2026年8月3日

    ウェディングケーキの形は、ロンドンの教会の尖塔から生まれた — クリストファー・レン物語 第2回

    1666年のロンドン大火で86の教区教会が焼け落ちた。国王直属の建築総監となったクリストファー・レンが引き受けたのは、そのうち51の教会を石炭税というユニークな財源で甦らせるという仕事だった。今日私たちが結婚式で食べる「あの形のケーキ」も、実はこの再建プロジェクトの副産物だったことをご存じだろうか。全3回連載の第2回。

    ウェディングケーキの形は、ロンドンの教会の尖塔から生まれた — クリストファー・レン物語 第2回

    都市計画こそ潰えたものの、クリストファー・レンには焼け落ちた教区教会を建て直すという、もうひとつの巨大プロジェクトが残されていた。石炭に課された税金を財源に、40年近くかけて51の教会を甦らせたこの仕事は、単なる「復旧工事」にとどまらず、後世に多くの逸話と、意外な副産物を残すことになる。

    86分の51 — なぜ全部の教会を建て直さなかったのか

    石炭税という財源

    1666年の大火で焼失した教区教会は86にのぼった。しかし戦後の街づくりと同じように、教区の人口も財政も戦前とは変わってしまっている。すべてを元通りに再建するのは非現実的だと判断され、1670年代のロンドン再建法によって、隣接する教区を統合したうえで51の教会(とセント・ポール大聖堂)だけを再建するという方針が決定された。焼け残った教区は隣と合併させられ、なかには自分たちの教会が消えることに激しく抵抗した住民もいたという。

    再建費用をどこから捻出するかも大きな問題だった。採用されたのは、ロンドン港に入ってくる石炭1トンにつき1シリングを課すという石炭税だった。当時のロンドンは暖房も工業も石炭に依存しており、これは実質的に「燃料に対する復興特別税」だったといえる。この税収は教会の再建だけでなく、セント・ポール大聖堂の再建費用や、道路の拡幅工事にも充てられ、1716年まで実に半世紀近くにわたって徴収され続けた。

    レンは51の教会を「一人で」設計したわけではない

    近代的な建築事務所の誕生

    国王直属の建築総監に任命されたレンだが、51もの教会すべてに一人で目を通し、細部まで設計するのは物理的に不可能だった。そこでレンが取った方法は、今日の「設計事務所」の原型ともいえるものだった。腹心の科学者仲間でもあったロバート・フックや、ウェストミンスター寺院の建築監督エドワード・ウッドルーフをはじめ、後年にはニコラス・ホークスムア、ウィリアム・ディキンソン、ジョン・オリヴァーといった若手も加わり、レンを中心とするチームが各現場を分担して監督する体制が組まれた。

    この分業体制のおかげで、51の教会はどれも似たり寄ったりの量産型にはならず、それぞれ驚くほど個性豊かなデザインになっている。加えて、多くの教会では中世からの土台をそのまま再利用し、崩れた別の建物から使えるレンガや石材を回収して転用した。そのため敷地の形は教区ごとにいびつで不揃いなまま残り、レンのチームはその制約のなかで工夫を凝らして設計せざるを得なかった。この「制約から生まれる多様性」こそが、今日シティを歩くと同じ建築家の仕事とは思えないほど教会ごとに表情が違う理由になっている。

    尖塔だけが何十年も遅れて生えてきた

    財政難が生んだ「後づけ」の塔

    51の教会の多くは1670年代前半に着工しているが、身廊や壁がひとまず完成した後も、教会を象徴する尖塔(スティープル)だけは長らく建てられずに放置されるケースが相次いだ。理由は単純で、石炭税の税収が思うように集まらず、装飾性が高く費用のかさむ尖塔部分の予算がなかなか確保できなかったからだ。結果として、多くの教会で尖塔の完成は1700年代に入ってからとなり、なかにはレン自身が現役を退いた後、弟子のホークスムアらの手によって数十年越しに完成した塔もある。

    つまり私たちが今日「レンの教会」として見上げている塔の多くは、教会本体が建てられてから一世代近く遅れて後づけされたものなのだ。焼け跡の応急復旧としての本体と、街の誇りを取り戻すための象徴としての尖塔——このふたつは、実は同時に生まれたものではなかった。

    ケーキ職人が見上げた尖塔

    セント・ブライド教会と「ウェディングケーキ」伝説

    51の教会のなかでも、フリート・ストリートのセント・ブライド教会の尖塔は際立った存在だ。1703年に完成したこの塔は、四角い箱を積み重ねたような、段々に細くなっていく八層構造をしており、高さはセント・ポール大聖堂に次いでレンの作品中2番目に高い約69メートルに達する。

    この尖塔にまつわる有名な逸話がある。18世紀、見習いパン職人だったウィリアム・リッチという青年が、修業先の主人の娘に恋をし、やがて一人前の職人となって結婚を許された。特別な結婚式のケーキを考案しようと頭を悩ませていた彼が、ふと目を上げると、そこにあったのがセント・ブライド教会の段々になった尖塔だった。その姿にひらめきを得て、リッチは何段も積み重ねた層状のケーキを作り上げたという。これが、今日世界中の結婚式で見られる「段々重ねのウェディングケーキ」の起源だと語り継がれている。真偽のほどを完全に裏づける記録は残っていないが、この教会が今もジャーナリストと出版業者の「守護教会」として、そしてウェディングケーキ発祥の地として親しまれていることは事実だ。

    大火記念塔は、教会ではなく「巨大な望遠鏡」だった

    レンとフックが仕込んだもう一つの顔

    51の教会とあわせてこの時期に建てられたのが、大火の出火現場近くに立つ「ロンドン大火記念塔(モニュメント)」だ。高さは202フィート(約61メートル)、これは塔の土台からプディング・レーンの出火地点までの距離とぴったり一致するように設計されている。設計はロバート・フックが主導し、レンが監修する形で進められた。

    だがこの塔には、記念碑という以上のもうひとつの目的が隠されていた。フックはこの塔を、天頂方向の恒星のわずかな位置変化を測定する「天頂望遠鏡」として使うことを計画していたのだ。地球が太陽の周りをどれくらいの半径で公転しているかを、恒星の見かけの動きから逆算しようという野心的な試みだった。塔の基部には観測結果を記録するための地下実験室が設けられ、内部の螺旋階段は段差がすべて正確に6インチに統一された。振り子や落下実験、気圧測定にそのまま使えるようにという設計だった。ところが実際に稼働させてみると、周囲を行き交う馬車の振動や風による塔自体の微妙な揺れが誤差を生み、期待したほど精密な観測はできなかった。実験としては失敗に終わったものの、「記念碑であり同時に科学装置でもある建造物を作る」という発想そのものが、科学者から建築家に転じたレンと、生涯実験を愛し続けたフックという二人の個性を色濃く物語っている。

    次回予告 — 35年かけて建てられた「もうひとつの顔」

    第3回へ続く

    51の教会と大火記念塔を仕上げてもなお、レンの最大の仕事は終わっていなかった。焼け落ちた旧セント・ポール大聖堂の再建である。国王への提出案が二転三転し、着工から完成まで実に35年を要したこのプロジェクトには、ドームの構造に隠された知られざる工夫や、レン自身が携わった最後の大仕事にふさわしいエピソードが数多く残されている。次回、最終回となる第3回では、このセント・ポール大聖堂の物語を追う。

    ← コラム一覧に戻る