本文へスキップ

    公開文ジャスト・ロンドン編集部参考資料 3件

    暮らし・技術歴史・事件人物

    連載「ロンドン地下鉄物語」全 2 回 の第 2 回

    1890年、ロンドンの地下鉄は電気で走り始めた——グレートヘッドの「盾」と、「詰め物をした独房」と呼ばれた客車 第2回

    ロンドンの地下鉄が「チューブ(管)」と呼ばれるのは、粘土層の奥深くに鉄の輪をつないだ丸いトンネルを掘ったからだ。その掘り方を確立したのは、20代で川底のトンネルを掘った技師グレートヘッドだった。1890年、世界初の深い地下を走る電気鉄道が開業する。もとはケーブルで引く計画で、窓の小さな客車は「詰め物をした独房」とあだ名された。

    1890年、ロンドンの地下鉄は電気で走り始めた——グレートヘッドの「盾」と、「詰め物をした独房」と呼ばれた客車 第2回

    画像: James Petts from London, England / CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

    連載「ロンドン地下鉄物語」の第2回。第1回で見た最初の地下鉄は、道路を掘り返してすぐ下に造ったトンネルを、蒸気機関車が走るものだった。今回は、地中深くに丸いトンネルを掘り、電気で走らせる、いまの「チューブ」の始まりをたどる。

    1870年、テムズ川の下を12人乗りの車が往復した

    タワー・サブウェイと、若い技師の「盾」

    深い地下鉄の物語は、ロンドン塔の脇からテムズ川の南岸へ抜ける、小さなトンネルから始まる。

    1869年、技師ピーター・バーロウの計画で、川底の下に直径2メートルあまりのトンネルを掘る工事が始まった。現場を任されたのは、南アフリカ生まれの25歳の技師、ジェームズ・ヘンリー・グレートヘッドである。彼が使ったのが「盾(シールド)」と呼ばれる道具だった。

    盾は、直径2.2メートルほどの鉄の筒で、ねじ式のジャッキで少しずつ前へ押し出せるようになっている。作業員は筒の中に守られながら前面の土を掘り、掘ったぶんだけ筒を押し進める。筒のすぐ後ろでは、鋳鉄の板を組み合わせた輪を次々にはめ込み、トンネルの壁にしていく。掘ったそばから鉄の輪で囲んでしまうので、川の下の軟らかい地盤でも崩れにくい。ロンドンの地下に広がる粘土層は、この掘り方にうってつけだった。

    完成したトンネルは「タワー・サブウェイ」と呼ばれ、1870年8月、鋼のケーブルで引く12人乗りの車が両岸を往復し始めた。ところが車はよく故障し、客は伸びず、運営会社はその年のうちに行き詰まる。トンネルは歩いて渡る通路に改められ、半ペニーの通行料を取ってしばらくは大いに使われた。しかし1894年、すぐ近くに通行料のいらないタワー・ブリッジが開くと客を奪われ、1898年に通路としての役目も終えた。いまは水道管や通信ケーブルを通すトンネルとして、川の下に残っている。

    鉄道としては半年ともたなかった。だが、鉄の筒で守りながら掘り、鉄の輪で壁をつくるという方法は、ここで確かめられた。20年後、グレートヘッドはこの方法で、はるかに長いトンネルを掘ることになる。

    ケーブルで引くはずだった

    請負会社の倒産が、電気鉄道を生んだ

    1884年、ロンドン市の中心部とテムズ川の南を結ぶ地下鉄道の会社が設立された。技師長はグレートヘッド。今度のトンネルは道路のすぐ下ではなく、地表から14〜18メートルほど下の粘土層に掘る。建物の基礎も下水管も避けられるので、道路を掘り返す必要がない。直径3メートルあまりの鉄の管を、上り用と下り用に2本並べて掘っていく。

    問題は、何で車を動かすかだった。蒸気機関車は論外である。第1回で見たとおり、地面のすぐ下のトンネルでさえ煙に悩まされていた。深い管の中で石炭を焚けば、逃げ場はない。会社が選んだのは、当時ほかの街の路面電車で使われ始めていたケーブル方式だった。線路の下で太い鋼のケーブルを回し続け、車両がそれをつかんで引かれていく。

    ところが1888年1月、ケーブル方式の工事を請け負っていた会社が倒産してしまう。代わりに名乗りを上げたのが、マンチェスターの機械会社だった。その共同経営者だった技師が、電気機関車で走らせる案を持ち込んだのである。路面電車ならともかく、地下を走る本格的な電気鉄道は、まだ世界のどこにもなかった。会社は、試されたことのない技術に賭けることになった。

    開業時の技術誌の記事によれば、テムズ川の南のストックウェルにある車庫の脇に発電所が建てられ、蒸気機関で回す発電機3台が、線路脇の鋼の導体に500ボルトの電気を送った。漏れる電流は全体でも1アンペアに満たない、と記事は胸を張っている。トンネルの壁に使った鉄の板は3万トン、ボルトは150万本に上った。

    1890年11月4日、皇太子が金の鍵を回した

    全線2ペンス、切符はなかった

    1890年11月4日、のちの国王エドワード7世となる皇太子が、ストックウェルの発電所で金の鍵を回して電気を流し、新しい鉄道の開業を宣言した。一般の客を乗せ始めたのは12月18日である。路線はストックウェルから、テムズ川をくぐって、市の中心部のキング・ウィリアム・ストリートまで、6駅、約5キロ。名前は「シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道」になっていた。

    運賃はどこまで乗っても2ペンス。駅の入口の回転式の改札で払えばよく、切符は発行しなかった。開業の翌年、1891年には510万人が乗っている。

    深い駅には、もちろん階段だけでは足りない。開業時の技術誌は、深さ14〜18メートルの駅から階段で地上に上がることを「よほどの運動家でもなければ、たびたびやりたいとは思わないだろう」と書いた。各駅には直径8メートル近い縦穴が掘られ、半円形のかごが2台、50人ずつを運んだ。ちょうど列車半分の人数である。かごは、車庫から鉄管で送られる高圧の水の力で上下した。

    技術誌が感心した工夫がもうひとつある。駅の前後で線路をわずかに高くしてあったのだ。駅に入る列車は上り坂でひとりでに速度を落とし、出ていく列車は下り坂で勢いをつける。ブレーキと加速の手間を、重力に肩代わりさせたのである。この考え方は、のちの深い地下鉄の駅にも受け継がれた。

    「詰め物をした独房」

    窓の小さな客車と、2ペンスの「チューブ」

    新しい地下鉄には、すぐにあだ名がついた。客車は3両つなぎで、1両の座席は32人分。トンネルの直径が小さいぶん車体も小さく、座席は背もたれが高い。窓は細く、天井近くに小さく開いているだけだった。トンネルの中では外に見るものもない、というのが理由だったとされる。乗った人々は、この客車を「詰め物をした独房」と呼んだ。精神病院の、壁にクッションを張った部屋のことである。

    開業時の電気機関車と「独房」型の客車は、それぞれ1両ずつが残り、いまはロンドン交通博物館で見ることができる。

    それでも、深い管の中を電気で走る鉄道が実際に動くことは、これで証明された。ロンドンでは次々に同じような路線が計画される。1900年6月27日には、西のシェパーズ・ブッシュから市の中心部のバンクまでを結ぶ「セントラル・ロンドン鉄道」が、やはり皇太子を迎えて開業式を開き、7月30日から客を乗せ始めた。開業の内覧には、米国の作家マーク・トウェインも加わっていたと伝えられる。

    この鉄道も運賃はどこまで乗っても2ペンスで、新聞が「2ペンスの管(チューブ)」と呼んだのが、そのまま広まったとされる。ロンドンの地下鉄をいまも「チューブ」と呼ぶのは、このころからの呼び名である。

    ただし、この新しい路線は厄介な問題を抱えていた。重さ48トンの電気機関車が、沿線の建物を揺らしたのである。1901年3月、下院で議員が、振動が沿線の持ち主や住人に損害と迷惑を与えているのではないかと質問し、商務院の長官は、専門家の委員会が調べているところだと答えた。委員会の報告書は翌1902年2月に議会に提出された。鉄道会社はやがて機関車をやめ、客車そのものにモーターを積んだ電車に切り替えていく。

    交差点の真ん中の銅像

    グレートヘッドの台座は、換気口になっている

    市の中心部コーンヒルの交差点に立つグレートヘッドの像(2009年撮影)。台座の中は地下鉄の換気口になっている。右奥の騎馬像はウェリントン公の像。

    市の中心部コーンヒルの交差点に立つグレートヘッドの像(2009年撮影)。台座の中は地下鉄の換気口になっている。右奥の騎馬像はウェリントン公の像。

    画像: Txllxt TxllxT / CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

    グレートヘッドは1896年、52歳で亡くなった。彼の盾で掘る方法は、そのあとロンドンのほとんどすべての深い地下鉄で使われ、世界中のトンネル工事の基本になった。

    その彼の銅像が、いま市の中心部、イングランド銀行と王立取引所に面した交差点の真ん中に立っている。1994年に建てられた、比較的新しい像である。

    実はこの像には、もうひとつの役目がある。台座の中は空洞で、真下を走る地下鉄の換気口になっているのだ。1987年にキングス・クロス駅で大きな火災が起きたあと、地下鉄は安全基準を見直し、この場所に大きな換気の縦穴が必要になった。ただの換気塔を建てれば、王立取引所の正面の景観を損なう。そこで市の担当者が思いついたのが、地下鉄を掘った技師の像を据えて、その台座に換気口を隠すという方法だった。像の足もとの台座には、彼がシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道の技師長であり、ロンドンの深い地下鉄を掘った「移動する盾」の発明者であることが刻まれている。

    こうして、深い地下鉄の技術はそろった。だが、20世紀の初めのロンドンには、計画だけが認められたまま、資金がなくて掘られない地下鉄の路線がいくつも眠っていた。そこへ大西洋の向こうから、評判の悪い投資家がやってくる。次回はその男と、地下鉄の「顔」をつくった人々の話をする。

    参考資料

    1. 『エンジニアリング』誌のシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道の記事(深さ、エレベーター、500ボルトの送電、駅前後の勾配)原典エンジニアリング誌(グレース・ガイドの抜粋)1890gracesguide.co.uk(新しいタブで開きます)
    2. 庶民院議事録「セントラル・ロンドン鉄道——振動」原典英国議会(Hansard)1901api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
    3. 庶民院議事録「セントラル・ロンドン鉄道(振動)」(商務院の委員会報告の提出)原典英国議会(Hansard)1902api.parliament.uk(新しいタブで開きます)

    記事の主な日付・数字・引用は、上の資料と照らし合わせて確かめています(2026年10月確認)。

    この記事に出てくる観光スポット

    記事に登場した場所の見どころ・料金・アクセスは観光ガイドにまとめています。

    連載「ロンドン地下鉄物語」全 2 回

    1. 1ロンドン地下鉄は1863年、蒸気機関車で開業した——「煙を出さない機関車」は試運転で失敗していた 第1回
    2. 21890年、ロンドンの地下鉄は電気で走り始めた——グレートヘッドの「盾」と、「詰め物をした独房」と呼ばれた客車 第2回(この記事)

    感想・コメント

    この記事を読んだ感想や、関連して知っていることがあれば教えてください。

    ← コラム一覧に戻る