テンプル教会Temple Church
テンプル騎士団が、エルサレムの聖墳墓教会を写して建てた円形の教会
- 料金
- 大人 £5.00(割引 £3.00) / 子ども 無料
- 所要時間
- 30分〜45分
- 最寄駅
- Temple 徒歩5分
- 休館日
- 土・日
- 開館時間
- 10:00〜16:00頃(日によって変わる。公式の予定表で確認)
平日でも礼拝・行事・貸切で見学できない日がある。第二次大戦後で最大規模の修復事業のさなかで、見学できる範囲が変わることもある。
料金・開館時間は変更されることがあります。訪問前に 公式サイト で最新情報をご確認ください。
フリート街の裏、法曹院(インズ・オブ・コート)の敷地の中にある教会。1185年、テンプル騎士団がエルサレムの聖墳墓教会にならって円形の身廊を建てた。床には9体の騎士の石像が横たわり、そのうちの一人はマグナ・カルタの交渉にあたったウィリアム・マーシャルである。1941年の空襲で焼け、戦後に復元された。見学は原則として平日のみで、有料。
このページの内容
着いてからの歩き方
テンプル教会に着いたら、この順に見ていくと迷いません。
- コツ
土日は閉まっている。平日も日による
見学できるのは原則として平日だけで、土日は休みます。平日でも礼拝や行事、貸切で閉まる日があるので、公式の予定表でその日が「開」かどうかを確認してから向かってください。見学料は大人5ポンド、割引3ポンド、子どもは無料です。
- 到着
表通りに面していない。門をくぐって入る
フリート街から細い門をくぐり、法曹院の敷地に入った奥にあります。通りを歩いていても建物は見えません。地図なしで探すと必ず迷うので、テンプル駅かブラックフライアーズ駅から地図を見ながら歩いてください。
- 見どころ
円形なのは、エルサレムを写したから
身廊が円いのは意匠ではありません。テンプル騎士団が、エルサレムの聖墳墓教会の形をそのまま写したからです。1185年の献堂式にはエルサレム総大主教が来英し、ヘンリー2世が列席しています。長方形の内陣は1240年に足されたもので、円と方形の継ぎ目が床で分かります。
- 見落としやすい
床の騎士像は、墓ではない
鎖帷子をまとった9体の石像が床に横たわっています。ここは誤解が多いところで、これらは記念の彫像であって、下に遺体があるわけではありません。配置も後世に何度も動かされています。「騎士が眠っている」という説明は2003年の小説以降に広まったもので、正確ではありません。
- 見落としやすい
石像の傷は、1941年の焼夷弾
1941年5月10日の夜、セント・ダンスタン・イン・ザ・イーストが焼けたのと同じ夜に、この教会も直撃を受けました。屋根が落ち、石像は熱と落下物で大きく損傷しています。いま見えているのは修復後の姿で、19世紀の極彩色の装飾は戻されませんでした。
- コツ
いま修復工事のさなかにある
第二次大戦後で最大規模の修復事業が進んでいます。見学できる範囲が変わることがあるので、足場や覆いで一部が見えない可能性を織り込んでおいてください。聖歌隊が有名で、演奏会と礼拝の日程は公式に出ています。
マグナ・カルタの交渉は、この建物から始まった
1185年、この教会は献堂された。建てたのはテンプル騎士団——十字軍の時代に生まれた修道騎士の集団である。彼らの英国本部がここに置かれた。
円形の身廊は、エルサレムの聖墳墓教会を模したものである。騎士団にとっては、その建物の形を写すこと自体が信仰の表明だった。献堂式にはエルサレム総大主教ヘラクリウスが来英し、ヘンリー2世が列席している。長方形の内陣は1240年に足された。
この場所が英国史に直接関わるのは1214年から15年にかけてである。ジョン王はロンドン滞在中の拠点としてテンプルを使い、対立する貴族たちとの交渉がここで行われた。仲介にあたったのがウィリアム・マーシャル、初代ペンブルック伯である。1215年のラニーミードでのマグナ・カルタ調印に至る過程は、この建物の中から始まっている。マーシャルは1219年に死に、この教会の床に葬られた。
騎士団が1312年に解体されたあと、教会はホスピタル騎士団へ移り、やがて敷地を借りていた法律家たちの手に残った。いまもインナー・テンプルとミドル・テンプルという2つの法曹院が共同で所有し、維持している。どの教区にも属さない特殊な地位にある教会である。
床の騎士像は、墓ではない
円形の身廊の床に、鎖帷子をまとった9体の石像が横たわっている。この教会でいちばん写真に撮られるものである。
そして、いちばん誤解されているものでもある。これは墓ではない。石像は記念のための彫像であって、その下に遺体があるわけではない。しかも現在の配置は元のものではなく、後世に何度も動かされている。「騎士たちがここに眠っている」という説明は2003年の小説とその映画化以降に一気に広まったが、正確ではない。
石像そのものにも傷がある。1941年5月10日の夜——セント・ダンスタン・イン・ザ・イーストが焼けたのと同じ夜である——焼夷弾がこの教会を直撃した。屋根が落ち、円形の身廊は燃え、石像は熱と落下物で大きく損傷した。いま見えているのは、その後に修復されたものである。
戦後の復元では、19世紀に施されていた極彩色の装飾は戻されなかった。代わりに、17世紀にクリストファー・レンが作った祭壇背後の衝立が復されている。焼けたことによって、かえって中世に近い姿になった部分がある。
豆知識
- 見学は土日が休み。原則として平日のみで、平日も行事と礼拝で閉まる日がある。公式の予定表で確認すること
- 見学料は大人£5.00、割引£3.00、子どもは無料
- 入口が分かりにくい。フリート街から細い門をくぐって法曹院の敷地に入る。表通りには面していない
- 聖歌隊が有名で、演奏会と礼拝の日程は公式に出ている
- 最寄りはテンプル駅。ブラックフライアーズ駅、チャンセリー・レーン駅からも歩ける
- 現在、第二次大戦後で最大規模の修復事業のさなかにある
場所とアクセス
みんなの口コミ
テンプル教会を訪れた感想や、これから行く人に役立つコツがあれば教えてください。
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