2026年10月10日
連載「ビートルズのロンドン物語」全 4 回 の第 4 回
1969年1月30日の昼休み、ビートルズはロンドン・サヴィル・ロウの自社ビルの屋上で、予告なしに演奏を始めた。同じ通りの警察署から19歳の巡査が駆けつけるまでの42分間が、4人が人前で演奏した最後になった。7年前の元日にデッカの審査に落ちた4人は、最後にレノンの「オーディションに受かったかな」という一言で締めくくった。その屋上は、2027年に一般公開される予定である。
連載の最終回は、時計を半年戻して1969年1月30日へ。舞台はロンドン中心部、仕立て屋が並ぶサヴィル・ロウの3番地。ビートルズの会社アップルの屋上で、昼休みに始まった42分間の話である。
数軒先には警察署があった
サヴィル・ロウは、ロンドン中心部メイフェアの短い通りである。19世紀から紳士服の仕立て屋が軒を連ね、「背広」の語源になったという説があるほど、仕立ての代名詞になってきた。
3番地の建物は1733年ごろ、この一帯の地主の開発で建った4階建ての邸宅で、1958年に国の登録建造物(2級*)に指定されている。1968年6月22日、ビートルズの会社アップルが50万ポンドでこの家を買い、翌月、本社を移した。地下には録音スタジオも造ったが、設計がまずく、まともに使えるまでに手直しが要った。
同じ通りの35番地Aには、1969年に新しい仕立て屋が店を開いている。前回、アビー・ロードの横断歩道で3人が着ていたスーツは、この店の仕立てだった。出資者には、アップルの幹部と、歌手のシラ・ブラックがいた。第1回で、デッカの審査に4人が持ち込んだ自作曲のひとつ「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」でデビューした歌手である。
そして同じ通りを少し行った27番地には、1940年にできたロンドン警視庁のウェスト・エンド中央署があった。ビートルズの本社は、警察署と同じ通りに建っていたのである。
「どこか、やってはいけない場所でやろう」
1969年の年明け、4人は新しい計画に取りかかった。新曲を練習するところから映画に撮り、最後は観客の前で演奏して締めくくる。1966年8月を最後にコンサートをやめていたビートルズが、もう一度人前に立つための企画だった。
だが撮影所での練習はうまくいかなかった。1月10日、ハリスンが出ていく。戻る条件のひとつが、大がかりな公開コンサートはやめること、そしてサヴィル・ロウの本社の地下で録音することだった。22日、ハリスンは知り合いの鍵盤奏者ビリー・プレストンを連れてきて、張りつめた空気がいくらか和らいだ。
それでも、マッカートニーと監督は人前での演奏をあきらめなかった。どこでやるか。リンゴはのちにこう振り返っている。
どこかで生で演奏しようという話があった。パラディアム劇場か、ラスベガスのサハラ・ホテルか、なんて言っていた。でも機材を全部運ばなきゃならない。それで「屋上に上がろう」となった。
屋上の案がいつ誰から出たのかは、はっきりしない。付き人の日記によれば、1月26日の昼食後、屋上で外の空気を吸ったときに思いついたという。録音技師は、リンゴが「屋上からの眺めがいい」と言って自分たちを連れて上がったのがきっかけだと書いている。
マッカートニーは、この月の初めにこんなことを言っていた。
やってはいけない場所でやるべきだ。勝手に入り込んで、機材を据えて、追い出される。それでも曲を演奏し続けて、警官に担ぎ出される。
直前まで、リンゴは乗り気でなく、ハリスンも渋っていた。1月29日の録音には、人前で演奏しなければ聴き手とのつながりが切れてしまう、とレノンに訴えるマッカートニーの声が残っている。監督によれば、本番の直前まで4人は決めかねていた。話し合いのあと沈黙が続き、それを破ったのはレノンだった。「ええい、やっちまおう」。
マイクには婦人用のストッキング
1月30日の木曜日、午後0時半ごろ、4人とプレストンは屋上に上がった。冬の屋上は寒く、風が強く、湿っていた。リンゴは妻の赤いレインコートを、レノンは毛皮のコートを着ていた。録音技師たちは、マイクを風から守るために近くのマークス&スペンサーで婦人用のストッキングを買ってきてかぶせた。
撮影の手配も周到だった。カメラは6台。屋上のほかに、通りの向かいの建物の屋根に許可なく1台、通りに2台を置いて通行人の声を拾った。そしてもう1台を、本社の受付のマジックミラーの裏に隠した。音を聞きつけて誰かが止めに来る場面を撮るためである。
演奏が始まると、昼休みの会社員たちが何ごとかと足を止めた。噂が広がるにつれて、通りには人だかりができ、近くの建物の平らな屋根にも人が上がった。リンゴの記憶では、「寒くて、風が強くて、湿っぽかった。でも、窓から見ていたオフィスの人たちは本当に楽しんでいた」。
楽しまない人もいた。隣で毛織物の商売をしていた男性は「このひどい騒音をやめさせてくれ。まったくけしからん」と怒った。一方で、通りの先の銀行員は「いい音楽が分からない人もいるものだ」と言った。
演奏したのは、まだ世に出ていない新曲5曲。「ゲット・バック」を3回、「ドント・レット・ミー・ダウン」と「アイヴ・ガッタ・フィーリング」を2回ずつ、ほかに2曲。合わせて9回の演奏に、英国国歌の切れ端が挟まった。ビートルズが観客の前で演奏するのは、2年5か月ぶりのことだった。
「あの子たちを逮捕させるって、ママが言ってるよ」
苦情を受けて、同じ通りの警察署から2人の巡査がやって来た。一人はレイ・ダッグ、19歳。警官になって半年ほどで、ふだんは交通整理を受け持っていた。
アップルの社員は2人を受付で引き止め、屋上へ通そうとしなかった。受付の隠しカメラは、困り顔で演奏をやめさせてほしいと頼む若い巡査を撮っている。ダッグはのちに、最後はビートルズの付き人にこう告げたと語っている。
もう十分我慢した。こちらもできるだけ合わせてきたが、そちらにはやめる気配がない。4人に、逮捕すると伝えてくれ。
社員が折れ、巡査たちが屋上に上がったのは、「ドント・レット・ミー・ダウン」の2回目が始まったところだった。
次の「ゲット・バック」で、マッカートニーは歌詞をその場で変えた。
また屋根の上で演奏してるんだね。よくないよ。ママがそういうの嫌いなの、知ってるだろ。ママは怒ってる……あの子たちを逮捕させるってさ!
巡査の指示を受けて、付き人がレノンとハリスンのアンプの電源を切った。ハリスンは自分で入れ直した。付き人は、レノンのアンプも入れ直した。演奏は止まらなかった。
警官に止められながら演奏を続ける——1月の初めにマッカートニーが口にした筋書きが、そのまま実現したことになる。
ダッグ自身は、ビートルズよりサイモン&ガーファンクルが好きだった。これが4人の最後の公演だったと知ったのは、半世紀後、ドキュメンタリーの制作者から連絡を受けたときだったという。責任を感じるかと聞かれて、彼はこう答えている。「まったく感じない」。
7年前の元日と、42分間の終わり
3回目の「ゲット・バック」が終わると、屋上の端で拍手が起きた。リンゴの妻だった。マッカートニーが「ありがとう、モー」と応える。そしてレノンが、マイクに向かってこう言った。
グループと僕ら自身を代表して、お礼を言います。オーディションに受かったかな。
演奏時間は42分。これが、ビートルズが人前で演奏した最後になった。
連載の第1回は、オーディションの話から始まった。1962年の元日、雪の中を10時間かけてロンドンへ来た4人は、デッカの審査に落ちた。それから7年後、自分たちの会社の屋上で、レノンは冗談めかしてもう一度「オーディション」と言ったのである。
このあと4人は、アビー・ロードのスタジオで最後のアルバムを録音する。前回の横断歩道の写真は、その夏に撮られた。9月にはレノンがバンドを抜けると告げた。11月、レノンが勲章を宮殿に返す手紙を出したのも、このサヴィル・ロウ3番地からだった。
屋上の演奏は、1970年5月の映画『レット・イット・ビー』で初めて世に出た。2021年には、ピーター・ジャクソン監督が当時の膨大な映像を編み直したドキュメンタリー『ザ・ビートルズ:Get Back』を公開し、受付で困り果てる巡査の姿や、通りの人々の声が半世紀ぶりに日の目を見た。
ちなみに2009年、40周年を記念して、有名なビートルズのそっくりバンドが同じ屋上で演奏しようとした。ウェストミンスター区は、許可の問題を理由にこれを認めなかった。
2027年、サヴィル・ロウ3番地が開く
いま3番地の建物の正面、2階の窓のあいだには、青い銘板が掛かっている。
ビートルズは、この建物の屋上で最後の公演を行った。1969年1月30日
地下のスタジオは1975年5月に閉じ、アップルはやがてこの建物を離れた。巡査たちが駆けつけた警察署も、2017年に受付を閉じ、2021年に再開発のため売却された。
そして2026年5月11日、アップル社は、この建物を「ザ・ビートルズ・アット・3サヴィル・ロウ」として2027年に一般公開すると発表した。7つの階に、これまで公開されていない資料を並べ、『レット・イット・ビー』を録音した地下スタジオを再現し、あの屋上にも上がれるようにする。屋上の手すりは、1969年1月30日のものがそのまま残っているという。見学は有料の予定である。
アップル社の最高経営責任者はこう話した。「毎日、ファンが3番地の外観を写真に撮っていく。来年は、中に入って7つの階すべてを見て回れるようになる」。久しぶりに建物を訪ねたリンゴの感想は、ひとことだった。「わあ、家に帰ってきたみたいだ」。
最寄り駅は、地下鉄のピカデリー・サーカス駅かオックスフォード・サーカス駅。どちらからも歩いて10分足らずで着く。
最後に、この連載で訪ねた場所をまとめておく。
雪の中を10時間かけて審査を受けに来た4人の物語は、ロンドンの街のあちこちに、いまも跡を残している。
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アビー・ロードの横断歩道は1969年、10分で撮られた——6枚の写真が、41年後に国の文化財になるまで 第3回
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