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    2026年10月8日

    王室・制度人物歴史・事件

    連載「ビートルズのロンドン物語」全 2 回 の第 2 回

    ビートルズは1965年にMBE勲章を受けた——元軍人は抗議で勲章を返し、4年後にはレノンも送り返した 第2回

    1965年、ビートルズの4人は女王の誕生日の叙勲名簿に載り、MBE勲章を受けた。官報に載った肩書は「ビートルズの一員」だけ。戦争の働きで同じ勲章を受けた元軍人たちは怒って勲章を送り返し、4年後にはレノン自身も「Cold Turkey」のチャート落ちへの抗議を添えて宮殿へ返した。だがその勲章は、いまも取り消されていない。

    ビートルズは1965年にMBE勲章を受けた——元軍人は抗議で勲章を返し、4年後にはレノンも送り返した 第2回

    前回、デッカのオーディションに落ちたビートルズは、3年後には女王から勲章を受けるまでになっていた。舞台はバッキンガム宮殿。勲章を授ける側と受ける側、そしてそれを送り返す人たちの話である。

    ファンレターの山から出てきた「首相より」の封筒

    1965年6月、官報の肩書は「ビートルズの一員」

    知らせがどう届いたかは、本人たちの記憶でも食い違う。ハリスンは1965年6月の記者会見でこう話した。

    ポールがファンレターの山を見ていたら、「首相より」と書かれた封筒が出てきた。開けてみて……僕らはみんな「いいなあ、僕らにも来ればいいのに」と言って、残りの手紙をひっくり返した。そうしたら、ちゃんとあった。一人に1通ずつ。

    マッカートニーの後年の回想では、映画の撮影所にマネージャーのエプスタインがやって来て「首相と女王が君たちにMBEを授けることになった」と告げた。4人の返事は「何それ?」だったという。

    女王の誕生日に合わせて毎年6月に発表される叙勲の名簿に、4人の名前が載ることになったのである。英国の官報『ロンドン・ガゼット』の付録として発表されたこの年の名簿を開くと、MBEだけで600人あまりが並んでいる。省庁の事務官、保育所の所長、島の警察の元署長、園芸の委員。肩書のあとに「輸出への貢献に対して」「看護への貢献に対して」と理由が添えられた人もいる。

    ビートルズの4人の欄は短い。新聞社の写真部員と、老人福祉に尽くした男性のあいだに、こう載っている。

    ジョージ・ハリスン ビートルズの一員

    ほかの3人も同じ書き方で、リンゴ・スターは本名のリチャード・スターキーで載っている。理由は一言も書かれていない。

    推薦したのは首相のハロルド・ウィルソンである。前年10月に政権に就いた労働党の党首で、選挙区はリヴァプール郊外のヒュートン。野党党首だった1964年3月には、芸能団体の授賞式で4人に「その年の芸能人」の賞を手渡してもいる。若い世代に近い政治家に見せたいのだろう、と広く受け取られた。

    6月12日、ロンドン西郊トゥイッケナムの撮影所に記者が150人集まった。レノンは70分遅れて現れ、「目覚ましは8時にかけた。そのあと、ただ寝転がっていた」と言った。MBEの意味を聞かれたマッカートニーは「ミスター・ブライアン・エプスタイン(頭文字がMBE)の略だと思った。いつも彼の契約書にサインしているから」と答えた。なぜ自分たちが選ばれたのかを問われたリンゴは、こう言った。

    僕らがアメリカから稼いできたドルを見てよ。

    レノンは勲章の使い道を聞かれ、「呼び鈴のボタンにでもするか、骨董屋に持っていくか」と答えている。

    MBEとは何の勲章だったのか

    1917年、戦場に行かなかった人のために作られた

    MBEの記章。中央の円には、勲章を作ったジョージ5世とメアリー王妃の横顔と、標語「神と帝国のために」が刻まれている。写真は軍の部門のもので、綬の中央に灰色の線が1本入る。4人が受けた文民の部門には、この線がない。写真: 英国防省(OGL v1.0)
    MBEの記章。中央の円には、勲章を作ったジョージ5世とメアリー王妃の横顔と、標語「神と帝国のために」が刻まれている。写真は軍の部門のもので、綬の中央に灰色の線が1本入る。4人が受けた文民の部門には、この線がない。写真: 英国防省(OGL v1.0)

    4人が受けたMBEは、大英帝国勲章の5つの階級のうち、いちばん下の第5位にあたる。

    この勲章は新しい。第一次世界大戦のさなかの1917年6月4日、国王ジョージ5世が作った。戦争は思いのほか長引き、工場や病院、役所で戦争を支えた大勢の人々に報いる手立てがなかった。従来の勲章は将官や高級官僚に向けたものが中心で、その大半は女性を対象にしていなかった。新しい勲章は、最初から男女どちらにも開かれていた。標語は「神と帝国のために」。

    1918年には軍の部門と文民の部門に分かれ、第二次世界大戦中の1939年から46年までに、軍の部門だけで3万3000人以上が任命された。1965年の英国には、戦争の働きでこの勲章を受けた元軍人が大勢いたことになる。

    ビートルズの4人が受けたのは、文民の部門である。官報の名簿で4人の前後を固めていたのは、役所や病院や地方議会で長年働いてきた人たちだった。そこに、22歳から24歳のロック・バンドが加わった。

    送り返されてきた勲章

    「下品な間抜けどもと同列に置かれた」

    発表から数日のうちに、勲章が送り返され始めた。

    カナダの元下院議員エクトール・デュピュイは、1946年に受けたMBEを返した。英国王室は自分を「下品な間抜けども」と同列に置いた、というのが理由だった。

    第一次・第二次の両大戦を戦った元軍人のフレデリック・ワッグは、勲章を12個まとめて送り返し、ウィルソンの労働党からも抜けた。

    第二次世界大戦で爆撃機の航法士として撃墜され、2度捕まって2度脱走し、秘密警察の拷問を受けた元空軍軍曹のリチャード・ペイプは、脱走の功で受けた軍功章を女王に返した。

    ビートルズのMBEは、戦時中の我々の奮闘に対する、感傷的で奇怪な侮辱の臭いがする。

    ある抗議者はこう書いた。「ビートルズに勲章を与えたことで、この国が大切にしてきたものすべてが笑いものになった。彼らの歌も演奏も聞いたが、ひどいものだと思う」。当時のアメリカの新聞は、返上した人は「少なくとも6人」と伝えている。

    4人はどう受け止めたか。レノンは音楽紙にこう話した。

    何かおかしいんじゃないか。そんなに真剣に受け取るなんて。僕らがロックンロールでもらったとは思わない。輸出のおかげでもらったんだろう。

    のちには、もっと鋭く言い返している。

    僕らの受章に文句を言った人の多くは、戦争での勇敢さで勲章をもらった。人を殺したことでだ。僕らがもらったのは、人を楽しませたことでだ。僕らのほうがふさわしいと思うね。

    ただ、レノン自身も勲章を素直に喜んでいたわけではない。1968年に出た公認の伝記で、彼はこう振り返っている。

    MBEの話が来たとき、僕らもみんなと同じくらい滑稽だと思った。なぜ? 何のために? 信じられなかった。

    1965年10月26日、バッキンガム宮殿

    女王に「長く一緒にやっているの?」と聞かれて

    授与式は10月26日の火曜日だった。4人はレノンのロールス・ロイスで、午前11時に宮殿に着いた。門の外にはおよそ4000人のファンが集まり、門や街灯によじ登る者もいた。押し返そうとする警官の一人は、もみ合ううちにヘルメットを落とした。

    この日、宮殿で勲章を受けたのは180人あまり。4人は前もって、宮殿の侍従から作法を教え込まれていた。マッカートニーによれば、「陛下にはこう近づくこと。決して背中を向けないこと。話しかけられるまで話さないこと」。

    名前を読み上げられて進み出て、一礼すると、女王が握手をして言葉をかけ、上着の襟に勲章を留める。女王はリンゴに「あなたが始めたの?」と尋ねた。リンゴは3人を指さして答えた。

    いいえ、始めたのは彼らです。僕は最後に入りました。いちばん小さいやつです。

    マッカートニーが「長く一緒にやっているの?」と聞かれて「ええ、何年も」と答えると、横からリンゴが「40年です」と口をはさみ、女王は笑った。レノンは「最近は忙しかったの?」と聞かれ、実際は新しいアルバムの録音の最中だったのに「いいえ、休暇中でした」と答えている。

    この日については、もうひとつ有名な話がある。レノンはのちに、緊張のあまり宮殿のトイレで大麻を吸い、くすくす笑いが止まらなかった、と語った。ハリスンはこれを否定している。

    授与式で大麻なんか吸っていない。待っているあいだにトイレへ行って、たばこを吸った。当時はみんな喫煙者だったからね。それがいつのまにか、大麻の話になった。

    マッカートニーの印象では、女王は「若い僕らには、ちょっとお母さんのように見えた」。王室を信じていなかったはずのレノンも、1970年にこう認めている。

    王室なんて信じていなかったけれど、宮殿の中にいると圧倒されずにはいられない。あれは歴史だった。

    叙勲はいまも、宮殿の舞踏室で行われている。夏に一般公開される宮殿の公式諸間を回ると、その舞踏室も見ることができる。

    「『Cold Turkey』のチャート落ちに抗議して」

    1969年11月25日、運転手が宮殿に届けた手紙

    授かった勲章を、レノンは自分では持たなかった。育ての親のおばに渡したのである。おばは、レノンが1965年に南イングランドの港町プールに買い与えた家に住み、勲章を居間に飾っていた。

    4年後の1969年、レノンはその勲章を引き取った。そして11月25日、運転手に宮殿まで届けさせた。添えた手紙は、自身の会社の便箋に書かれていた。同じ文面の写しは、首相のウィルソンと、勲章を管理する役所の長にも送られている。

    陛下。私はこのMBEをお返しします。英国がナイジェリア・ビアフラの件に関わっていることへの抗議として。我々がベトナムでアメリカを支持していることへの抗議として。そして「Cold Turkey」がチャートを落ちていっていることへの抗議として。愛を込めて。

    ナイジェリアでは1967年から内戦が続き、英国政府はナイジェリアの連邦政府に武器を送っていた。独立を宣言したビアフラ側では飢えで大勢が死んでいた。ベトナムには、ウィルソン政権は兵を送らなかったが、アメリカの戦争を支持する立場をとっていた。

    そこに、3つ目の理由が並ぶ。「Cold Turkey」は、レノンが10月に出したばかりのシングルである。11月15日に全英14位まで上がったあと、順位を下げ始めていた。

    戦争への抗議と、自分の新曲の売れ行きへの不満が、同じ手紙に並んでいる。本気と冗談が混ざったこの一行は、手紙そのものと同じくらい有名になった。

    手紙の下書きは、思わぬところから出てきた。2016年、中古レコードの催しで10ポンドで売られていたレコードの袋の中から、署名がにじんだ同じ文面の手紙が見つかったのである。鑑定額は6万ポンドとされた。署名がにじんだために清書し直し、こちらは使わなかったのだろうとみられている。

    返しても、勲章は取り消されない

    宮殿の金庫に眠る「ジョン・ウィンストン・レノン」

    実は、英国の勲章は自分から返すことができない。

    取り消せるのは国王だけで、そのためには専門の委員会が審査し、首相が国王に進言し、官報に告示する、という手続きがいる。対象になるのは、犯罪で有罪になった場合などだ。本人が記章を宮殿に送り返し、肩書を名乗らなくなっても、それは象徴的な意思表示にとどまる。叙勲そのものは、取り消されない限り残る。

    レノンの名前が官報で取り消されたことはない。制度のうえでは、レノンは1980年に亡くなるまでMBEのままだったことになる。

    送り返された記章のほうは、2009年1月に所在が報じられた。バッキンガム宮殿に近いセント・ジェームズ宮殿の、勲章を管理する役所の金庫に、「ジョン・ウィンストン・レノン」の名が入った元の箱に収まったまま残っていたのである。王室は、返された日から厳重に保管してきた、と説明した。ファンからは、公開してほしいという声が上がった。

    ほかの3人と勲章の関係は、その後も続いた。1966年8月、ハリスンは新しいアルバムの1曲目「Taxman」で、税率95%の高額所得税を皮肉り、歌詞にウィルソンの名前を織り込んだ。勲章を授けた首相の政府は、4人の稼ぎの大半を税金で持っていっていた。

    マッカートニーは1997年3月にナイトに叙され、「サー」の称号を受けた。リンゴは2018年3月、同じ宮殿でウィリアム王子から剣を肩に当てられた。1965年に4人並んで受けた勲章から、半世紀あまりたってのことである。

    ファンレターの山から出てきた1通の封筒は、4人を宮殿に招き、元軍人たちの怒りを買い、4年後には抗議の手紙とともに宮殿へ戻っていった。

    次回は1969年8月8日の朝、アビー・ロードの話をする。10分間で撮った6枚の写真が、41年後、ひとつの横断歩道を国の文化財にした。

    この記事に出てくる観光スポット

    記事に登場した場所の見どころ・料金・アクセスは観光ガイドにまとめています。

    バッキンガム宮殿|ロンドン観光スポット

    バッキンガム宮殿

    連載「ビートルズのロンドン物語」全 2 回

    1. 1ビートルズは1962年元日、デッカのオーディションに落ちた——断った男は翌年ストーンズを獲った 第1回
    2. 2ビートルズは1965年にMBE勲章を受けた——元軍人は抗議で勲章を返し、4年後にはレノンも送り返した 第2回(この記事)

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    ビートルズは1962年元日、デッカのオーディションに落ちた——断った男は翌年ストーンズを獲った 第1回

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