コラム連載「NHS物語」第4回(全4回)
NHSは外国人旅行者も無料で診ていた——1982年に有料化、いまは移民が保険料を前払いする 第4回
1948年に始まったNHSは、国籍も滞在の長さも問わず、病気になった人を無料で診た。外国人にただ乗りさせるなという批判に、生みの親ベヴァンは「騒ぎ全体に嫌な味がする」と書いた。旅行者に病院代を請求する規則ができたのは1982年。いまイギリスに暮らす外国人はビザの申請時に移民健康保険料を前払いし、旅行者は入院すると標準の費用の1.5倍を請求される。
公開文 ジャスト・ロンドン編集部約6分で読めます参考資料 5件

この記事の要点
- 1948年に始まったNHSは、国籍や滞在の長さを問わず、病気になった人を無料で診た
- 旅行者などイギリスに通常住んでいない人に病院代を請求する規則ができたのは1982年。根拠の条文は1949年の改正法にすでにあった
- NHSを支える側にも外国から来た人がいて、1949年からはカリブ海の島々で看護師の募集が始まった
- いまは6か月を超えるビザを申請するとき移民健康保険料(IHS)を前払いし、旅行者は入院すると標準費用の1.5倍を請求される。救急外来での手当ては誰でも無料
目次
連載「NHS物語」の最終回。NHSは誰のためのものなのか——この問いは、制度が始まった直後から議論の的だった。今回は、外国から来た人とNHSの、75年あまりの関係をたどる。ロンドンを旅する人、暮らす人にとって、いちばん身近な話でもある。
01
「来訪者と国民を、どう見分けるのか」
1952年、ベヴァンの反論
1946年の法律は、NHSを使える人に、国籍や滞在の長さの条件をつけなかった。イギリスにいて病気になれば、誰でも無料で診てもらえる。始まってすぐ、これが批判の的になった。イギリスの税金を払っていない外国人が、なぜ無料の医療の恩恵を受けるのか。
ベヴァンは1952年の著書で、この批判にまとまった紙幅を割いて答えている。批判の大半は事情を知らないもので、一部は意図して悪意のあるものだ。来訪者も、酒やたばこを買い、娯楽にお金を使えば、その時点で国の歳入に貢献している。保健サービスの費用を直接払っていないのは、イギリス国民も同じだ。
そして彼は、いちばん実際的な理由を挙げる。来訪者と、それ以外の人を、どうやって見分けるのか。英国民は、自分が来訪者ではないと証明するために、どこへ行くにも身分証を持ち歩かなければならないのか。羊と山羊を分けるなら、両方を分類しなければならない。自分たちのために保健サービスを守ろうとして始めたことが、結局は全員にとっての厄介ごとになるだろう、と。
費用も計算させた。1年間の来訪者の数に、国民1人あたりの保健サービスの費用を掛ける。答えは年に20万ポンドほど。保健サービスの総費用3億9900万ポンドに比べれば、ほんのわずかである。休暇で来る人は普通の住民ほど医者にかからないから、これでも多めの見積もりだ。彼はこう書いている。この騒ぎ全体に、嫌な味がする。文明的な原則を実践できる機会を喜ぶかわりに、保守党はいちばん下劣な感情を利用しようとしてきた——。
02
33年眠った条文
1949年に用意され、1982年に使われた
ただし、道はベヴァン自身が保健大臣だったときに、すでに用意されていた。1949年12月に成立した改正法、前回触れた処方箋の料金の権限を定めた、その同じ法律に、もう一つの条文がある。保健大臣は規則によって、イギリスに通常住んでいない人への医療について、料金を定め、取り立てることができる——。
この権限を使った規則が初めて作られたのは、1982年である。サッチャー政権のもとで、外国人来訪者への料金を定めた規則が、その年の10月1日に施行された。規則は、イギリスに通常住んでいない人を「外国人来訪者」と定め、病院での治療に料金を課した。
ただし、例外も多かった。病院の救急外来での手当ては、入院と決まるまでは無料。病院の外での医療、つまりかかりつけ医の診察も対象外だった。仕事のためにイギリスにいる人、1年以上住んでいる人、難民として受け入れられた人やその申請中の人も、料金を免れた。
ベヴァンが厄介ごとになると言った「見分ける」作業は、まず病院の入院と、外来の専門的な治療に絞って始まったのである。
03
看護師はカリブ海から来た
NHSを支えてきた外国からの人々
外国から来た人は、NHSを使う側であるだけではなかった。支える側でもあった。
制度が始まった1948年、NHSの看護師の欠員は5万4000人にのぼっていたとされる。翌1949年、保健省は植民地省や看護の専門団体と組み、カリブ海の島々から看護師を積極的に募り始めた。16の英国の植民地に現地の選考委員会が置かれ、看護師の卵が世界の各地から集められたが、その多くはカリブ海の出身だった。1977年の時点でも、看護と助産の学生の12%を外国からの人が占め、その3分の2以上がカリブ海の出身だった。
その流れは今も続いている。2023年9月の統計では、イングランドの病院と地域医療で働く職員(国籍のわかる人、常勤換算)の20.4%が、英国以外の国籍だった。統計を取り始めた2009年には11.9%だったから、14年でおよそ1.7倍になったことになる。
ロンドンの病院にかかれば、それは数字を見るまでもなくわかる。医者にも看護師にも、さまざまな国の出身者がいる。外国から来た人をどこまで無料で診るかが議論される一方で、NHSは外国から来た人なしには回らなくなっている。
04
1年1035ポンドの前払い
2015年、移民健康保険料
2010年代に入ると、外国人とNHSの線引きはさらに細かくなった。
2014年の移民法にもとづいて、2015年4月6日から、6か月を超えてイギリスに滞在するビザを申請する人は、移民健康保険料(IHS)を払うことになった。当初はヨーロッパ経済領域(EUとノルウェーなど)の外の国の人が対象で、1年あたり200ポンド、学生とその家族は150ポンド。ビザの期間の分を、申請のときにまとめて前払いする。払えば、イギリスに住む人と同じ条件でNHSを使える。
金額はその後引き上げられ、2024年2月からは一般の成人が1年1035ポンド、学生とワーキングホリデーの若者などが1年776ポンドになった。5年のビザなら、申請の時点で5000ポンドを超える額を払うことになる。仕組みと使える範囲はIHSと医療の利用資格で詳しく説明している。
同じ2015年、旅行者などの外国人来訪者が病院で払う料金は、NHSの標準の費用の150%に引き上げられた。2017年10月23日からは、急を要しない治療は、受ける前に全額を払うことが求められるようになった。病院には外国人患者を担当する職員が置かれ、患者に、無料の治療を受ける資格があることを示す書類を求めている。
来訪者と国民を、どうやって見分けるのか。1952年にベヴァンが投げかけた問いに、イギリスはいま、書類で答えている。
05
いまも残る1948年
ロンドンを旅する人へ
それでも、1948年の原則は形を変えて残っている。1982年の規則が料金の外に置いたものは、今もおおむね外に置かれたままだ。
救急外来(A&E)や、予約なしで行ける診療所、軽いけがの治療所での手当ては、国籍や滞在の長さにかかわらず無料である。ただし、そのまま入院したり、後日の外来に通ったりすれば、そこからは料金がかかる。結核などいくつかの感染症の診断と治療も無料。かかりつけ医の診療所は、住所や在留資格の証明がないことを理由に登録を断ってはならない、と政府の指針は書いている。
旅行者にとっての教訓は単純だ。救急外来では、まず無料で診てもらえる。だが入院となれば、標準の費用の1.5倍が請求される。旅行保険は欠かせない。
NHSは、イギリスの人々にとって特別なものになった。1980年代に財務大臣を務めたナイジェル・ローソンは回顧録に、NHSはイングランドの人々にとって宗教にいちばん近いものだ、と書いた。2012年のロンドン五輪の開会式では、NHSの看護師たちが会場で踊った。1951年にベヴァンが言った通り、NHSは伝統の一部になった。
その一方で、誰のための制度なのか、どこまで無料にできるのかという問いは、75年以上たった今も議論され続けている。ロンドンの病院の待合室に座ることがあったら、1948年7月5日に始まったこの仕組みのことを、少し思い出してみてほしい。
参考資料
- 1949年国民保健サービス(改正)法 第17条(通常住んでいない人からの料金の取り立て)原典英国国立公文書館(legislation.gov.uk)1949legislation.gov.uk(新しいタブで開きます)
- 1982年国民保健サービス(外国人来訪者への料金)規則(第2)原典英国国立公文書館(legislation.gov.uk)1982legislation.gov.uk(新しいタブで開きます)
- 2015年移民(医療料金)令(移民健康保険料の導入と当初の金額)原典英国国立公文書館(legislation.gov.uk)2015legislation.gov.uk(新しいタブで開きます)
- アナイリン・ベヴァン『恐怖に代わるもの』第5章「無料の保健サービス」原典ウィリアム・ハイネマン社1952
- NHSを受ける資格:移民の医療の手引き(外国人来訪者の料金、無料の医療、移民健康保険料)公式英国政府(GOV.UK)gov.uk(新しいタブで開きます)
記事の主な日付・数字・引用は、上の資料と照らし合わせて確かめています(2026年10月確認)。
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