コラム
キットカットは1935年、英国ヨークの工場の提案箱から生まれた——最初の名前は「チョコレート・クリスプ」
日本では受験のお守りとして知られるキットカットは、1935年、イングランド北部ヨークのチョコレート工場で「男が弁当に入れて職場に持っていけるお菓子」として生まれた。最初の名前は「ラウントリーのチョコレート・クリスプ」。名前の「キットカット」は1911年から商標として寝かせてあったもので、さかのぼれば18世紀ロンドンの羊肉パイのクラブに行き着く。戦争で青くなった包み紙、商標になれなかった4本指の形、そして九州の「きっと勝つとぉ」まで。
公開文 ジャスト・ロンドン編集部約7分で読めます参考資料 4件

目次
1月から2月にかけて、日本の受験生のかばんにはよくキットカットが入っている。「きっと勝つ」に音が似ているからだ。だがこのお菓子は、日本生まれでも、勝負事のために作られたものでもない。1935年、イングランド北部の古い町ヨークのチョコレート工場で、働く男たちの弁当のために考えられた。名前も、もとは別の商品のために用意されていたものである。
01
1935年9月、ヨークの工場で「チョコレート・クリスプ」が売り出された
「男が弁当に入れて職場に持っていけるお菓子を」
ヨークは、ローマ時代にさかのぼる歴史を持ち、城壁と大聖堂で知られる町であり、20世紀にはチョコレートの町でもあった。その中心にいたのが、クエーカー教徒の一族が営むチョコレート会社ラウントリーである。
キットカットの始まりとして伝わるのは、工場の提案箱に入っていた一枚の紙だ。ある従業員が、男が弁当袋に入れて職場へ持っていけるようなお菓子を、と書いた。伝わる文言は資料によって少しずつ違い、イングランド北部で弁当を指す言い方が使われていたとするものもあれば、「弁当箱」と書くものもある。いずれにせよ、狙いは工場や現場で働く人の昼食のおともだった。
こうして生まれたのが、薄いウエハースを4本並べてチョコレートで包んだ菓子である。1935年9月、「ラウントリーのチョコレート・クリスプ」という名前で、ロンドンとイングランド南部で売り出された。値段は2ペンス。1本ずつ折って食べられる形だった。
ヨークシャーの古い映像を保存する機関(ヨークシャー映画アーカイブ)の記録によれば、2本入りの小さい版は翌1936年5月15日に出ている。
この時点では、まだ「キットカット」という名前はどこにも無い。
02
「キットカット」の名前は1911年から寝かせてあった
さかのぼれば、18世紀ロンドンの羊肉パイのクラブ
ラウントリー社は、1911年の時点で「キット・キャット」と「キット・カット」の二つの名前を商標として押さえていた。すぐには使わず、1920年代に箱入りのチョコレートの銘柄として「キット・キャット」を出している。
チョコレート・クリスプが「キットカット・チョコレート・クリスプ」と名前を改めたのは、発売2年後の1937年。寝かせてあった名前が、ここで4本のウエハースに回ってきた。
では、「キット・キャット」とはそもそも何か。この言葉は、18世紀初めのロンドンにさかのぼる。1711年3月10日、日刊紙『スペクテイター』の第9号で、書き手のジョゼフ・アディソンはロンドンの社交クラブについて書き、こう記している。
キット・キャット(・クラブ)そのものは、羊肉のパイから名を取ったといわれる。
19世紀にこの新聞をまとめた版の注によれば、このクラブはテンプル・バー近くの路地にあった羊肉パイの店で開かれていた。店の主人の名はクリストファー・キャット。その名にちなんで、店のパイは「キット・キャット」と呼ばれた。出版業者のジェイコブ・トンソンが週に一度ここで文人たちをもてなしたのが始まりで、1700年ごろには、ホイッグ党の有力者と名だたる書き手が集まる、政治と文学の会になった。
会員たちは、画家ゴドフリー・ネラーに肖像画を描かせた。部屋の壁の高さに合わせた新しい大きさの画布に描かれたので、その寸法の肖像画は、のちに「キット・キャット判」と呼ばれるようになった。
もっとも、ラウントリー社がどこからこの名前を取ってきたのかは、はっきりしない。分かっているのは、ロンドンでは200年以上前から、「キット・キャット」がパイの名前であり、クラブの名前であり、肖像画の寸法の名前だったということである。
03
戦争で青くなった包み紙と、1957年の「ひと息つこう」
1988年、ラウントリーはネスレの傘下に入った
第二次世界大戦は、キットカットの色を変えた。牛乳が足りなくなり、ミルクチョコレートをやめてダークチョコレートで包むようになった。包み紙は赤から青に替わり、「チョコレート・クリスプ」の文字も消えた。資料によって1942年からとするものと、戦後の1945年から1947年とするものがあり、時期ははっきりしない。
戦争が終わると、名前はただの「キットカット」になり、ミルクチョコレートと赤い包み紙が戻ってきた。
いまも包み紙の縁に刷られている宣伝文句は、1957年に生まれた。ロンドンの広告会社の担当者が考えた一句である。
ひと息つこう、キットカットを(Have a break, have a Kit Kat)
最初のポスターは1951年に出ていて、テレビの広告に初めて登場したのは1958年だった。工場で働く人の弁当のおともとして生まれたお菓子は、ここで「休憩そのもの」を売るようになった。
1988年6月、スイスのネスレがラウントリー社を買い取り、キットカットはネスレの銘柄になった。それでもヨークの工場は残った。2010年には、年に10億本を超えるキットカットを作る新しい製造ラインがヨークで動き始めている。
04
4本指の形は、商標になれなかった
2002年の出願から、2018年の欧州司法裁判所の判決まで
4本の指のような形を見れば、多くの人はキットカットだと分かる。ネスレはこの形そのものを、商標として守ろうとした。
欧州司法裁判所の発表によれば、ネスレは2002年、欧州連合の商標庁に、4本指の立体の形を商標として出願した。商標庁は2006年、菓子やビスケットなどについてこれを登録した。翌2007年、競合するキャドバリーが登録の無効を求める。商標庁は2012年にこの訴えを退けたが、キャドバリー側は欧州連合の一般裁判所に持ち込んだ。
2016年12月15日、一般裁判所は商標庁の判断を取り消した。この形が使われるうちに「キットカットの印」として認められるようになったことは、英国を含む10か国では示されていた。だが、ベルギー、アイルランド、ギリシャ、ポルトガルの4か国については、消費者がどう受け止めているかを調べないまま判断していた、というのである。
ネスレと商標庁は上訴したが、2018年7月25日、欧州司法裁判所はこれを退けた。もともと識別力の無い形を商標にするには、欧州連合の全域で、使われるうちに識別力を得たことを示さなければならない。一部の国の分が欠けていれば足りない——という判断だった。
英国の国内でも、ネスレは2010年に同じ形の商標を出願し、キャドバリーの反対にあって、高等法院でも、2017年5月17日の控訴院でも退けられている。英国の業界紙が伝えた法律家の解説によれば、裁判所は、包み紙を外したこの形だけで消費者がどこの商品かを見分けているとは認めなかった。ネスレ自身も、形だけを打ち出してキットカットを宣伝したことは一度もなかった、と指摘されている。
誰もが知っている形なのに、法律の上では、形だけではキットカットの印にならない。80年以上、包み紙の赤とロゴで売ってきたことが、かえって裏目に出た格好である。
05
九州の「きっと勝つとぉ」——受験のお守りは売り場の数字から見つかった
2009年には、そのままポストに入れて送れるキットカットも出た

抹茶味のキットカット。包み紙の縁には、1957年に生まれた宣伝文句が英語のまま刷られている。
日本には1970年代、菓子メーカーの不二家を通じて入ってきた。2000年、ネスレは不二家が持っていた日本での権利の分を買い取っている。
受験との縁は、作る側が仕掛けたものではない。経済誌の取材によれば、1990年代の後半、九州でなぜか12月から1月にかけてだけ、キットカットの売り上げがはっきり伸びるようになった。調べてみると、九州の言葉の「きっと勝つとぉ」(きっと勝つよ)に音が似ているので、受験生や、受験生を励ます人たちが縁起物として買っていたのである。日本郵便とネスレが2012年に出した資料も、この使われ方は九州を中心に受験生の間で自然に生まれ、2002年ごろから口コミで広がり始めた、と書いている。
1999年、ネスレ日本の九州支社長は、九州のスーパーに受験生向けの売り場の飾りを作りたいと社内に願い出た。だが会社は、すぐには乗らなかった。当時の担当者は、のちにこう振り返っている。「大切な登録商標を語呂合わせや言葉遊びに使うのはブランドとしてよくないと、まずは慎重に判断してしまったのです」。
会社として受験生を応援する取り組みを始めたのは2003年。2009年には日本郵便と組んで、箱にそのまま宛先と励ましの言葉を書いてポストに入れられる「キットメール」を全国の郵便局で売り出した。2019年の記事によれば、受験の時期には500を超えるホテルのフロントで、泊まる受験生にキットカットが手渡されている。同じ記事は、世界100か国以上で売られるキットカットのなかで、日本の売り上げがいちばん多いと伝えている。
ヨークの工場で、働く男の弁当のために考えられた4本のウエハースは、90年かけて、九州の方言を経て、日本の受験生のかばんに入るようになった。包み紙の縁にはいまも英語で、1957年の「ひと息つこう」が刷られている。
参考資料
- 『スペクテイター』第9号(ジョゼフ・アディソン、キット・キャット・クラブと羊肉のパイ)原典プロジェクト・グーテンベルク1711gutenberg.org(新しいタブで開きます)
- 欧州司法裁判所 報道発表第116/18号「4本指のキットカットの立体商標」原典欧州連合司法裁判所2018curia.europa.eu(新しいタブで開きます)
- キットカットの広告映像 1959〜1961年(提案箱と1935年の発売の解説つき)所蔵ヨークシャー映画アーカイブyfanefa.com(新しいタブで開きます)
- 「キットメール」報道資料(キットメールの生い立ち)公式日本郵便2012post.japanpost.jp(新しいタブで開きます)
記事の主な日付・数字・引用は、上の資料と照らし合わせて確かめています(2026年11月確認)。
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