コラム連載「NHS物語」第3回(全3回)
NHSの無料は3年で揺らいだ——1951年、入れ歯と眼鏡の有料化に生みの親ベヴァンは大臣を辞めた 第3回
始まったばかりのNHSには眼鏡と入れ歯を求める人が押し寄せ、2年半で1700万組の眼鏡が作られた。1951年4月、朝鮮戦争の再軍備に追われる財務大臣は、入れ歯と眼鏡の代金のおよそ半分を患者に払わせると決める。生みの親のベヴァンは議会で「来年は上の入れ歯で踏みとどまるのか」と問い、大臣の座を降りた。
公開文 ジャスト・ロンドン編集部約6分で読めます参考資料 5件

この記事の要点
- NHSが始まると、それまで我慢してきた眼鏡と入れ歯を求める人が押し寄せ、2年半で1700万組の眼鏡が作られた
- 1949年のポンド切り下げのあと、アトリー首相は処方箋1枚ごとに1シリング以内の料金を取ると発表した
- 1951年4月、朝鮮戦争の再軍備に追われる財務大臣ゲイツケルは入れ歯と眼鏡の代金の約半分を患者に払わせると決め、ベヴァンはこれに抗議して大臣を辞めた
- 処方箋の料金は1952年から実際に取られ始め、いまイングランドでは1品目9.90ポンド
目次
連載「NHS物語」の第3回。1948年7月5日に始まったNHSは、すぐに「無料」の重さと向き合うことになる。今回は、最初の3年間に何が起きたのか、そして処方箋の料金がいまに続くまでの話。
01
眼鏡1700万組
せき止められていた需要
NHSが始まると、人々がまず求めたのは、それまでお金がなくて我慢してきたものだった。眼鏡と入れ歯である。
1951年4月、保健大臣が議会に出した見積もりがある。イングランドとウェールズで作られた眼鏡は、制度が始まった1948年の後半だけで約150万組。1949年は約725万組、1950年は約825万組で、2年半で合わせて1700万組にのぼった。入れ歯を受け取った患者も、1948年の後半の約20万人から、1949年に約230万人、1950年に約345万人と増え、合わせて600万人近くになっている。両地域の人口は4000万人あまりだから、驚くべき数である。
費用はたちまち見積もりを超えた。最初の年度だけで、当初の予算のおよそ3割にあたる5900万ポンドの補正予算が必要になり、1950年3月には、ベヴァンはさらに1億ポンドの補正を求めた。議会の決算委員会は、無料の保健サービスが議会による予算の統制を大きく損なっている、と警告した。
ベヴァンは、これは一時的なものだと主張した。制度ができる前は、病気でも医者にかかれず、見えにくい目や合わない歯のまま暮らしていた人が大勢いた。その積み残しが一度に押し寄せているのだ、と。のちの数字を見れば、彼の見立てはおおむね正しかった。1950年代に入ると、保健サービスの支出は落ち着いていく。だが、それがわかるのは、もっと先のことだった。
02
薬の滝
1949年、最初の妥協
1949年9月、イギリスはポンドの切り下げに追い込まれ、政府は支出の削減を迫られた。10月24日、アトリー首相は下院で、NHSの処方箋1枚ごとに、1シリング以内の料金を取ると発表する。
その秋、ベヴァンはある講演で、いまイギリス人ののどへ絶え間なく流れ落ちている薬の滝を思うと身震いがする、と語った。12月の下院の審議では、この「薬の滝」という言葉が何度も引き合いに出されている。ある議員は、料金に反対してこう皮肉った。「各人にはその必要に応じて」という偉大な原則を、「各人にはその1シリングに応じて」に取り替えるつもりか——。
12月に成立した改正法は、処方箋に料金を課す権限を政府に与えた。年金生活者と、戦傷の年金を受ける元兵士は、料金を免れるとされた。
だが、この料金は、労働党の政権のあいだには実際には課されなかった。ベヴァンはのちに議会で、あの料金は実行できないとわかっていたから同意したのだ、と打ち明けている。政府の内側で、彼は時間を稼いでいた。
03
入れ歯と眼鏡で1300万ポンド
1951年4月、予算と辞任
1950年6月に朝鮮戦争が始まると、イギリスは同盟国とともに大規模な再軍備に乗り出した。軍事費の計画は47億ポンド。ベヴァンは、1951年1月に保健大臣から労働大臣に移っていた。
1951年4月10日、財務大臣ゲイツケルは予算演説で、保健サービスの予算に4億ポンドの上限を設けると述べた。上限に収めるため、抜歯や虫歯の治療は無料のまま残すが、入れ歯の作製には規定の料金のおよそ半分を、眼鏡には1組の費用のおよそ半分を、患者に払わせる。子どもの眼鏡は無料。見込まれる収入は、1951年度で1300万ポンドだった。財務大臣は、料金がかかるのは困窮の心配がいちばん少なく、むしろ乱用の心配がいちばん多いところだ、と説明している。
ベヴァンは閣議でこの料金に反対し、決まれば辞めると伝えていた。それでも閣議は財務大臣を支持した。病気で入院中だったアトリー首相も、どの予算も聖域ではない、と説いた。4月の下旬、ベヴァンは辞表を出し、商務大臣のハロルド・ウィルソンも後に続いた。ウィルソンは辞任の弁でこう述べている。これは歯と眼鏡の問題ではない。もっと根本的なことなのだ、と。
財務大臣が国王ジョージ6世に予算を説明したとき、国王は、あんなことで辞めるとは正気ではない、と漏らしたと伝えられる。
04
なだれは小石から始まる
4月23日、辞任の演説
4月23日、ベヴァンは下院で辞任の理由を述べた。演説の多くは、再軍備の計画そのものへの批判に割かれた。原料も機械も足りないのに、実現できない軍事費の数字を予算に入れている。47億ポンドの計画は、すでに死んでいる、と。
それから彼は、保健サービスの話に移った。この数週間、仲間たちは、私が眼鏡と入れ歯という些細なことで争っていると言ってきた。だが、予算の総額40億ポンドのうち、たった1300万ポンドのために保健サービスを切り刻み始めるのなら、来年は何をするのか。来年は上の入れ歯で踏みとどまるのか。下の半分はどうやらどうでもいいが、上の半分は神聖だ、と? その上の半分を削ったら、その次の年は何を削るのか。処方箋か。入院費か。どこで止まるのか——。
山の多い国に暮らす人は、いつもなだれを恐れている、と彼は続けた。なだれは、小さな石が動くことから始まる。最初は誰も小石のことなど気にしない。だが、それが勢いを増し、やがて谷全体をのみ込む。
そして、こうも言った。NHSは、私たちみなが誇りにしてきたものだった。野党でさえ、誇りに思い始めていた。あと数年続けば、伝統の一部になっただろう。そうなれば、伝統を重んじる人たちが、その手柄をすべて自分のものにしたはずだ。なぜそれを投げ捨てるのか——。
05
処方箋は1品目9.90ポンドに
その後の75年
ベヴァンの心配は当たった。1951年10月の総選挙で労働党は敗れ、チャーチルの保守党政権は翌1952年6月から、処方箋1枚ごとに1シリングの料金を取り始めた。歯の治療にも料金がついた。
その後、処方箋の料金は、政治の振り子に合わせて揺れた。1965年2月1日、労働党の政権はこれを廃止する。ところが1968年1月16日、ポンド切り下げのあとの歳出削減を発表した首相は、最大限の不本意をもって、処方箋1品目あたり2シリング6ペンスの料金を復活させる、と告げた。首相の名はハロルド・ウィルソン。17年前、「これは歯と眼鏡の問題ではない」と言って、ベヴァンとともに大臣を辞めた人である。
いま、処方箋の料金が残っているのはイングランドだけになった。ウェールズは2007年、北アイルランドは2010年、スコットランドは2011年に廃止している。イングランドでは2026年現在、1品目9.90ポンド。60歳以上や16歳未満などは無料で、前払いの証明書で負担を抑える方法もある(詳しくは処方箋料を下げる方法)。
ベヴァンは1960年7月6日、62歳で亡くなった。NHSが12歳の誕生日を迎えた翌日だった。辞任の翌年に出した著書に、彼はこう書いている。病人がお金がないために医療を受けられないような社会は、文明社会を名乗る資格がない。
次回は最終回。NHSは外国から来た人をどう扱ってきたのか。ロンドンを旅する人、イギリスで暮らす外国人にとって、いちばん身近な話である。
参考資料
- 庶民院議事録「国民保健サービス(改正)法案」(処方箋の料金をめぐる審議)原典英国議会(Hansard)1949api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
- 庶民院議事録「国民保健サービス」(財務大臣の予算演説、入れ歯と眼鏡の料金)原典英国議会(Hansard)1951api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
- 庶民院議事録「アナイリン・ベヴァン氏の声明」(辞任の演説)原典英国議会(Hansard)1951api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
- 庶民院議事録 書面答弁「眼鏡と入れ歯」(1948〜50年の数)原典英国議会(Hansard)1951api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
- 庶民院議事録「公共支出」(首相による処方箋の料金の復活の表明)原典英国議会(Hansard)1968api.parliament.uk(新しいタブで開きます)
記事の主な日付・数字・引用は、上の資料と照らし合わせて確かめています(2026年10月確認)。
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