2026年9月11日
イギリス人の好き嫌いを真っ二つに割る茶色いペースト、マーマイト。1931年、英国人医師ルーシー・ウィルスはボンベイの病棟で、重い貧血で死にかけた妊婦たちにこれを食べさせた——吐き気を抑えるため、氷で冷やし、砕いた胡椒を加えて。正体不明の有効成分は「ウィルス因子」と呼ばれ、10年後、アメリカでほうれん草4トンから取り出されて「葉酸」と名づけられた。
「妊娠を考えたら葉酸を」——いまや世界中の女性が聞かされるこの常識は、ビール工場の廃物から作られたトースト用ペーストに始まる。そしてイギリスは2026年12月13日を期限に、国じゅうの小麦粉へ葉酸を加える。ボンベイの病棟から95年、長い回り道の話である。
1902年、バートン・アポン・トレント
イギリスのスーパーの朝食コーナーには、黄色いふたの、丸く膨らんだ茶色い瓶が必ず並んでいる。マーマイトである。黒に近い褐色の、粘りのあるペースト。塩辛く、独特のうま味と苦みがあり、バターを塗ったトーストに薄くのばして食べる。
好き嫌いがはっきり分かれる食べ物で、メーカー自身がそれを売り文句にしている。1996年10月に始まった広告の決め台詞は Love it or hate it(愛するか、憎むか)。英語には "a Marmite ~" で「賛否が真っ二つに割れる〜」を指す言い回しまである。
原料は、ビール工場の余りものだ。ビールを仕込むと、発酵を終えた酵母が大量に残る。19世紀ドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービッヒは、この余った醸造酵母を濃縮すると、食べられるペーストになることを見つけていた。
1902年、その商品化のためにマーマイト・フード・エクストラクト社が設立される。場所はスタッフォードシャーのバートン・アポン・トレント。イギリス醸造業の中心地で、使われなくなったモルト小屋を借りて工場にし、酵母は大手醸造所のバスから届いた。1907年にはロンドンのキャンバーウェル・グリーンに第二工場ができる。いまも製品はバートンの工場で作られている。
名前はフランス語の marmite(ふた付きの煮込み鍋)から来ている。ラベルにいまも小さな鍋の絵が描かれているのはそのためだ。
売れ行きを押し上げたのは、科学のほうだった。1912年、ポーランド出身の生化学者カシミール・フンクが「ヴァイタミン」という語を提唱し、食べ物の中には微量で体を左右する物質がある、という考えが広まる。醸造酵母はビタミンB群の豊富な供給源とわかり、マーマイトは「体にいいもの」になった。第一次世界大戦では、イギリス兵の配給品にマーマイトが入っている。
ただ、この瓶の中に、死にかけた妊婦を立ち直らせる物質が入っていることは、まだ誰も知らなかった。それが見つかるのは1931年、イギリスから遠く離れたボンベイ(現ムンバイ)でのことである。
「這うことができるなら、家の仕事をしなければならない」

ルーシー・ウィルスは1888年5月10日、バーミンガム近郊のサットン・コールドフィールドに生まれた。チェルトナム・レディーズ・カレッジからケンブリッジのニューナム・カレッジに進み、1911年に植物学と地質学を修めて卒業する。医学に転じたのはそのあとで、ロンドン女子医学校を経て医師資格を得たのは1920年、32歳のときだった。勤め先はロンドンのロイヤル・フリー病院である。
1928年、彼女はインドへ渡る。インド医療局の医師マーガレット・バルフォアに招かれ、インド研究基金協会の妊産婦死亡調査(Maternal Mortality Inquiry)に加わったのだ。拠点はボンベイのパレル地区にあるハフキン研究所。1899年、ペスト研究のために作られた研究所である。
追いかけたのは、当時「妊娠性悪性貧血」と呼ばれていた病気だった。赤血球が異様に大きくなり、数が激減する。顔や手足がむくみ、息が切れ、心臓が弱って、出産を待たずに死ぬ妊婦が多かった。とりわけ多いとされたのが、ボンベイの紡績工場で働く貧しい女性たちである。
ウィルスは1931年の論文に、病棟の実情を書き残している。重症の妊婦は、治療が効き始めるまでの最初の5日間が勝負で、入院から24〜48時間のうちに心不全で亡くなる人も多い。持ち直しても、長くは入院していてくれない。
「家の求めはあまりに切実で、本人も親族も治療の大切さを理解していない。這うことができるなら、女は家の仕事をしなければならない」
効く治療は、ひとつだけ知られていた。肝臓である。1926年、アメリカのマイノットとマーフィーが、肝臓を大量に食べさせると悪性貧血が治ることを報告し(のちにノーベル賞を受ける)、肝臓エキスが薬として売られていた。ボンベイの貧血も、肝臓エキスには反応した。
だが、高かった。ウィルスによれば、重症例では生の肝臓600グラムに相当する量を毎日与えないと間に合わない。実際には費用などの理由で、たいていは半ポンド(約230グラム)相当までしか使えなかった。論文の症例表には、厳格な菜食を守るヒンドゥー教徒の女性が何人も並んでいる。肝臓エキスのあとは「本人が食べてくれるなら」生の肝臓に切り替える、とも書かれている。鉄剤やヒ素剤は、まったく効かなかった。
もうひとつ、ウィルスは重要なことに気づいていた。血液の顔つきは本物の悪性貧血とそっくりなのに、胃の検査をすると、多くの患者でちゃんと胃酸が出ている。本物の悪性貧血なら、胃酸が出ないはずだ。体が栄養を吸収できないのではない。食べ物のほうに、何かが足りていないのではないか。
冷やして、胡椒を振って
ウィルスはまず、原因を食事に絞りこもうとした。同僚のサクンタラ・タルパデと組んでボンベイの女性たちの食事を調べ、1929年4月から10月には、南インドの丘陵地クーヌールにあるパスツール研究所で、栄養学者ロバート・マッカリソンのもと動物実験に取りかかる。
ボンベイのイスラム教徒の女性と同じ食事を与えた白ネズミは、貧血になった。妊娠したネズミは、出産の前に死んだ。そして、ビタミンBを抜いた餌に酵母を加えると、貧血は防げた。
ところがネズミの群れにシラミが湧き、感染症が結果を濁らせる。貧血が食事のせいなのか感染のせいなのか、区別がつかない。ウィルスは実験動物をアカゲザルに切り替えた。
同じころ、患者には別の治療も試している。当時は、この貧血をビタミンAとCの欠乏が引き起こしているという説があった。そこで、石鹸会社リーヴァ・ブラザーズ(1929年に合併してユニリーバとなる)が無償で提供したビタミンAの濃縮物に、ビタミンCの豊富な食事を組み合わせた。
論文は、結果を一語で片づけている。完全な失敗。サルの実験でも、AとCは無関係だった。代わりにサルの実験は、ビタミンB群のどこかに鍵があることを強く示していた。
伝記研究によれば、決め手になったのは一匹のサルだった。とりわけ容体の悪い一匹に、ウィルスは手近で安い酵母エキスを与えてみた。マーマイトである。効果は劇的だった。
論文には、選んだ理由が淡々と書かれている。
「酵母エキスの一種であるマーマイトが、最も適した製剤として選ばれた。エキスはマーマイト・フード・エクストラクト社から大量に供給された」
サンプルはロンドンのリスター研究所の栄養学者ハリエット・チックが分析し、ビタミンB1とB2に富み、酵母そのものに匹敵すると報告した。
患者に与えた量は、1ドラム(約4グラム)を1日2回から4回。妊婦には多めに出した。
重症の患者の中には、吐き気を訴える人もいた。ウィルスはそこで工夫をしている。
「氷で冷やし、砕いた胡椒の実を加えることで、これは克服された。患者たちがそれを好んだので、常に冷たくして与えた」
冷やして胡椒を利かせたマーマイト。イギリス人が「好きか嫌いか」で言い争うあの味は、ボンベイの病棟では薬として、患者の好みに合わせて出されていた。
1931年6月20日、『英国医学雑誌』
1931年6月20日、ウィルスの論文が『英国医学雑誌』(BMJ)に載る。題は「『妊娠性悪性貧血』と『熱帯性貧血』の治療——とくに治療薬としての酵母エキスについて」。著者の所属欄には「ハフキン研究所(ボンベイ、パレル)」とある。
マーマイトで治療した症例は、全部で22人。妊娠していない女性8人、妊婦7人、産後の女性2人、治療中に出産した女性5人である。多い数ではない、と彼女自身が認めている。そのうえで、こう書く。
「治療の結果はきわめて顕著だったので、報告してよいと考える——私はまもなくインドを離れ、この研究を続けられなくなるので、なおさらである」
いちばん鮮やかなのは症例VIIだ。20歳、初めての妊娠で6か月。重い貧血、ひどい息切れ、顔と手足のむくみ、速い脈、下痢で運ばれてきた。赤血球は1立方ミリあたり99万個。彼女が測ったボンベイの健康な女性の平均は406万個だから、4分の1にも満たない。ヘモグロビンは基準の18%しかなかった。
与えたのは、マーマイト1ドラムを1日4回。最初の2日間は危篤だった。そこから急に持ち直す。下痢は5日で止まり、むくみはみるみる引いた。骨髄から出てきたばかりの若い赤血球(網状赤血球)の割合は5日目に56%へ跳ね上がり、13日目には赤血球249万個、ヘモグロビン50%。ウィルスはここに一言添えている——「妊婦としては驚くべき反応」。16日目、患者は「すっかり元気」だと言った。
症例VIIIは、論文に日雇いの荷役労働者(クーリー)として記録された、20歳の妊婦である。全身がむくみ、腹に水がたまり、胸じゅうで湿った音がした。与えたのはマーマイトだけ。2日でむくみが目に見えて減り、7日目には足にわずかに残るだけになり、10日目には消えた。
全員が助かったわけではない。赤血球が100万個を切った状態で入院した妊婦のうち2人は、治療の2日目と4日目に、出産しないまま亡くなっている。ウィルスはそれも書いている。
結論はこうだった。マーマイトは肝臓エキスに劣らず強力で、しかもインドでは比較的安く、植物由来である。菜食の患者にも出せる、ということだ。
1933年、ウィルスは『ランセット』に続報を出す。ビタミンB1、B2、B4を含むさまざまな製剤を試しても、この貧血は治らなかった。効くのはマーマイトだ。その有効成分は水にも80%のアルコールにも溶け、熱にも強い。既知のどのビタミンとも合わない。
この未知の物質は、しばらく「ウィルス因子」(Wills factor)と呼ばれることになる。
マーマイトの評判は、すぐに海を越えた。1934〜35年、セイロン(現スリランカ)をマラリアの大流行が襲う。干ばつで米が不作になり、飢えて弱った人々のあいだで広がって、人口550万人のうち約150万人がかかり、7か月で8万人の超過死亡を出した。
救援に入った若者たちのスーリヤ・マル運動は、村々で深刻な栄養失調を目にし、マーマイトを丸めて錠剤にして配った。発案はカナダ生まれの医師メアリー・ラトナムだったと伝えられ、キニーネより効いたとまで言われた。この救援の担い手たちが中心になって、1935年12月18日、セイロン初の政党ランカ・サマ・サマージャ党が結成されている。
ウィルス因子が「葉酸」になり、抗がん剤を生むまで
正体が割れたのは10年後、アメリカでのことだ。
1941年、テキサス大学オースティン校のハーシェル・ミッチェル、エズモンド・スネル、ロジャー・ウィリアムズの3人は、乳酸菌の生育に欠かせない因子を追いかけて、ほうれん草4トンから微量の物質を濃縮した。葉から取れたので、ラテン語の folium(葉)にちなんで folic acid と名づけた。日本語の「葉酸」は、その直訳である。
1943年、ニューヨーク州パールリバーのレダリー研究所でボブ・ストクスタッドが純粋な結晶を取り出し、1945年には、同研究所の研究部長イエラプラガダ・スバロウが率いるチームが化学合成に成功する。スバロウは、南インドのアーンドラ地方の生まれだった。インドの女性たちの貧血から存在が浮かび上がった物質を、インド生まれの化学者が合成したことになる。
ウィルス因子の正体は、この葉酸とその仲間の化合物(総称して葉酸塩、フォレート)だった。細胞が分裂するときにDNAを作るのに欠かせないビタミンで、妊娠中は胎児の急速な細胞分裂のために必要量がはね上がる。足りなくなると、骨髄の中で赤血球のもとになる細胞がうまく分裂できず、大きいまま数が減っていく。ウィルスが顕微鏡で見ていた巨大な赤血球は、その姿だった。
豆やほうれん草のような野菜にも葉酸は含まれるが、熱に弱く、調理で失われやすい。貧しい家庭の、煮込んだ穀物中心の食事では、妊娠という大きな需要をまかなえなかったのである。
話はここで終わらない。細胞分裂に欠かせないのなら、それを邪魔すれば、異常に分裂し続ける細胞を止められるのではないか。
ボストン小児病院の病理医シドニー・ファーバーは、白血病の子どもに葉酸の化合物を与えると、かえって病気が進むように見えることに気づいた(1947年)。そこで逆を狙う。スバロウのチームが作った、葉酸によく似た「偽物」の化合物の一つ、アミノプテリンを、1947年12月16日、高熱で危篤の8歳の男の子に投与した。4か月後、男の子の白血病は寛解していた。
1948年6月3日、ファーバーは『ニューイングランド医学雑誌』に、アミノプテリンを投与した16人の子どものうち10人が一時的な寛解に入ったと報告する。論文の謝辞には、スバロウとレダリー研究所の名が記されている。薬で白血病の寛解が再現性をもって得られたのは、これが初めてだった。化学療法の出発点とされる出来事である。同じ系譜の薬メトトレキサートは、いまも白血病や関節リウマチの治療に使われている。
ボンベイの病棟で、冷やして胡椒を利かせたマーマイトは、20年足らずのうちに、がん治療の入口にまでつながったのである。
勧告から20年、そして瓶に戻ってきた葉酸
葉酸の不足が、貧血よりもっと深刻な結果につながることも、のちに分かってくる。受胎の前後に葉酸が足りないと、胎児の脳や脊髄のもとになる神経管がうまく閉じず、二分脊椎や無脳症といった神経管閉鎖障害が起こりやすくなる。1991年、イギリスの医学研究評議会(MRC)による大規模な試験が、妊娠前からの葉酸摂取でこの障害の再発を約7割減らせることを示した。
アメリカは1998年1月1日から、穀物製品への葉酸の添加を義務づけた。2018年12月の時点で、食品への葉酸強化を義務づける国は62か国にのぼる。
イギリスは、葉酸発見の糸口をつくった国でありながら、長く踏み切らなかった。政府の栄養科学諮問委員会(SACN)が小麦粉への葉酸添加を勧告したのが2006年。食品基準庁の理事会も翌2007年に同意したが、実施は見送られ続けた。政府が義務化を発表したのは2021年9月20日、規則が議会に提出されたのは2024年11月14日である。
その期限が、2026年12月13日だ。この日までに、イギリスの製粉業者は全粒粉以外の小麦粉100グラムあたり0.25ミリグラムの葉酸を加えなければならない。こうした小麦粉にはもともとカルシウム・鉄・ナイアシン・チアミンの添加が義務づけられていて、そこに葉酸が加わる形になる。製粉業界は期限を待たず、2025年9月から前倒しで切り替える計画を立てていた。政府の見積もりでは、これで神経管閉鎖障害を年に約200件、全体のおよそ2割防げる。
ルーシー・ウィルスは1947年にロイヤル・フリー病院を退いたあとも、フィジー、ジャマイカ、南アフリカで栄養の調査を続けた。1950年のフィジーでの調査は、貧血の妊婦への鉄剤の無料配布や学校給食の導入につながっている。最後の10年はチェルシー区の労働党区議を務め、1964年4月26日、カンタベリーで75歳で亡くなった。2019年5月10日、生誕131年の日には、Googleのトップページを飾るDoodleに彼女が描かれている。
そして、マーマイトである。いまイギリスで売られているマーマイトのラベルには、原材料として「ビタミン(チアミン、リボフラビン、ナイアシン、ビタミンB12、葉酸)」と書かれている。酵母エキスにもともと含まれる分とは別に、葉酸が添加されているのだ。
ボンベイの妊婦たちを立ち直らせた「正体不明の何か」は、10年後に名前を与えられ、14年後に合成され、いまはラベルに印刷されて、同じ瓶に戻っている。2026年の暮れからは、全粒粉でないイギリスのパンにも入る。バターを塗ったトーストにマーマイトをのばす人は、そうとは知らずに、ルーシー・ウィルスの見つけたものを二重に口にしていることになる。
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