2026年8月7日

    白い戦車に乗ったデイム — 宮殿の前でひるがえったスカートから、クラパムの最期まで ヴィヴィアン・ウェストウッド物語 第3回(最終回)

    1992年、女王から勲章を受け取った彼女は、宮殿の外で報道陣の前でくるりと回った。下着は履いていなかった。2015年、彼女は白い装甲車に乗って首相の自宅前に現れた。2020年、79歳で巨大な鳥かごに入り、地上3メートルに吊り下がった。ファッションデザイナーが本気で政治活動家になっていく晩年と、彼女が去ったあとのロンドンで実際に彼女に会える場所を追う、全三回の最終回。

    白い戦車に乗ったデイム — 宮殿の前でひるがえったスカートから、クラパムの最期まで ヴィヴィアン・ウェストウッド物語 第3回(最終回)

    「私たちにあるのは服だけじゃない。声もある」——晩年のヴィヴィアン・ウェストウッドは、コレクションを発表するたびに、服よりも先にスローガンを掲げるようになった。世界最高峰のブランドの創業者が、自分のランウェイを使って「ものを買うな」と言い始めたのである。

    1992年12月15日、宮殿の前でひるがえるスカート

    体制が反逆者を吸収するとき

    1992年12月15日、バッキンガム宮殿。ヴィヴィアン・ウェストウッドは、エリザベス2世からOBE(大英帝国勲章オフィサー)を受章した。叙勲理由は「ファッションデザインへの貢献」。

    式が終わり、彼女は宮殿の外に出て、待ち構えていた報道陣の前に立った。仕立ての良いスーツ。そして——その場でくるりと一回転してみせた。 スカートは遠心力で水平に持ち上がり、その下に彼女が何も履いていないことが、複数のカメラに記録された。

    翌日の新聞は一面でそれを報じた。女王がこの件について公に語ったことはないが、ウェストウッド自身は後年、「あの写真を女王は面白がったと聞いた」と述べている。

    この一回転は、単なるいたずらではない。第1回で見たとおり、彼女はかつて女王の肖像を切手ごと逆さの十字架と並べたTシャツを売り、猥褻物陳列で有罪判決を受けた人物である。その同じ人物が、いまや国家から勲章を受けている。体制は反逆者を罰することに失敗すると、次に勲章を与えて回収しようとする。 その回収の瞬間に、彼女は勲章を突き返すのではなく、受け取ったうえで、宮殿の門前で下着を履いていないことを見せた。

    断らない。しかし、飼い慣らされもしない。この距離の取り方は、以後30年の彼女のふるまいの原型になる。

    2006年、彼女は**デイム(Dame)**に叙された。ナイトに相当する女性の位である。授与したのは当時のチャールズ皇太子——のちのチャールズ3世。正式名称は「デイム・ヴィヴィアン・ウェストウッド」となった。

    V&Aの回顧展、そして東京へ

    その2年前の2004年4月1日から7月13日まで、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)で、彼女の回顧展が開かれた。キュレーターはクレア・ウィルコックス。存命のイギリス人ファッションデザイナーに捧げられた展覧会としては、史上最大規模だった。副題は「34 Years in Fashion(ファッションの34年)」。本人のアーカイブとV&Aの収蔵品から、150点を超える衣服が並んだ。

    この展覧会はその後、世界を巡回した。キャンベラのオーストラリア国立美術館、上海、台北、デュッセルドルフ、バンコク——そして2005年11月23日から2006年1月15日まで、東京の森アーツセンターギャラリー。六本木ヒルズで彼女の服を見た人は、当時決して少なくなかったはずだ。

    「買う量を減らせ」— 自分の商売を否定する経営者

    Buy less. Choose well. Make it last.

    2000年代後半から、彼女の関心は明確に服の外へ出ていく。2007年には「Active Resistance to Propaganda(プロパガンダへの能動的抵抗)」と題した文章を発表し、消費社会と大量生産の文化を正面から批判した。

    そして2012年、ロンドン・パラリンピックの閉会式という巨大な舞台で、彼女は「Climate Revolution(気候革命)」を立ち上げる。世界中が見ている国家的セレモニーを、そのまま自分のキャンペーンの発射台に使ったのである。

    彼女がこの時期に繰り返した言葉は、たった三つの命令文だった。

    「Buy less. Choose well. Make it last.」 (買う量を減らしなさい。よいものを選びなさい。長く使いなさい。)

    改めて考えると、これは異様な発言である。世界中に店を構えるファッションブランドの創業者が、自社の売上を減らすことを公言している。 しかも「エシカルな商品もご用意しました」ではなく、「そもそも買うな」と言っている。

    彼女の論理は一貫していた。ファッション産業が売っているのは、実際には「新しさ」という消費のリズムであって、服そのものではない。だから産業の速度を落とすには、服を良くするだけでは足りず、買う回数を減らすしかない。「安いものを10着買うより、高くていいものを1着買って直しながら着るほうが、あなたにとっても地球にとっても安い」——彼女はそう繰り返した。

    この主張は、当然ながら彼女自身のビジネスと矛盾する。批判もされた。だが彼女はその矛盾を解消しようとしなかった。矛盾したまま、両方を続けた。

    なお、彼女のブランドは同時期にケニアのナイロビなどで現地の職人と組む取り組みも行っている。「作るな」ではなく「作り方と買い方を変えろ」という主張だった、と読むのが公平だろう。

    白い戦車と、黄色いカナリア

    2014–2020年、路上に出た老デザイナー

    2014年3月、72歳で髪を剃る

    2014年、彼女は自宅のある南ロンドンのクラパムでのデモに、丸刈りの頭で現れた。72歳だった。理由は二つあると本人側は説明している。ひとつは「世界に気候変動へ目を覚ませと伝えるため」。もうひとつは、自分の年齢を受け入れ、白髪をそのまま伸ばすため

    以後、彼女のトレードマークは、燃えるようなオレンジの髪から、白い短髪と白塗りに近い肌になっていく。第2回で見たとおり、この人は一貫して「身体を記号として使う」ことをやってきた。老いた自分の頭を、そのまま看板にしたのである。

    2015年9月11日、首相の自宅前に装甲車で乗りつける

    2015年9月11日、オックスフォードシャー州チャドリントン。当時の首相デイヴィッド・キャメロンの自宅前に、一台の白い装甲兵員輸送車(APC)が現れた。上に立っていたのは、ヴィヴィアン・ウェストウッド、74歳である。

    目的は、シェールガスのフラッキング(水圧破砕法)採掘の新規ライセンス発給への抗議だった。彼女はランカシャーやヨークシャーから来た「ナナ(おばあちゃん)」たちと孫世代を伴い、車上から模擬的な「化学攻撃」を仕掛けてみせた。

    彼女の主張はこうだ。

    「キャメロンは、外国の指導者が自国民に化学物質を使ったと言って体制転換を正当化する。だが彼自身が、イギリスでまさに同じことをしている。自国の主席科学顧問の助言に反して、有毒で生命を脅かすフラッキングの化学物質を、自国民に押しつけているのだ」

    ちなみにキャメロンは不在だった。その日彼はリーズにいて、「ヨークシャーの人間は互いを憎み合っている」と発言して別の炎上を起こしている最中だった。

    2020年7月21日、鳥かごの中の79歳

    2020年7月21日の朝8時、ロンドンの中央刑事裁判所——通称オールド・ベイリー。ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジの、アメリカへの身柄引き渡し審理が行われようとしていた。

    そこに、鮮やかな黄色のスーツと黒いコンバットブーツを身につけた79歳の女性が現れた。15分後、彼女は巨大な鳥かごの中に入り、地上10フィート(約3メートル)に吊り上げられた

    なぜ黄色なのか。彼女は説明した。かつて炭鉱夫は、有毒ガスを検知するためにカナリアを坑内へ連れて行った。ガスが出れば、まず鳥が死ぬ。

    「ジュリアン・アサンジは、かごの中のカナリアです。彼は大きな網で捕らえられ、陽の当たる場所から連れ出されて、かごに押し込まれた」 「真実を語ることは、犯罪ではありません」

    服ではなく、自分の身体を、意味を運ぶ装置として使う。第1回で見た「for soldiers prostitutes dykes + punks」のタグから、44年が経っていた。方法は何ひとつ変わっていない。

    息子がパンクを燃やした日

    2016年11月26日、チェルシー・エンバンクメント

    2016年は、イギリスにとって「パンク40周年」の年だった。ロンドン市長肝いりで「Punk London」と銘打った一年がかりの記念事業が組まれ、コンサート、展覧会、映画上映が次々に行われた。大英図書館もブリティッシュ・ミュージックも参加した、公式の、健全な、資金のついたお祝いである。

    11月26日、テムズ川のチェルシー・エンバンクメントに一隻の艀(はしけ)が浮かんだ。その上で、ジョー・コレは自分が所有していたパンクの記念品コレクションに火をつけた。

    ジョー・コレ——第1回に登場した、ヴィヴィアン・ウェストウッドとマルコム・マクラーレンの息子である。燃やされた品の総額は、彼の申告で約500万ポンド(当時のレートでおよそ7億円)。パンク全盛期に母が着ていたボンデージ・ジャケット、1980年製のシド・ヴィシャス人形、ジョニー・ロットンのトラウザーズ。歴史的価値でいえば、そのままV&Aの一室が作れる量である。

    炎の隣に、母が立っていた。

    彼らの主張は明快だった。パンクとは体制への攻撃だったはずのものである。それを市長と企業がお祝いし、記念グッズを売り、観光資源にする——そのとき、パンクは商品として完成し、思想としては死ぬ。だから燃やす。

    「パンクは、もはや反抗ではなくなった。若い人たちに、自分の頭で何かを始めろと言うために、これを燃やす」

    第1回で見た「安全ピンとゴミ袋でパンクスが自分の服を作った」という事実と、この焚き火は、まっすぐ一本の線でつながっている。この一家にとって、保存されたパンクは死んだパンクだった。

    この行為には当然、強い批判もあった。「歴史の破壊だ」「金持ちの道楽だ」「結局これも巨大な宣伝だ」。実際、燃やされた品の多くは他に現存しない一点物であり、失われたものは戻らない。彼らはその批判を承知のうえでやった、というのが正確なところだろう。服を燃やして議論を起こすこと自体が、この母子にとっては50年間ずっと同じ仕事だった。

    2022年12月29日、クラパム

    静かな最期と、遺されたもの

    2022年12月29日、ヴィヴィアン・ウェストウッドは、南ロンドンのクラパムにある自宅で、家族に囲まれて息を引き取った。81歳だった。

    夫であり、30年以上にわたって共同で服を作り続けたアンドレアス・クロンターラーは、こう述べた。

    「私は、ヴィヴィアンを胸に抱いたまま、続けていきます」

    第2回で見たとおり、二人はウィーンで教師と学生として出会い、1993年に結婚した。2016年以降、ブランドのメインラインは「Andreas Kronthaler for Vivienne Westwood」の名で発表されている。彼女の死後も、そのコレクションは続いている。彼が彼女自身のワードローブから服を引っ張り出してランウェイに載せた回もあった。

    もうひとつの継承がある。彼女が2019年に設立した「The Vivienne Foundation(ヴィヴィアン財団)」である。掲げられた柱は四つ。

    1. 気候変動を止める
    2. 戦争を止める
    3. 人権を守る
    4. 資本主義に抗議する

    ファッションブランドの創業者が作った財団の綱領としては、最後の一項がやはり異様である。運営は息子のジョー・コレと、孫のコーラ・コレが担っている。パンクを燃やした人物が、母の遺志を継ぐ財団を回している。

    ウェストウッドの生涯を通して見ると、彼女がやったことは驚くほど一貫していた。目の前にある形を疑い、分解し、意味を抜き取って、別の目的で組み直す。 対象がテディボーイのジャケットであれ、18世紀のコルセットであれ、大英帝国勲章であれ、政治的な議論であれ、手つきは同じだった。彼女はファッションデザイナーである以前に、そういう作業をする人だった。

    ロンドンで、彼女に会う

    訪ねられる三つの場所

    この連載で触れた場所の多くは、いまも実際に訪ねることができる。ロンドンに行くなら、次の三つが押さえどころになる。

    1. 430 King's Road, Chelsea —「ワールズエンド」

    第1回の主役だった、あの住所である。1971年から一度も引っ越していない。看板は1980年から「Worlds End」のまま。

    店構えは18世紀のガレオン船とディケンズの骨董屋を混ぜたもので、床はいまも斜めに傾いている。そして正面には、文字盤が13時間あり、針が猛烈な速さで逆回転する例の時計が掛かっている。

    公式のヴィヴィアン・ウェストウッド直営店として現在も営業しており、ここでしか扱わないワールズエンド・ラインの服が並ぶ。営業は月〜土のおおむね10:00〜18:00、日曜休(訪問前に公式サイトで確認を)。地下鉄なら Sloane Square 駅から King's Road を西へずっと歩くことになるが、この通りそのものが1970年代ロンドンの現場なので、歩く価値はある。入場料のいらないパンクの聖地は、事実上ここだけである。

    2. ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)— サウス・ケンジントン

    ウェストウッドの作品を最も多く所蔵しているのがV&Aである。Seditionaries時代の服、ボンデージ・スーツ、そして第2回でネイオミ・キャンベルが転んだ、あの青いスーパー・エレヴェイテッド・ギリー——中敷きに青いボールペンで「NAOMI」と書かれた一足も、ここにある。

    ただし注意点として、これらは常設展示ではない。V&Aの衣装コレクションは膨大で、収蔵品は入れ替え制であり、多くは「非展示」「要予約閲覧」の状態にある。目当ての品があるなら、V&Aのオンライン・コレクション検索で現在の展示状況を確認してから行くのが確実だ。ファッション・ギャラリー自体は常に何かしら見応えがあるので、無駄足にはならない。入館無料。

    3. ウォレス・コレクション — マンチェスター・スクエア

    第2回で見た、彼女が通い詰めた美術館である。この記事の第2回の扉に使ったブーシェの『ダフニスとクロエ』(1743年)を所蔵しているのがここだ。1990年の「ポートレート」コレクションで、コルセットの前身頃に印刷されたあの絵である。

    オックスフォード・ストリートのすぐ北、ボンド・ストリート駅から徒歩数分という一等地にありながら、観光客の動線からわずかに外れているため、いつも驚くほど空いている。入館無料。 ロココの絵画と甲冑と18世紀フランス家具に囲まれた邸宅で、「私のアイデアはすべて過去のアイデアを研究することから来ている」と言った人が何を見ていたのかを、そのまま追体験できる。


    チェシャーの村に生まれ、美術学校を1学期で辞め、小学校で算数を教えていた女性が、猥褻物陳列で有罪判決を受け、パンクの制服を作り、18世紀の博物館に通い、デイムに叙され、装甲車に乗り、鳥かごに吊り下がって死んだ。

    その全部を貫いていたのは、たぶん、たった一つの態度である。目の前にあるものが「なぜこの形なのか」を、決して当たり前だと思わないこと。

    キングス・ロード430番地の時計は、いまも逆向きに回っている。

    (ヴィヴィアン・ウェストウッド物語・完)

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