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    2026年9月5日

    王室・制度暮らし・技術歴史・事件

    1840年、英国はペニー・ブラックに国名を刷らなかった——1874年、万国郵便連合が認めた世界で唯一の例外

    世界で最初に切手を発明した国は、いまも自分の国名を切手に印刷していない唯一の国である。1840年のペニー・ブラックから2023年のチャールズ3世の切手まで、186年間ずっと「国名の代わりに君主の横顔」というルールだけで押し通してきた。なぜそれが許されたのか、その横顔は誰の顔なのかを追う。

    1840年、英国はペニー・ブラックに国名を刷らなかった——1874年、万国郵便連合が認めた世界で唯一の例外

    郵便局で切手を1枚買うだけの国が、なぜ世界の郵便ルールの「唯一の例外」になれたのか。答えは、その国が世界で最初に切手を作った国だったから、というだけである。

    1840年5月6日、名前を刷る相手がいなかった

    ローランド・ヒルの改革と2,600通の応募

    郵便改革者ローランド・ヒルは1837年、パンフレット『郵便制度改革・その重要性と実現可能性』を私費出版し、距離によって細かく変わっていた郵便料金を「重さだけで決まる全国一律1ペニー」に変えるべきだと訴えた。議会は1839年8月17日に「郵便均一化法」に王室裁可を与え、ヒル本人が大蔵省に招かれて実施責任者になった。

    新しい前払いの仕組みをどう証明するかは公募にかけられ、のちに「大蔵省コンペ」と呼ばれるこの募集には約2,600通の案が寄せられた。だが実際に採用されたのは、応募作の中の傑作ではなく、ヒルと助手ヘンリー・コールがほぼ独自に仕上げた案——黒いインクで刷られた1ペニー切手、のちの「ペニー・ブラック」だった。1840年5月1日に発行され、5月6日から実際に貼って使えるようになった、世界最初の糊付き前払い切手である。

    この切手には国名が一文字も無い。理由は単純で、まだ世界のどこにも切手というもの自体が存在しなかったからだ。区別する相手がいなければ、名乗る必要も無い。この「名乗らなかった」という消極的な事実が、186年後のいまも続くルールの出発点になる。

    刻まれたのは15歳の横顔だった

    ウィリアム・ワイオンの「シティ・メダル」

    ペニー・ブラックに刷られたヴィクトリア女王の横顔は、即位後に新しく描き起こされたものではない。造幣局の彫刻主任ウィリアム・ワイオンが1834年、当時15歳だったヴィクトリア王女をモデルに制作した肖像がもとになっている。この横顔は1837年、ヴィクトリアがロンドン市を訪れた記念に「シティ・メダル」として硬貨状のメダルに刻まれ、先に世に出た。

    ヒルは画家ヘンリー・コーボルドに依頼し、このシティ・メダルの横顔を切手用にスケッチさせた。できあがった素描をもとに彫刻師チャールズ・ヒースとフレデリック・ヒース親子が原版を彫り、印刷業者パーキンス・ベーコン社が刷版にした。つまりペニー・ブラックの女王は、即位した21歳の姿ではなく、王女だった15歳のときの横顔なのである。国名の代わりに置かれたのは、女王個人の「いまの顔」というより、すでに一つの記章として完成していた図像だった。

    黒はわずか1年で消えた

    消印が見えないという実務上の欠陥

    ペニー・ブラックは美しい黒一色の印刷だったが、使用済みの印(消印)には当時、赤いインクの「マルタ十字」が押された。ところが赤い消印は黒い地の上ではほとんど目立たず、しかも当時の赤インクは薬品で簡単に洗い落とせた。結果、消印を洗って消してしまえば同じ切手をもう一度貼って使い回せるという抜け穴が、発行からすぐに知れ渡ってしまう。

    郵政当局は1841年、切手の地色を黒から赤(ペニー・レッド)に変え、消印のインクを逆に黒へ切り替えるという対処に出た。黒い消印は赤い地の上でくっきりと目立ち、洗い落とそうとすれば下の赤い印刷ごと傷んでしまう。切手の色と消印の色を入れ替えるだけの、地味だが効果的な解決策だった。ペニー・ブラックが「世界最初の切手」として有名な一方で、実際に流通した期間はわずか1年ほどしかない。

    1874年、万国郵便連合が認めた例外

    条件はただひとつ、君主の頭を刷ること

    各国がばらばらに結んでいた郵便条約を一本化する動きは1874年、スイスのベルンで結実する。ここで結ばれた条約が母体となり、のちに万国郵便連合(UPU)と呼ばれる国際機関に発展した。国際郵便物として扱われるには、原則としてどの国の切手にも発行国名を印刷することが義務づけられた。

    このとき、世界で最初に切手を発行した国であるイギリスだけが、この義務から外された。条件は「在位中の君主の横顔を常に切手に刷ること」——国名の代わりに、その時どきの国王・女王の頭部を身分証明として認めるという扱いである。イギリスはもともと1840年から一度も国名を刷ったことが無かったので、この例外規定は新しい特権を得たというより、すでにあった慣行を国際ルールの側があとから追認した形に近い。この例外はいまに至るまで、他のどの国にも与えられていない。

    一つの横顔が2000億枚刷られた

    アーノルド・マキンの1967年デザイン

    ヴィクトリア以降、エドワード7世、ジョージ5世、ジョージ6世と代替わりするたびに切手の横顔は新しく描き直されてきたが、1967年に彫刻家アーノルド・マキンが手がけたエリザベス2世の横顔は、その後の英国の「日常づかいの切手」を一手に担うことになる。マキンは1966年10月、王室の依頼で作っていた硬貨用の写真や素描をもとに石膏の原型を制作し、当初はティアラをつけた姿だったものを、ダイアデム(宝冠)に変更するよう求められて仕上げた。

    この横顔だけを刷った切手は1967年6月5日、4ペンス切手として初めて登場し、以後半世紀以上にわたって額面や色を変えながら刷られ続けた。累計の発行枚数は推定で2000億枚を超えるとされ、一人の彫刻家による一つの図像としては史上もっとも複製された美術作品のひとつに数えられている。

    2023年、横顔は左を向いた

    チャールズ3世と「先代の逆を向く」慣習

    エリザベス2世の崩御を受け、2023年4月4日に発行された新しい通常切手には、チャールズ3世の横顔が使われた。この図像は彫刻家マーティン・ジェニングスが新硬貨のために制作した肖像を切手用に調整し、デジタルで陰影を付け直したもので、マキンの図像に代わる「後継」として設計されている。

    英国の硬貨と切手には、1662年のチャールズ2世の頃から「新しい君主は先代と逆向きの横顔を刷る」という慣習がある(オリバー・クロムウェルに背を向けたい、という動機だったとも言われるが確証は無い)。エリザベス2世は右向きだったので、チャールズ3世は左を向く。この慣習が破られた例は一度だけあり、退位したエドワード8世は本来なら左を向くべきところ、自分の左顔を気に入っていたという理由で右向きの図案を用意させていた(結局その硬貨・切手が発行されることは無かった)。

    国名を持たない切手というイギリスだけの例外は、こうして君主が代替わりするたびに横顔の向きと彫刻家だけを変えながら、1840年から現在まで途切れずに続いている。

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