川の南岸、サザークに建つ白壁と藁葺き屋根の円い劇場は、いまのロンドン観光の定番だ。けれど、これは3代目にあたる。全4回の連載で、この劇場が生まれ、燃え、消え、建て直されるまでを、年代順にたどる。

    第1回の問いは、シェイクスピアの劇団は、なぜ自分たちの劇場をばらして川を渡ったのか。借地の期限切れ、移転先の挫折、地主との材木の取り合い。三つの事情が重なったところに答えがある。

    この回の流れ

    • 1576年 ショーディッチに「劇場」が建つ。ただし土地は借地
    • 1596〜1597年 移転先の計画が断たれ、借地の期限が切れる
    • 1598年12月28日 地主の留守に劇場を解体し、材木を運び出す
    • 1599〜1602年 地主は訴え続けるが、一度も勝てない
    • 1599年 そのあいだに、テムズ川の南でグローブ座が開く

    建物は一家のもの、土地は地主のもの

    1576年、ショーディッチの「劇場」

    ジェームズ・バーベッジは、もとは指物師(家具や建具を作る職人)で、若いころに役者へ転じた男だった。1576年、彼はロンドンの市壁のすぐ北、ショーディッチに木造の芝居小屋を建てた。名前は、「劇場(ザ・シアター)」。芝居はそれまで、宿屋の中庭や貴族の館の広間を借りて演じられることが多く、芝居のためだけに建てた建物そのものが珍しかった。

    この場所を選んだのには理由がある。そこは修道院解散で廃された修道院の跡地で、ロンドン市の外にあった。芝居を風紀の乱れと疫病のもとと見る市当局の取り締まりが、ここまでは届かない。

    ただし、土地はバーベッジのものではなかった。ジャイルズ・アレンという地主から、年14ポンド、21年の約束で借りた土地である。建物は自分で建てた自分のもの、その下の土地は他人のもの、ということになる。

    劇場は繁盛した。1590年代には、バーベッジの息子リチャードを看板役者に、シェイクスピアを座付きの劇作家に抱える一座が、ここを本拠にする。「宮内大臣一座」と呼ばれた一座である。

    借地の期限は、21年後の1597年4月に来る。建物は一家のもの、土地は地主のもの。このねじれが、期限が近づいたとき、大きな問題になっていく。

    移り先は、後援者の署名で断たれた

    1596〜1597年、ブラックフライアーズ

    期限まであと1年あまりとなった1596年2月4日、ジェームズ・バーベッジは先手を打った。テムズ川沿いのブラックフライアーズで、かつての修道院の建物の上階にある大部屋を、600ポンドで買い取ったのだ。借地ではなく、自分の持ち物になる建物である。ここを屋根のある劇場に作り替えれば、地主に気兼ねせず、天気も季節も気にせずに芝居が打てる。

    ところが同じ年の11月、近所の住人が枢密院(国王の諮問機関)に嘆願書を出した。劇場ができれば「浮浪者やふしだらな者」が集まり、太鼓やラッパの音が近くの教会の礼拝を邪魔する、という訴えだった。

    署名した住人の中に、ハンズドン卿ジョージ・ケアリーの名前がある。この年の7月に父を亡くし、バーベッジの一座の後援者の地位を継いだばかりの貴族だ。当時の劇団は後援者の名で呼ばれ、一座はこのとき「ハンズドン卿一座」を名乗っていた。自分の名を冠した一座の新しい劇場に、後援者その人が反対したことになる。枢密院は住人の側に立ち、ブラックフライアーズで芝居を打つ道は閉ざされた。

    移り先を断たれたまま、時間切れが来る。1597年2月、ジェームズ・バーベッジが死んだ。2か月後の4月、「劇場」の借地の期限が切れる。跡を継いだ二人の息子、兄のカスバートと弟のリチャードは延長を求めたが、地主のアレンは応じなかった。

    一座は「劇場」を出て、近くの別の芝居小屋「カーテン座」に移った。空になった「劇場」は、地主の土地の上に、兄弟の持ち物として立ち続けることになる。

    材木は誰のものか

    1597〜1598年、地主と兄弟の言い分

    空き家になった劇場をめぐって、二つの言い分がぶつかった。

    地主のアレンの考えは、のちに彼が裁判所に出した訴状にはっきり書かれている。

    この劇場から生じた甚だしい弊害を見て、私はこれを引き倒し、その木材と材木を、私の利益になる何かもっとよい用途に転じようと考えていた。

    借地の期限が切れた以上、土地の上にあるものは自分が好きにしてよい、という立場である。

    兄弟の側には、父が結んだ契約書があった。そこには、借り手は期間が終わるまでのあいだなら、「劇場あるいは芝居小屋として」自分が建てた建物を、取り壊して自分のものとして運び去ってよい、と書かれていた。建物は自分たちのものだから、ばらして持ち出すのは当然の権利だ、というわけだ。

    アレンには反論があった。その権利は、借り手が敷地の古い家屋や納屋の修繕に200ポンドをかけることと引き換えに認めたもので、修繕は果たされていない、と。しかも契約の文言は「期間が終わるまで」で、期間はすでに終わっていた。

    どちらが正しいかが決まる前に、先に材木を押さえたほうが有利なのは明らかだった。地主が劇場を引き倒せば、材木は地主の手に渡る。兄弟が先にばらして運び出せば、取り返すには地主のほうが裁判を起こすしかない。

    だから兄弟は、まず運び先を探した。見つけたのは、テムズ川の南、サザークのバンクサイドにある空き地である。地主のブレンド家と話をまとめ、借地の期間は1598年のクリスマスから始まることになった。運び先が決まれば、あとは地主の目が届かない日を選ぶだけだった。

    12月28日、地主の留守に

    1598年12月、解体

    1598年12月28日、新しい土地の借地が始まってから3日後。アレンはロンドンにいなかった。エセックスの屋敷で年末年始を過ごしていたのだ。その日、ショーディッチの「劇場」に大工の棟梁ピーター・ストリートと職人たちが集まり、建物をばらし始めた。

    地主の代理として留守を預かっていた者たちが駆けつけ、やめるよう求めた。アレンの借家人のひとりは、のちの法廷でこう証言している。棟梁たちは、取り壊すのは、同じ土地に別の形で建て直すためだと答え、建物の傷んだところを見せて回った。それなのに、彼らは劇場を引き倒し、運び去ってしまった、と。

    アレン自身は、3年後に星室裁判所(国王の評議会が開く特別な法廷)へ出した訴状で、この日のことをこう描いている。

    カスバート・バーベッジは、弟や大工の棟梁ら12人ほどの者と示し合わせ、12月28日ごろ、剣、短剣、鉈、斧などの不法で危険な武器で身を固め、劇場へ押しかけた。(中略)そして、きわめて暴力的で騒々しいやり方で劇場を引き倒し、私の使用人や借家人ばかりか、近くに住む陛下の忠実な臣民の多くを恐れおののかせた。

    訴状は相手をできるだけ悪く描くための書類なので、割り引いて読む必要がある。斧は、木造の建物をばらすのにそもそも要る道具でもある。

    解体は一晩で終わった、とよく語られる。けれど、重い梁や柱を傷めずに外し、川の向こうまで運ぶ作業が、一晩で済むとは考えにくい。英国国立公文書館の訴訟記録を紹介するフォルジャー・シェイクスピア図書館の解説も、少なくとも1週間はかかったはずだとしている。

    こうして材木は、テムズ川の南の空き地へ運ばれた。地主が裁判で取り返そうとしたときには、材木はもう川の向こうにあった。

    地主は3つの法廷に訴えた

    1599〜1602年、踏まれた芝は40シリング

    材木を持ち去られたアレンは、すぐに訴えた。1599年の年明けの開廷期に、女王座裁判所(国の上級裁判所のひとつ)で不法侵入の訴えを起こす。被告は大工のストリートひとり。名目上の相手は棟梁だが、狙いはバーベッジ兄弟である。

    ラテン語で書かれた訴えの文面が残っている。ストリートは1599年1月20日、武力をもってアレンの囲い地に押し入り、

    そこに生えていた、40シリングに値する原告の草を、足で歩いて踏みつけ、台無しにした。さらに、そこに建っていた「劇場」と呼ばれる、700ポンドに値する原告の建物を、取り壊し、引きはがし、奪い、運び去った。

    日付が、解体の始まった12月28日から3週間あとになっている。作業は年をまたいで続いていたのかもしれない。求めた損害は800ポンド。芝を踏みつけたという一句は、土地への不法侵入を訴えるときの決まり文句でもあるのだが、700ポンドの劇場と40シリングの芝が同じ文に並ぶと、どうしてもおかしみが出る。

    兄弟は、別の裁判所を使って反撃した。1600年1月、カスバートは、衡平法(ふつうの法律では救えない事情を汲む、もうひとつの法体系)を扱う請願裁判所に訴え出て、アレンの訴訟を止めるよう求める。請願裁判所は4月10日に差し止めを命じ、10月18日の判決で、劇場の取り壊しについてアレンが今後いっさい訴えることを禁じた。

    それでもアレンは引き下がらなかった。1601年には名目を契約違反に変えて女王座裁判所に訴え直し、同じ年の11月には星室裁判所へ、暴動、偽証、証人への脅迫の罪で兄弟らを訴えた。前の節で引いた「剣、短剣、鉈、斧」は、このときの訴状の一節である。

    星室裁判所の最終判決は失われている。ただ、アレンが一連の訴訟でついに勝てなかったことは分かっている。劇場の材木を「もっとよい用途」に使うつもりでいた地主は、先に材木を持ち去られ、そのあと3年あまりを法廷で過ごした。

    そのあいだに、川の南で

    1599年、グローブ座が開く

    アレンが法廷で争っていたあいだに、テムズ川の南では新しい劇場が姿を現していた。1599年2月21日、ブレンド家との借地の契約書に正式な署名がなされ、5月には、ブレンド家の記録にもう「新しく建てられた家」が出てくる。名前はグローブ座。「地球」を意味する。

    持ち主の顔ぶれは、ショーディッチのころと変わった。土地の借り手は二つに分けられ、半分をバーベッジ兄弟が、残る半分を一座の役者5人が持った。5人はまもなく持ち分を一人ずつに分け直し、それぞれが全体の10分の1を持つ形にしている。その5人のひとりが、ウィリアム・シェイクスピアだった。一座の劇作家が、自分の芝居を上演する劇場の持ち主にもなったのである。

    建てる金は、借金でまかなった。36年後の1635年、カスバートは宮内大臣に宛てた嘆願書で、こう振り返っている。

    (父の死後、地主との)争いが私たちに降りかかったので、そこから移ることを考え、同じだけの費用をかけてグローブ座を建てた。これも利子付きで借りた金で、長年私たちに重くのしかかった。そして私たちは、シェイクスピアら、ふさわしい者たちを仲間に加えた。

    その年の9月21日、スイスから来た旅行者のトマス・プラッターが、昼食のあと川を渡って芝居を見た。日記には、「藁葺き屋根の家」で、およそ15人の役が出る「最初の皇帝ユリウス・カエサルの悲劇」をとてもよく演じていたことが書いてある。劇場の名前は書かれていないので、すぐ近くのローズ座だった可能性も残るが、シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』が書かれたころの記録として、よく引かれる。

    こうして、借地の期限切れから始まった騒ぎは、川の南の新しい劇場に落ち着いた。冒頭の問いに答えるなら、劇団が劇場をばらして川を渡ったのは、自分たちの建物を、地主より先に、自分たちの使える土地へ移すためだった。

    ――次回。新しい劇場の屋根は、プラッターが書いたとおり藁葺きだった。1613年6月29日、新作『ヘンリー八世』の上演中、祝砲の詰め物がその屋根に落ちる。

    参考資料

    1. 「劇場」の取り壊しをめぐる訴訟記録(地主アレンの訴状・証言録・賃貸契約の写しを収録した、ウォレス編『最初のロンドンの劇場』)原典ネブラスカ大学(『ネブラスカ大学研究紀要』第13巻)1913archive.org(新しいタブで開きます)
    2. 星室裁判所「アレン対バーベッジ」訴訟記録(英国国立公文書館 STAC 5/A12/35)所蔵フォルジャー・シェイクスピア図書館「シェイクスピア・ドキュメンテッド」1602shakespearedocumented.folger.edu(新しいタブで開きます)
    3. ブラックフライアーズの劇場に反対する住民の枢密院への嘆願書(英国国立公文書館 SP 12/260)所蔵フォルジャー・シェイクスピア図書館「シェイクスピア・ドキュメンテッド」1596shakespearedocumented.folger.edu(新しいタブで開きます)
    4. グローブ座の持ち分をめぐる訴訟でのヘミングズとコンデルの答弁書(英国国立公文書館 REQ 4/1/2/2)所蔵フォルジャー・シェイクスピア図書館「シェイクスピア・ドキュメンテッド」1619shakespearedocumented.folger.edu(新しいタブで開きます)

    記事の主な日付・数字・引用は、上の資料と照らし合わせて確かめています(2026年10月確認)。

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