連載「NHS物語」全 2 回 の第 2 回
NHSは1948年7月5日に始まった——前夜、保健大臣ベヴァンは保守党を「害虫以下」と呼んだ 第2回
1948年7月5日、イギリスで国民保健サービス(NHS)が始まった。それまでの2年間、保健大臣ベヴァンは医師会と正面からぶつかり、専門医には病院で有料の患者を診る道を残して反対を和らげた。開始の前夜、彼は演説で保守党を「害虫以下」と呼び、翌朝、マンチェスター近郊の病院で鍵を受け取った。

画像: University of Liverpool Faculty of Health & Life Sciences / CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
連載「NHS物語」の第2回。前回は、NHSが生まれる前の医療と、その設計図となった1942年の報告書の話だった。今回は、法律が成立してから実際に始まるまでの2年間、医師たちとの争いと、始まりの日の話。
病院を国のものにする
1946年11月、法律の成立
1946年11月6日、国民保健サービス法が成立した。実際に始まる日は、のちに1948年7月5日と決まる。
法律の柱は三つあった。まず、篤志病院も自治体の病院もまとめて国が引き取り、地域ごとの委員会に運営させる。次に、かかりつけ医は国と契約を結び、登録した患者の数に応じて報酬を受け取る。診療所の権利を売り買いする慣行は禁じる。そして、すべての人に医療を無料で行き渡らせる。
議会でいちばん激しく争われたのは、病院を国のものにすることだった。保守党の議員は、寄付に支えられた病院への愛着を説いた。労働者も貧しい人も、自分たちの病院を誇りに思い、喜んで寄付をしてきた。保健大臣はそれを壊そうとしている。大臣が思い描いているのは、誰もが国に払わされる分だけ払い、国から取れる分だけ取る社会ではないのか——。
ベヴァンの側も、根回しを怠らなかった。病院で働く専門医には、病院の中で有料の患者を診ることを認める、と法案の説明の時点で約束している。個室の有料ベッドも病院に残した。のちに、反対していた専門医たちをどうやって黙らせたのかと聞かれて、ベヴァンは「彼らの口を金で詰めてやった」と答えたと伝えられる。
「政治に毒された少数の人々」
1948年2月、医師会の記名投票
専門医を味方に引き寄せる一方で、かかりつけ医を中心とする英国医師会は、法律そのものに反対し続けた。診療所の権利を売れなくなることへの反発。そして、国と契約すれば、いずれ給料で縛られる公務員にされるのではないかという恐れ。医師たちの不満は、そこに集まっていた。
開始まで5か月を切った1948年2月、医師会は会員に投票を求めた。問いは、1946年の法律を今の形のまま認めるか、認めないか。今の形のまま、この法律のもとで働くことを受け入れるか、受け入れないか。名前を書いて答える記名の投票だった。
2月9日、下院はこの問題を審議した。ベヴァンは、医師会の幹部が医師たちに事実を正しく伝えていないと非難し、彼らを、最初から法律と戦うと決めていた「政治に毒された少数の人々」と呼んだ。ある議員は、歯科にも眼科にも個人の開業にも別々の考えがありうる法律に、まとめて一つの賛否を問うのは、何か食べるかどうかを聞いて、牡蠣が好きかを知ろうとするようなものだ、と投票の作りを皮肉った。保守党の議員は逆に、保健大臣の乱暴なやり方が、4万人の英国の男女を、自分たちの良心と自由を守るために立ち上がらせたのだ、と大臣を責めた。
投票の結果は、法律への反対が圧倒的だった。医師がそろって背を向ければ、制度は始まる前に崩れかねない。開始の日は、5か月後に迫っていた。
口約束では足りない
4月の譲歩
4月7日、ベヴァンは下院で譲歩を発表した。医師たちの不安の根には、法律に書かれていない一つの恐れがある、と彼は言った。この制度の本当の狙いは、医師を全員給料で雇う国営の医療ではないのか——。
1946年にも、ベヴァンは議会で、そのつもりはないと述べていた。だが今回は、口約束以上のものが要ると認めた。医師を全員給料制にする国の医療は、規則を変えるだけでは導入できず、改めて法律を作らなければできない。それを法律にはっきり書き込む、と約束したのである。
かかりつけ医の報酬に組み込む予定だった年300ポンドの固定給も見直した。開業したての医師は最初の3年間これを受け取るが、その先は、固定給と患者数に応じた報酬を組み合わせるか、患者数に応じた報酬だけにするかを、医師が自分で選べるようにする。固定給は医師を公務員にする第一歩だ、という疑いへの答えだった。
5月にもう一度行われた投票のあと、医師会は5月の末、新しい制度に協力することを決める。ベヴァンは譲歩したが、法律の骨組みは変えていない。病院を国のものにすることも、診療所の売買の禁止も、無料の原則も残った。彼が手を打ったのは、法律の文言よりも、医師たちの気持ちに対してだった。
「害虫以下」
7月4日夜、マンチェスターの演説
開始の前の晩、1948年7月4日、ベヴァンはマンチェスターのベル・ビューで開かれた労働党の大集会で演説した。翌日の新聞が伝えたその言葉は、祝いの前夜にはおよそふさわしくないものだった。
若いころ、彼は姉の稼ぎで食いつなぎ、国を出て移民しろと言われたことがあった。その苦い経験を語ったうえで、彼はこう言った。どんな甘言も、そうした経験を私に負わせた保守党への、胸の奥で燃える深い憎しみを消すことはできない。私に言わせれば、彼らは害虫以下だ。何百万人もの立派な人々を、飢える寸前に追いやったのだから——。
発言は大騒ぎになった。保守党の支持者たちは、自分たちを「害虫」と名乗るクラブを各地で作り、この言葉を逆手に取った。
だが、同じ演説には、翌日から始まる制度についての言葉もあった。新聞はこれから数週間、政府ができなかったことへの苦情でいっぱいになるだろう。昔も苦しみはあったが、苦情は聞こえてこなかった。だが今日を境に、弱い者は声を上げる権利を持つ。敵の手にある新聞は、何もかもうまくいっていないかのような印象を与えるだろう。だまされてはいけない。そのときこそ、物事はうまく行き始めるのだ。私は新聞には動かされない。だが、苦しみには動かされる——。
13歳の最初の患者
7月5日、パーク病院
1948年7月5日、ベヴァンはマンチェスター近郊デイヴィーヒュームのパーク病院にいた。ランカシャーの州議会が運営してきたこの病院の鍵を、新しい制度の象徴として受け取るためである。病院は今、トラフォード総合病院と名を変えて同じ場所にあり、NHS発祥の地とされている。
病棟には、重い病気で入院していた13歳の少女がいた。シルヴィア・ディゴリー。のちに「NHSの最初の患者」として知られる人である。彼女は後年、大臣に、今日がどんなに大事な日かわかるかい、と聞かれたことを覚えている、と語っている。
国じゅうの家庭には、政府のビラが届いていた。あなたの新しい国民保健サービスは7月5日に始まります。それは何か。どうすれば受けられるのか。それは、医療と歯科と看護のすべてを提供します。お金持ちも貧しい人も、男も女も子どもも、誰もがその全部を、あるいは一部を使えます。いくつかの特別なものを除いて、料金はかかりません。保険の資格も要りません。けれども、これは「慈善」ではありません。あなたがたが、主に納税者として、その費用を払っているのです——。
同じ日には国民保険の新しい制度も始まったため、保険料を払わなければNHSを使えないと思い込む人も多かった。それでも、人々は医者のもとへ急いだ。7月8日、ベヴァンは下院で、開始の日までに、イングランドとウェールズの民間人4200万人のうち3000万人を大きく超える人が、かかりつけ医に登録を受け付けられたと答えている。まだ数えきれていない申込書が、山のように残っていた。
制度は動き出した。だが、無料の医療を待ちわびていたのは、医者の診察だけではなかった。次回は、眼鏡と入れ歯をめぐって、NHSが最初の危機を迎える話。
参考資料
- 庶民院議事録「国民保健サービス」(医師会の投票をめぐる審議)原典英国議会(Hansard)1948api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
- 庶民院議事録「国民保健サービス(医師)」(保健大臣の譲歩の表明)原典英国議会(Hansard)1948api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
- 庶民院議事録「医師」(開始の日までのかかりつけ医への登録数)原典英国議会(Hansard)1948api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
- 政府のビラ『新しい国民保健サービス』所蔵ハックニー博物館1948museum-collection.hackney.gov.uk(新しいタブで開きます)
記事の主な日付・数字・引用は、上の資料と照らし合わせて確かめています(2026年10月確認)。
連載「NHS物語」全 2 回
- 1NHSの原点は1942年のベヴァリッジ報告——役所の分厚い報告書を求めて、ロンドンに行列ができた 第1回
- 2NHSは1948年7月5日に始まった——前夜、保健大臣ベヴァンは保守党を「害虫以下」と呼んだ 第2回(この記事)
← 第 1 回
NHSの原点は1942年のベヴァリッジ報告——役所の分厚い報告書を求めて、ロンドンに行列ができた 第1回
感想・コメント
この記事を読んだ感想や、関連して知っていることがあれば教えてください。