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    2026年9月14日

    暮らし・技術歴史・事件

    紅茶はミルクが先か後か——英国規格協会の答えは「先」、その6ページの規格はイグノーベル賞を受けた

    紅茶にミルクを入れるのは、カップに注ぐ前か後か。英国規格協会は1980年、6ページの規格に「ミルクを火傷させないために、先に」と書き、1999年にイグノーベル文学賞を受けた。だがこの問いは、上流階級が「MIF(ミルクが先)」と陰口をたたく階級の目印になり、統計学の教科書の一章を生み、オーウェルと王立化学会を正反対の結論に導いてきた。

    紅茶はミルクが先か後か——英国規格協会の答えは「先」、その6ページの規格はイグノーベル賞を受けた

    「この点については、英国のどの家庭にもおそらく二つの派閥がある」——ジョージ・オーウェルは1946年、紅茶の淹れ方11か条の10番目にそう書いた。ミルクが先か、紅茶が先か。17世紀の手紙から、研究所の午後のお茶、化学者の声明、そしてティーバッグまで、一杯の紅茶をめぐる英国人の言い分をたどる。

    1999年、ハーバード——紅茶の淹れ方に「文学賞」

    英国規格 BS 6008 とイグノーベル賞

    1999年9月30日の夜、アメリカ・ボストン近郊のハーバード大学サンダーズ・シアター。紙飛行機が飛び交う1200人の客席を前に、その年のイグノーベル賞が発表された。「人々を笑わせ、そして考えさせる」研究に贈られる、ノーベル賞のパロディである。賞を手渡す役は、本物のノーベル賞学者たちが務める。

    この年の文学賞を受けたのは、作家ではなかった。英国規格協会(BSI)である。受賞理由は、

    「紅茶の正しい淹れ方を定めた、6ページの規格(BS 6008)に対して」

    英国の工業製品の寸法や安全基準を定めてきた、あの規格協会だ。授賞式には、協会で規制業務を担当するマネージャー、レジナルド・ブレイクが出席している。

    この年は、紅茶の年だった

    1999年のイグノーベル賞は、妙に英国の紅茶まわりに偏っていた。物理学賞は2件あり、ひとつはバースのレン・フィッシャー博士の「ビスケットを浸す最適な方法の計算」。紅茶にビスケットを浸すのは英国人のおなじみの習慣で、浸しすぎると崩れて底に沈む。もうひとつはイースト・アングリア大学のジャン=マルク・ヴァンデン=ブルック教授の「しずくが垂れないティーポットの注ぎ口の計算」だった。

    英国の大学専門紙『タイムズ・ハイヤー・エデュケーション』は、この結果を Tea bags three prizes という見出しで伝えた。bag には「(獲物を)仕留める、かっさらう」という意味がある。「紅茶が賞を3つかっさらう」と「ティーバッグ」をかけた洒落である。

    6ページに書かれた、ひとつの答え

    笑いの種にされた規格だが、中身はきわめて真面目なものだ。そしてその6ページの中には、英国人が100年以上言い争ってきた問いへの、ひとつの公式な答えが書いてある。

    紅茶にミルクを入れるのは、カップに紅茶を注ぐ前か、後か。

    規格の答えは「前」だった。ただし、そこには英国人らしい但し書きがついている。

    6ページの中身——「ミルクを火傷させないために」

    白い磁器のポット、2グラム、6分

    茶葉の審査に使われる、ふた付きの抽出用カップと白い碗。ISO 3103 のポットも同じ形式で、ふたで茶葉を押さえながら縁の切れ込みから碗へ注ぐ。写真の器が規格の寸法どおりかどうかは分からない(撮影: Marcangela、CC BY-SA 3.0)。
    茶葉の審査に使われる、ふた付きの抽出用カップと白い碗。ISO 3103 のポットも同じ形式で、ふたで茶葉を押さえながら縁の切れ込みから碗へ注ぐ。写真の器が規格の寸法どおりかどうかは分からない(撮影: Marcangela、CC BY-SA 3.0)。

    BS 6008 は1980年に定められた。同じ内容は国際規格 ISO 3103 としても採用され、2019年12月に第2版へ改訂されて、いまも生きている。

    まず、題名を見てほしい。

    茶——官能検査に用いる浸出液の調製

    家庭で飲むおいしい紅茶の淹れ方ではない。茶の買い付けやブレンドの担当者が、何種類もの茶葉をまったく同じ条件で淹れて、味と香りと色を比べるための手順である。条件が揃っていなければ、比べた違いが茶葉のせいなのか淹れ方のせいなのか分からない。規格の目的はそこにある。

    白い磁器のポット、2グラム、6分

    2019年版の中身は、次のとおりだ。

    • 器は白い磁器か、釉薬をかけた陶器のポット。縁の一部にギザギザの切れ込みがあり、ふたは内側にゆるくはまるもの。受ける碗も白い磁器か陶器
    • 茶葉は湯100ミリリットルあたり2グラム。大きいポットなら5.6グラム(誤差±0.1グラム)を量る
    • 沸騰した湯を、縁から4〜6ミリ下まで注ぐ(大きいポットで約285ミリリットル)。ふたをして、紅茶なら6分
    • ふたを押さえて茶葉を止めながら、切れ込みから碗へ注ぐ。茶殻は裏返したふたに移し、空のポットに載せて、葉の状態も見られるようにする
    • 水は、その紅茶が飲まれる地域の水道水に近いものを使う。水の硬さで味も色も変わるからだ。標高が高くて沸点が100℃から大きくずれるなら、報告書に書く

    「ミルクを火傷させないために」

    問題の条項は、7.2.2「ミルクを入れる場合(紅茶のみ)」である。

    異臭のない牛乳を、大きい碗なら約5ミリリットル、小さい碗なら2.5ミリリットル、先に碗へ入れる。そこへ、6分蒸らした紅茶を注ぐ。理由も書いてある。

    「ミルクを火傷させないために」

    ここまでは明快だ。ところが、この一文にはすぐ但し書きが続く。

    「ただし、この手順がその組織の通常のやり方に反する場合は、この限りでない」

    さらに、後から入れる人のための一文まである。

    「ミルクを後から入れる場合は、入れるときの浸出液が65〜80℃の範囲にあると最もよい結果が得られることが、経験上わかっている」

    そして最後の「試験報告書」の節は、報告に書くべき項目の一つとして、ミルクを使ったならその量と種類、そして碗に入れたのが浸出液の前か後かを挙げている。

    つまり国際規格は「先」を原則にしながら、「うちは後だ」という会社のやり方を否定しなかった。そのかわり、どちらだったのかを必ず書き残させる。1980年から40年あまり、2019年の改訂を経ても、規格はこの問いに白黒をつけていない。

    ミルクはいつから紅茶に入ったのか

    「磁器が割れるから」説の出どころ

    英国人が茶を飲み始めたのは17世紀の半ばである。では、そこにミルクが入ったのはいつからか。

    北京の満洲人、パリのサロン

    ヨーロッパ人がミルク入りの茶を目にした早い記録は、中国にある。1650年代に北京へ赴いたオランダ東インド会社の使節団の記録で、1669年に英訳が出た。随員ヨハン・ニューホフは、満洲人の茶の飲み方をこう書いている。

    「温めた牛乳を4分の1ほど、塩を少し加え、耐えられるかぎり熱いうちに飲む」

    同じころロンドンでは、茶を売り出したコーヒーハウス店主トマス・ギャラウェイが宣伝のビラに、茶を「牛乳と水で淹れて飲めば」胃を強くする、と効能を並べていた。

    ヨーロッパの上流社会でミルク入りの茶が話題になった記録として、よく引かれるのはフランスである。1680年2月16日、書簡作家のセヴィニエ侯爵夫人は娘にあてた手紙に書いた。パリのサロンの女主人ラ・サブリエール夫人は茶に牛乳を入れて飲む、先日そう聞いた、それが彼女の好みなのだ、と。

    ただ、英国でミルクがすぐ定着したわけではない。ロンドン大学クイーン・メアリーの茶の歴史研究プロジェクトによれば、18世紀の英国で茶に入れるものといえば、まず砂糖だった。ミルクが広く入るようになるのは19世紀半ば、鉄道が新鮮な牛乳を都市へ運ぶようになってからである。

    「磁器が割れるから」説

    では、なぜ「先に入れる」やり方が生まれたのか。英国でいまもよく語られるのが、次の説明だ。

    18世紀の磁器は薄くて質が悪く、熱い紅茶を注ぐと割れてしまう。だから先に冷たいミルクを入れて、カップを守った。

    マナー講師がこう説明することもあり、もっともらしく聞こえる。だが、裏づけは薄い。

    ミルクが広まる19世紀半ばまでの約200年、英国人の多くはミルクを入れずに、熱い茶をそのまま磁器の器に注いでいた。磁器が茶器として好まれた理由のひとつは、熱に強いことである。英国の歴史ブログ「BSヒストリアン」が古い文献を検索した範囲では、この「割れる説」が活字で確認できる最も古い例は、1947年の米国の業界誌『ティー・アンド・コーヒー・トレード・ジャーナル』だった。

    「紅茶にはミルクを先に、どうぞ! 男性陣が何と言おうと、これはただの迷信ではありません。高価な磁器のカップが普通に使われていた、今よりよい時代の名残なのです」

    「よい時代の名残」という言い回し自体が、ミルクを先に入れる習慣に品のよい由来を与えようとしているように読める。

    19世紀には、ただの「おいしい淹れ方」だった

    19世紀の文献に出てくる「ミルクが先」は、階級とも磁器とも関係がない。1846年、作家チャールズ・シャーリー・ブルックスは、独身男が「砂糖とミルクを先に入れた」紅茶を楽しむ場面を描いた。1884年の家政の手引書『ドメスティック・エコノミー』は、あっさりこう書いている。

    「いちばんおいしい紅茶を淹れる人は、たいてい砂糖とミルクをカップに入れてから、熱い紅茶を注ぐ」

    ミルクの順番は、この時点ではまだ台所の工夫にすぎなかった。それが人を分ける目印になるのは、20世紀に入ってからである。

    「Rather MIF, darling」——ミルクの順番が階級を分けた

    1927年のプリーストリーから、2000年のエイミスまで

    クイーン・メアリーの研究プロジェクトは、「ミルクが先」が階級の問題として現れたのは1920年代で、はっきりした区別として固まったのは1950年代だと見ている。

    1927年、プリーストリーの皮肉

    早い証言は、ブラッドフォード出身の作家 J・B・プリーストリーが1927年に週刊誌『サタデー・レビュー』に書いた文章にある。プリーストリーが批判したのは、ミルクを先に入れる人ではない。そういう人を笑いものにするスノッブのほうだった。スノッブたちが鼻で笑う相手として、彼はこう並べている。

    「ミルクを先に入れる人、親指をなめる人、喫茶店で『ミス!』と給仕を呼ぶ人」

    ミルクの順番が、親指をなめる癖や店員の呼び方と同じ「育ちの出る仕草」の棚に置かれていたことが分かる。

    1955年、ウォーの手紙

    この区別がいちばん露骨に文字になったのは、1950年代の「U/ノンU」論争である。

    発端は1954年、バーミンガム大学の言語学者アラン・ロスの論文だった。上流階級(Upper class、略してU)の英語と、そうでない人々(ノンU)の英語は語彙が違う、という指摘だ。これを作家ナンシー・ミットフォードが1955年に雑誌『エンカウンター』で紹介して大評判になり、友人の作家イーヴリン・ウォーが同誌の1955年12月号に、ミットフォードあての公開書簡で応じた。

    その手紙に、紅茶が出てくる。

    「乳母はみな、そして家庭教師の多くも、紅茶を注ぐときにミルクを先に入れる。(紅茶通に言わせると、そのほうがコクが出るのだそうだ。)目ざとい子どもは、客間では普通そうしないことに気づく。一部の子どもにとって、この発見は象徴的なものになる」

    上流の家の子どもは、午後のお茶を子ども部屋で乳母と飲んだ。乳母や家庭教師は、雇われる側の人々である。一方、両親の客間でお茶を注ぐのは女主人で、ウォーの言うとおりなら、そこではミルクを先には入れない。同じ屋敷の中で、ミルクの順番は「雇われる側の流儀」と「主人の流儀」を分けていた。子どもはそれを見て覚え、やがて人を測る物差しにする。ウォーの手紙には、誰かを Rather MIF, darling(あら、ちょっとMIFね)と切り捨てる女性のせりふも出てくる。MIF は Milk In First(ミルクが先)の頭文字だ。

    この論争は翌1956年、ミットフォード、ウォー、ロスらの文章をまとめた本『ノブレス・オブリージュ』になった。そこに収められた詩人ジョン・ベッチマンの「社交界でうまくやる方法」は、背伸びした中流家庭の女主人の、上品ぶった言葉づかいを並べて笑う作品で、その中に客へ紅茶を出すときの一行がある。

    Milk and then just as it comes dear?(ミルクが先で、あとはポットから出るままでよろしくて?)

    「miffy」は、よくないことだった

    この物差しは、そう簡単には消えなかった。作家マーティン・エイミスは、父キングズリー・エイミスの死を受けて2000年に出した回想録『エクスペリエンス』で、1960年代の終わりに上流の友人から教わった言葉を書き留めている。

    「miffy であるのは、よくないことだった。miffy というのは、紅茶を注ぐときに決まってミルクを先に入れる、そういう種類の人間だという意味だった」

    コクが出るという紅茶通の工夫は、20世紀の英国で、人の育ちを見分ける合言葉になっていたのである。

    ロザムステッドの午後——一杯の紅茶が統計学を生んだ

    「ばかな、違いなんてあるはずがない」

    ミルクの順番をめぐる言い争いが、思わぬ形で科学に貢献したことがある。舞台は、ロンドンの北、ハートフォードシャーのハーペンデンにあるロザムステッド農業試験場。1843年に設立された、世界でも最古級の農業研究所だ。

    1919年、ここに29歳の数学者ロナルド・フィッシャーが統計の担当者として着任する。1843年から積み上がった膨大な作物の試験データを分析するのが仕事だった。同じ年、藻類の研究者ミュリエル・ブリストル博士も研究所に加わっている。ロザムステッドでは、午後のお茶は毎日の決まりごとだった。

    「ばかな、違いなんてあるはずがない」

    その午後の出来事を、フィッシャーの娘ジョーン・フィッシャー・ボックスは、1978年の父の伝記にこう書いている。

    「ある午後、彼は大きな湯沸かしから紅茶を一杯汲み、隣にいた婦人、藻類学者のB・ミュリエル・ブリストル博士に差し出した。彼女は断った。ミルクを先に注いだカップのほうが好きだというのだ。『ばかな』とフィッシャーは笑った。『違いなんてあるはずがない』。だが彼女は、違うに決まっていると言い張った。すぐ後ろから声がした。『試してみようじゃないか』」

    声の主は、化学者のウィリアム・ローチ。まもなくブリストルと結婚する男である(1923年)。その場で試験の準備が始まり、ローチはカップの用意を手伝った。そしてブリストルが、紅茶を先に注いだカップを「言い分を証明するのに十分以上」に言い当てたと、得意げに言った。

    ボックスは続けて、こう書いている。ブリストルの勝利の中身は記録されなかった。そしてフィッシャーはそのとき、その場の即席の試験に満足していなかったかもしれない、と。カップは何杯使うべきか。組にして出すべきか。どの順番で出すか。温度や甘さのばらつきはどうするか。全問正解なら何が言えて、1杯間違えたら何が言えるのか。

    8杯のカップと、70通り

    それから十数年後の1935年、フィッシャーは著書『実験計画法』(The Design of Experiments)でこの問いに答えた。その第2章は、こう始まる。

    「ある婦人が、ミルク入りの紅茶を一口飲めば、ミルクと紅茶のどちらを先にカップへ入れたか見分けられると言う」

    フィッシャーの設計は、こうだ。カップを8杯用意し、4杯はミルクが先、4杯は紅茶が先で淹れる。それを無作為な順番で出し、婦人には「4杯ずつある」とだけ伝えて、ミルクが先の4杯を選ばせる。

    8杯から4杯を選ぶ組み合わせは70通り。まったく味の区別がつかない人が当てずっぽうで選んでも、全問正解する確率は70分の1、約1.4%ある。1杯だけ間違える(4杯中3杯を当てる)程度なら、当てずっぽうでもそれ以上の成績になる確率は70分の17、約24%もあって、証拠にはならない。だからこの設計では、全問正解して初めて「本当に見分けている」と言える。

    肝心なのは、順番を無作為にすることだった。そうしておけば「区別がつかないとしたら、偶然でこの成績になる確率はいくらか」を正確に計算できる。いまの言葉でいう帰無仮説と有意性検定の考え方で、この計算はのちに「フィッシャーの正確確率検定」と呼ばれる。新薬の臨床試験で患者を無作為に振り分けるのも、この考え方の延長にある。

    全問正解だったのか

    ブリストルは8杯すべてを当てた、という話がよく知られている。これは米国の統計学者デイヴィッド・サルツブルグが2001年の本『統計学を拓いた異才たち』(原題 The Lady Tasting Tea)で、統計学者ヒュー・フェアフィールド・スミスから聞いた話として紹介したものだ。ただし伝聞で、時期や場所もボックスの記述と食い違う。

    2021年、英国王立統計学会などが出す雑誌『シグニフィカンス』でこの逸話を洗い直した研究者ジョン・リチャードソンは、1920年代初めのロザムステッドとするボックスの記述のほうが信頼できると結論している。ブリストルは土壌の藻類の研究で国際的に知られ、1932年には藻類の属名 Muriella に彼女の名が付けられた。

    ミルクが先の紅茶は本当に味が違うのか。フィッシャーの本は、その答えを書いていない。書いたのは、それをどうやって確かめるかだった。

    オーウェルは「後」、化学者は「先」——そしてティーバッグ

    1946年、2003年、そして97.5%

    ミルクの順番そのものについて、英国で最も有名な意見を書いたのは、ジョージ・オーウェルである。

    1946年、オーウェルの第10条

    1946年1月12日、オーウェルは夕刊紙『イブニング・スタンダード』に「一杯のおいしい紅茶」(A Nice Cup of Tea)を寄せた。料理本を開いても紅茶の淹れ方はほとんど載っていない、と始まるこの随筆で、彼は自分の流儀を11か条に数え上げる。そのうち2つほどは誰もが同意するだろうが、少なくとも4つは激しく意見が割れる、とも書いている。

    中身は、茶葉はインドかセイロンのもの、ポットを温めておく、濃く淹れる、茶葉は茶こしや袋に閉じ込めずにポットへじかに入れる、ポットをやかんのほうへ持っていき沸騰している湯をそのまま注ぐ、浅いカップではなく円筒形のブレックファストカップで飲む、牛乳のクリームはすくい取ってから使う、砂糖は入れない——といったもの。そして10番目が、例の問題である。

    「第十に、紅茶を先にカップへ注ぐべきである。これは最も議論の分かれる点のひとつで、英国のどの家庭にもおそらく二つの派閥がある。ミルク先派もかなり強い論拠を持ち出せるが、私自身の論拠は反論の余地がないと考える。紅茶を先に入れ、注ぎながらかき混ぜれば、ミルクの量を正確に加減できる。逆の順番では、ミルクを入れすぎてしまいがちなのだ」

    戦後の配給制のさなかである。オーウェルは随筆を、ポットを温めるといった細部に気を配るのは、配給の2オンス(約57グラム)からきちんと扱えば出せるはずの「濃くておいしい20杯」を搾り出すためだ、と締めくくっている。

    2003年、化学者は「先」と言った

    それから57年後の2003年6月、王立化学会はオーウェルの生誕100年(1903年6月25日生まれ)に合わせて、「完璧な一杯の紅茶の淹れ方」を発表した。発表の場としては、オーウェルのルポ『ウィガン波止場への道』で知られるウィガン埠頭での会が予告されていた。

    発表文に解説を寄せたラフバラ大学の化学工学者アンドリュー・スタプリー博士の結論は、オーウェルと正反対だった。

    「ミルクは紅茶の前に入れるべきである。牛乳のたんぱく質は、75℃を超える温度にさらされると変性(劣化)しやすい。熱い紅茶にミルクを注ぐと、ミルクの一滴一滴が本体から離れ、高温の紅茶に長く触れて、かなりの変性が起きる。熱い湯をミルクに加えるほうが、ずっと起こりにくい」

    ISO規格の「ミルクを火傷させないために」を、化学の言葉で説明し直したものと言える。

    発表文には、化学会らしからぬ遊びも混ざっていた。ポットは水を4分の1カップ入れて電子レンジで1分温める。蒸らしは3分。飲むのは60〜65℃で、それより熱いと「品のないすする音」を立てることになる。最高の一杯のためには、事前に重い買い物袋を提げて、あるいは犬を連れて、冷たい横なぐりの雨の中を30分以上歩くこと。お供に読むべき本はオーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』。

    もっとも、オーウェルと化学会は、同じことを争っていたわけではない。オーウェルが気にしたのはミルクの量を加減できるかで、化学会が気にしたのはミルクのたんぱく質だった。そして両者には、ひとつ共通する前提がある。紅茶をポットで淹れて、カップに注ぐことだ。

    97.5%がティーバッグの国で

    その前提を、ティーバッグが崩した。

    英国紅茶・ハーブティー協会(UKTIA)によれば、英国でティーバッグの普及を引っぱったのは1953年のテトリー社である。1960年代初めには市場の3%にも満たなかったが、2007年には96%に達した。協会はいま、英国で飲まれる紅茶の97.5%がティーバッグで、1日に約1億杯が飲まれていると見ている。2003年のスタプリー博士も、ティーバッグは「便利だが抽出を遅くする」と書いていた。

    マグにティーバッグを入れて熱湯を注ぐなら、話はまるで変わる。先にミルクを入れておけば、湯はその場で冷める。250ミリリットルの熱湯に冷えた牛乳30ミリリットルが混ざれば、概算で88℃ほど。協会が紅茶に勧める湯の温度は90〜98℃だから、その下限を割り込み、茶葉の成分が出にくくなる。

    だから協会は、マグとティーバッグで淹れる場合について、はっきり書いている。

    「ミルクは最後が一番。ティーバッグは蒸らし終えたら取り出し、それからミルクを入れることをおすすめします。とはいえ、結局は好みの問題です」

    ポットで淹れるなら、規格と化学会の「先」に理がある。量を加減したいなら、オーウェルの「後」。マグにティーバッグなら、協会の「後」。答えは、どこで淹れるかで変わる。

    1980年に「先」と書いた規格は、2019年の改訂でも、試験報告書に「ミルクを入れたのは前か後か」を必ず書けと求めている。40年近くたっても、規格はこの問いに決着をつけず、記録を残させることを選んだ。どの家庭にも二つの派閥がある、というオーウェルの見立ては、いまも崩れていない。

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