マウストラップ(ねずみとり)は1952年から続く——作者は「8か月」と読み、上演権を9歳の孫に贈った
ロンドンのセント・マーティンズ劇場で、アガサ・クリスティの推理劇『マウストラップ(ねずみとり)』は1952年から休まず続き、上演は3万回を超えた。始まりは王太后の80歳の誕生日に書かれた30分のラジオ劇で、その筋の芯には1945年に英国を揺らした里子の死がある。作者が「8か月」と読んだ劇が、なぜ映画にもならず、結末も明かされないまま70年以上続いているのかをたどる。
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ロンドンのセント・マーティンズ劇場で、アガサ・クリスティの推理劇『マウストラップ(ねずみとり)』は1952年から休まず続き、上演は3万回を超えた。始まりは王太后の80歳の誕生日に書かれた30分のラジオ劇で、その筋の芯には1945年に英国を揺らした里子の死がある。作者が「8か月」と読んだ劇が、なぜ映画にもならず、結末も明かされないまま70年以上続いているのかをたどる。
続きを読む →紅茶のアールグレイは、英国の首相だったグレイ伯爵が外交上の贈り物として受け取った茶を再現したもの——老舗のトワイニングも、英国政府の歴代首相の紹介ページも、そう伝えている。ところが古い新聞広告をさかのぼると、「グレイ伯爵の調合茶」という名前が初めて現れるのは1884年、伯爵が亡くなって39年後のことだった。それより前、ベルガモットの香りは安い茶を高級品に見せかける手口として新聞に載っていた。
続きを読む →第二次大戦中のロンドンで、地下鉄の駅は防空壕になった。政府ははじめ反対し、警察が人々を追い出そうとしたが、市民は切符を買ってホームに居座った。1943年3月、まだ開業前のベスナル・グリーン駅の入口の階段で、避難しようとした人々が折り重なって倒れ、173人が死んだ。政府は駅の名を伏せ、調査報告書を2年近く公表しなかった。
続きを読む →20世紀の初め、ロンドンには許可だけ取って掘られない地下鉄の計画がいくつも眠っていた。それを買い集めて一気に掘ったのは、横領で服役した過去をもつ米国の投資家チャールズ・ヤーキーズだった。議会で「たこの足」と呼ばれた彼は、自分の3路線の開業を見ずに死ぬ。残された赤字の会社を立て直したのは、駅名の文字と赤い丸の標識、そして美しいポスターで地下鉄の「顔」をつくった、ひとりの事務屋フランク・ピックだった。
続きを読む →ロンドンの地下鉄が「チューブ(管)」と呼ばれるのは、粘土層の奥深くに鉄の輪をつないだ丸いトンネルを掘ったからだ。その掘り方を確立したのは、20代で川底のトンネルを掘った技師グレートヘッドだった。1890年、世界初の深い地下を走る電気鉄道が開業する。もとはケーブルで引く計画で、窓の小さな客車は「詰め物をした独房」とあだ名された。
続きを読む →世界で最初の地下鉄は、電車ではなく蒸気機関車が石炭を焚いて走るトンネルだった。1863年1月、ロンドンのメトロポリタン鉄道は初日に3万人を超える客を運んだが、言い出しっぺの市の法務官は開業を見ずに世を去っていた。技師が宴席で語った「煙を出さない機関車」は試運転で失敗し、煙の充満するトンネルは、それから40年以上も議会で問題にされ続けた。
続きを読む →イギリスはなぜ左側通行なのか。よく聞く「騎士が剣を抜くため」という説には、裏付けになる文書がない。記録で追えるのは、1722年にロンドン橋の渋滞に手を焼いた市の命令と、1835年の法律の「左、すなわちニアサイド」という一句だ。そして1960年代、英国政府は右側通行への切り替えにいくらかかるかを、議会で何度も答弁していた。
続きを読む →首相官邸の猫ラリーが「内閣府ネズミ捕り長」の肩書きを公式に得たのは2011年のこと。だが英国の国立公文書館には、それより80年以上前から、政府が猫を職員のように扱ってきた記録が残っている。手当の額、給与の等級、「飢え死にしかねない手当だ」と責められた役所の反論まで、ロンドンの官庁街で働いた猫たちの勤務記録をたどる。
続きを読む →11月5日の夜に英国各地で花火が上がり焚き火が燃える「ガイ・フォークス・ナイト」は、もとは議会が法律で国民に命じた記念日だった。1606年の法律は、毎年この日に全国の教会で感謝の礼拝を開き、牧師が条文を読み上げることまで定めた。法律は253年生き延びたが、廃止を求めた貴族院議員によれば、少なくとも最後の150年、条文はどこでも読まれていなかった。
続きを読む →1949年に煤けた銘板を見たアメリカ人俳優サム・ワナメーカーは、イギリスにとどまり、グローブ座を建て直そうとした。土地を借りるまでに33年、区議会との争いに4年。ようやく工事が本格化した1989年、本物のグローブ座の基礎が、あの銘板のすぐ裏の駐車場から出てくる。掘れたのはほんの一部で、劇場の形は学者たちの投票で決まった。ワナメーカーは完成を見ずに死に、劇場は1997年6月に開場した。連載「グローブ座物語」の最終回。
続きを読む →1642年に芝居を禁じられたグローブ座は、借地の期限が切れたあと取り壊され、跡には家が建った。最後にその姿を描いた版画は、劇場の名札を取り違えていた。やがて跡地はビール醸造所にのみ込まれ、1909年に醸造所の壁へ「グローブ座ここにありき」の銘板が掛かると、同じ年、アメリカの学者が「劇場は道の向かい側だ」と反論した。ロンドンでいちばん有名な劇場は、なぜ場所さえ分からなくなったのか。連載「グローブ座物語」の第3回。
続きを読む →1613年6月29日、新作『ヘンリー八世』の上演中、王の登場を祝って放った小さな大砲の詰め物が、グローブ座の藁葺き屋根に落ちた。客は芝居に見入って煙に気づかず、劇場は1時間あまりで焼け落ちた。死者は出ず、ズボンに火がついた男は瓶のビールで消したと、外交官が甥への手紙に書き残している。劇場は1年後に瓦屋根で建て直されたが、1642年、内戦の始まりとともに、議会の命令で芝居そのものを止められた。連載「グローブ座物語」の第2回。
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