ロンドLogoJUST RONDON - ロンドン観光・旅行・現地ガイド
    ロンドLogoLive.Love.London. - 最強ロンドンガイド
    • 旅行プランを作る
    • 今週のロンドン
    お問い合わせサイト概要利用規約プライバシーポリシーTop Pageへ

    ジャスト・ロンドンは、ロンドンの深層に迫る力量も器量もない中途半端な存在ですが、旅の判断をほんの少し整える一文が紛れていれば、それだけで存在理由になります。

    1. Home
    2. /観光
    3. /美術館ナビ
    4. /ヴィクトリア&アルバート博物館
    ヴィクトリア&アルバート博物館

    Victoria and Albert Museum

    ヴィクトリア&アルバート博物館

    常設展 無料
    目安 2時間

    本日:10:00–17:45

    Cromwell Rd, South Kensington, London SW7 2RL

    地図で見る公式サイト

    レースの襟元から鋼鉄のドレスまで。装飾美の洪水に溺れるうちに、日用品すら帝国の遺産に変わる。

    About

    どんなところか

    ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)は、ロンドン南ケンジントンに位置する世界最大級の装飾美術とデザインの博物館です。1852年に開館し、ヴィクトリア女王とアルバート公の名前にちなんで名付けられました。 館内には陶磁器、家具、ファッション、ジュエリー、ガラス細工、彫刻、写真など、約230万点以上の多彩なコレクションが収蔵されており、世界中のあらゆる時代と文化の美術工芸品を幅広く楽しめます。見どころの一つは、世界でも屈指のファッションコレクション。近代デザインの先駆けとなったウィリアム・モリスの壁紙やアレキサンダー・マックイーンの斬新な作品が間近で鑑賞でき、ファッション好きにはたまらないスポットです。 ただの展示ではなく、V&Aは触れて学べる体験型の博物館。ファッションショーやワークショップ、クリエイティブなイベントも盛りだくさんで、五感を刺激しながらデザインの歴史を感じられます。子どもから大人まで楽しめる工夫が満載で、訪れる人々が深く美術やデザインの世界に触れられるよう工夫されています。

    Must See

    これだけは見て帰りたい

    ヴィクトリア&アルバート博物館を短時間で回るなら、まずこの3つ。 展示室の番号は改装で変わることがあるので、当日は館内の案内で確認してください。

    1. 1

      リフレッシュメント・ルーム(世界初の美術館カフェ)

      ガンブル・ルーム/ポインター・ルーム/モリス・ルーム

      1856年に世界で初めて美術館内に設けられた食堂。設計者の名を冠した3室が今もカフェとして使われています。ガンブル・ルームは琺瑯の天井とセラミックの柱、モリス・ルームはウィリアム・モリスの内装。展示品の中で紅茶が飲める、という点でここ自体が見どころです。

    2. 2

      キャスト・コート

      Room 46a/46b

      ミケランジェロのダヴィデ像やトラヤヌス帝の記念柱を、19世紀に原寸で型取りした石膏複製が並ぶ巨大な部屋。記念柱は高すぎて上下2分割で展示されています。本物を見に行けない人のために作られた「複製の展示室」という発想自体が19世紀的です。

    3. 3

      ファッション・ギャラリー

      Room 40

      18世紀の宮廷服から現代のオートクチュールまで、300年分の服飾を円形の展示室で見せます。同じ人体に対して時代ごとに何を良しとしてきたかが、一周するだけで分かる構成です。

    Route

    着いてからの歩き方

    ヴィクトリア&アルバート博物館に着いたら、この順に見ていくと迷いません。 展示室の番号や配置は改装で変わることがあるので、当日は館内の案内で確認してください。

    1. 到着

      地下道の脇口から直接入れる

      サウス・ケンジントン駅から続く地下道の途中に、館へ直接つながる脇口があります。雨の日に濡れずに着けるうえ、正面のクロムウェル通り側より空いています。ただし段差があるため車椅子では通れません。その場合はクロムウェル通りかエキシビション・ロードの入口を使ってください。

    2. コツ

      全部を見ようとしない

      収蔵の幅が服飾・家具・彫刻・写真・アジア美術まで及ぶため、通しで見ようとすると必ず途中で力尽きます。館内図で興味のある分野を2つか3つ決めて、その部屋だけを回るのが現実的です。無料なので、日を分けて来ることもできます。

    3. 見どころ

      キャスト・コートは石膏の複製室

      本物ではなく複製ばかりを集めた部屋ですが、館内で最も驚かれる場所です。ミケランジェロのダビデ像と、トラヤヌス帝の記念柱が天井に届かず2分割で立っています。19世紀に各国の名作を学生に見せるために作られたもので、複製そのものが150年前の技術遺産になっています。

    4. 見落としやすい

      中庭は座って休める

      館の中央に芝生と浅い水盤のある中庭があり、天気のいい日は靴を脱いで座っている人がいます。展示室から扉一枚で出られるのに、順路から外れているため気づかれません。カフェの飲み物を持ち出せます。

    5. コツ

      金曜は22時まで

      金曜だけ22:00まで開きます(一部のギャラリーは早く閉まります)。月末の金曜は Friday Late として音楽やトークが入り、館内の雰囲気が普段とかなり変わります。静かに展示を見たい日なら、月末の金曜は避けたほうが無難です。

    Artworks

    見どころ作品

    トラヤヌスの円柱(石膏複製)

    トラヤヌスの円柱(石膏複製)

    Monsieur Oudry(石膏複製制作) — 原作:AD 101–106、複製:1864-1874頃

    **天井に入りきらなかったので、真っ二つに切って隣に並べてあります。** キャスト・コートに入って、まず目を奪われるのがこれです。**高さ25メートルの円柱が、上下2本に分割されて並んで立っている。** 展示室の高さが足りなかった、というただそれだけの理由で、古代ローマの記念碑が輪切りにされている。この率直さがV&Aらしい。 **なぜ複製なのに、これほど価値があるのか。** 理由は明快です。**原作は、もう読めません。** **原作はローマのフォルムに、今も立っています。** 紀元101〜106年、皇帝トラヤヌスの**ダキア戦争**(現在のルーマニアにあたる地域への遠征)の勝利を記念して建てられました。柱の表面には、**螺旋状に巻き上がる帯状の浮彫**が刻まれ、**155の場面、2,500人以上の人物**が連続して展開されます。**世界最古の**「漫画」とも呼ばれる、物語の連続表現です。 **ところが、原作には決定的な問題があります。** 上に行くほど遠くなり、**地上からは肉眼でほとんど見えない。** さらに20世紀の大気汚染で表面が著しく劣化し、細部は失われつつあります。 **この複製は1864年に作られました。** 汚染が本格化する前の状態を型取りしているため、**今のローマの原作よりも、細部がよく残っています。** そして分割展示のおかげで、**上部の場面も間近で見られる。**——古代ローマ人ですら見られなかった角度で見られる、というわけです。 **浮彫を追ってください。** 戦闘だけではありません。橋を架ける工兵、砦を築く兵士、船に荷を積む場面、行軍、演説、降伏、そして敵将デケバルスの自決まで。**軍隊の日常が克明に記録されており、ローマ軍研究の最重要資料**になっています。装備、服装、道具の形——考古学者はこの浮彫から実物を復元しています。 **そして、円柱の基部の文字を見てください。** ここが意外な見どころです。 **碑文に刻まれたラテン文字の形は、ローマ文字の完成形**とされ、書体史における最重要資料です。20世紀にこの文字を元にした活字書体が作られ、「**Trajan(トレイジャン)**」と名付けられました。**この書体は、ハリウッド映画のポスターで異様なほど多用されています**——『タイタニック』も『ロード・オブ・ザ・リング』も、あの荘厳なタイトル文字がそれです。**2000年前の柱の足元の文字が、現代の映画館の入口にある。** **この複製の来歴も面白い。** 1861年、**ナポレオン3世**の依頼でパリで型取りが行われ、V&Aはその型から1864年に石膏で複製を制作。1873年のキャスト・コート開設時に展示され、1874年に完成しました。内部には煉瓦の芯が入っています。 **当時の目的は教育でした。** ローマまで行けない美術学生に、実物大で本物を見せる。**その教育装置が、150年後には原作の代替資料になった。** 複製が原本を越える瞬間が、ここにあります。

    ウェアの大ベッド

    ウェアの大ベッド

    Hans Vredeman de Vries(デザイン) — 1590-1600頃

    **幅3.26メートル。大人が4組、同時に寝られます。** 400年前の、宿屋の客寄せです。 **まず、サイズを体感してください。** 幅3.26m、奥行3.38m、高さ2.67m。現代のキングサイズベッドが幅1.8m程度ですから、**その倍近い**。四本の太い柱が天蓋を支え、寝台というより小さな部屋です。 **なぜこんなものが作られたのか。** 1590年代、ロンドンから北へ約35キロの町**ウェア**は、ケンブリッジ方面へ向かう街道の宿場町でした。**馬で1日の距離**——ちょうど最初の宿泊地になる位置です。宿屋が林立し、客の奪い合いが起きていました。 **そこである宿の主人が考えました。「とんでもなく大きいベッドを置けば、それを見に人が来る。」** **これは中世の集客装置です。** そして、狙いは完全に当たりました。 **彫刻を見てください。** 後期エリザベス朝様式の濃密な装飾が全面を覆っています。 - 柱に絡む**アカンサス**の葉 - リボンが絡み合うような**ストラップワーク** - **ライオン**——力と王権 - **サテュロス**——ギリシャ神話の半獣人で、**多産と性的な活力**の象徴 **サテュロスがいる理由**は明白です。婚礼の夜を過ごす客も想定されていました。 **そして、ここが重要です。この彫刻は、もともと極彩色に塗られていました。** 今は木の色に見えますが、当初は人物像に鮮やかな彩色が施されていた。**それを蝋燭の光で見ると、どうなるか想像してください。** 揺れる炎に照らされて、色鮮やかな半獣人とライオンが浮かび上がる。**宿の名物としての破壊力**が分かります。 **次に、柱と頭板の表面をよく見てください。** 無数の**アルファベットの頭文字**が刻まれ、**赤い封蝋の印**が押されています。**宿泊した客が、自分がここで寝た証として残していったもの**です。400年分の落書きが、そのまま残っている。SNSに写真を上げるのと、まったく同じ衝動です。 **有名になった証拠。** このベッドは制作からわずか10年ほどで、演劇の台詞に登場します。 - **シェイクスピア『十二夜』**(1601年初演)——「ウェアの大ベッドほどの大きさの紙に書け」という台詞 - **ベン・ジョンソン『エピシーン』**(1609年)でも言及 **観客が説明なしで笑える**ほど、当時のロンドンでは誰もが知っている存在でした。 **V&Aへ来るまで。** 宿から宿へ持ち主を変えながら数百年を過ごし、**1931年、V&Aが4,000ポンドで購入**しました。これは当時の**家具部門の年間予算の4倍**にあたる額です。それだけの無理をして買うだけの価値がある、と判断されたということです。 現在の寝具や天蓋の布は現代の複製ですが、**木の彫刻と、客たちの落書きは本物です。** 近づいて、頭文字を探してみてください。

    モーゼ像(石膏複製)

    モーゼ像(石膏複製)

    ミケランジェロ(Michelangelo、彫刻)、Monsieur Desachy(石膏複製) — 1513-1542(原作)、約1858(石膏複製)

    **モーゼの頭から、角が生えています。** 悪魔ではありません。**これは、聖書の翻訳ミスです。** **まず、頭部を見てください。** 二本の短い角が、額から突き出ています。旧約聖書の預言者に角がある——奇妙ですが、ヨーロッパ中世・ルネサンス美術では**標準的な表現**でした。 **なぜこうなったか。** 出エジプト記に、シナイ山で神と対面したモーゼが山を降りる場面があります。ヘブライ語の原典では、彼の顔が「**קָרַן(カラン)**」した、と書かれている。この語は「**光を放つ**」という意味です。 ところが、この語根は「**角(ケレン)**」とも通じます。4世紀末、聖ヒエロニムスがラテン語訳聖書(**ウルガタ訳**)を作った際、これを「**cornuta**(角のある)」と訳しました。**以後1000年以上、西欧の画家と彫刻家は、角を生やしたモーゼを彫り続けたのです。** ミケランジェロも例外ではありませんでした。**間違いを、傑作として定着させてしまった**わけです。 **次に、モーゼの表情と姿勢を見てください。** 彼は座っていますが、静かではありません。**顔は左を向き、目は見開かれ、眉が寄っている。** 右腕は長い髭を掴み、**指が髭に食い込んでいる。** 左脚は後ろへ引かれ、今にも立ち上がりそうです。 **何を見ているのか。** 一般的な解釈では、**山を降りたモーゼが、民が金の子牛を作って偶像崇拝している場面を目撃した瞬間**とされます。この直後、彼は激怒して十戒の石板を叩き割ります。**爆発の直前の抑制**が、大理石に封じ込められている。 **そして、プロポーションの違和感に気づいてください。** 上半身が大きく、脚が相対的に短く見えます。これは、**この像がもともと高い位置に設置される計画だった**からです。 **原作の経緯は、美術史上もっとも有名な挫折の一つです。** 1505年、教皇**ユリウス2世**は自らの墓廟をミケランジェロに発注しました。当初の計画は、**40体を超える等身大彫刻を配した巨大な自立式建造物**。ミケランジェロは大理石を選びにカッラーラの採石場へ籠もります。 **ところが計画は縮小を繰り返し、教皇は彼をシスティーナ礼拝堂の天井画へ回し、資金は途絶えました。** 完成は**1545年**、着手から40年後。規模は当初案の数分の一に削られ、設置場所も聖ピエトロ大聖堂ではなく、**サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会**という小さな聖堂になりました。ミケランジェロはこの一件を「**私の青春の悲劇**」と呼んでいます。 **その残骸の中心に、このモーゼが座っています。** 高所に置かれる前提で彫られた像が、低い位置に据えられ、見上げると身体のバランスが崩れて見える。**プロポーションの違和感そのものが、40年の挫折の痕跡です。** **なお、この石膏複製は1858年頃の鋳造で、** V&Aのキャスト・コートでダビデ像と並んでいます。**ミケランジェロの代表作二点を、同じ部屋で歩いて比べられる場所は、世界にここしかありません。**

    ヘンリー7世胸像(テラコッタ)

    ヘンリー7世胸像(テラコッタ)

    ピエトロ・トリッジアーノ(Pietro Torrigiano、彫刻)、不明(彩色) — 1509-1511頃

    **これは、死んだ人の顔から型を取って作られています。** その上で、**生きているように見えるよう調整されています。** **まず、顔を見てください。** 頬はこけ、目の下は落ち窪み、鼻は細く高い。口元は引き結ばれ、**神経質そうな、油断のない表情**です。理想化された王の顔ではありません。**個人の顔**です。 **ヘンリー7世という王。** 薔薇戦争を終わらせ、**テューダー朝を開いた**人物です。1485年のボズワースの戦いでリチャード3世を破って王位に就きましたが、王位継承権は薄く、生涯を通じて「簒奪者」の影に怯えました。財政を極端に切り詰め、貴族を締め上げ、**吝嗇で猜疑心が強い**と評されています。**この胸像の顔は、その評判とよく一致します。** **なぜこれほど本人らしいのか。** ウェストミンスター寺院に伝わる**ヘンリー7世の葬儀用胸像**と、この像は極めてよく似ています。研究者は、**両者が同じデスマスク(死者の顔から取った型)を元にしている**と考えています。つまりこれは、**遺体の顔の直接の記録**を出発点にした像です。 **ここに、彫刻家の技があります。** デスマスクをそのまま使うと、生気がありません。筋肉が弛緩して落ち込み、死んだ顔にしかならない。**トリッジアーノは頬のふくらみを彫り足し、その落ち込みを補って、生きている人間の張りを与えました。** 死の記録を、生の肖像へ引き戻している。 **彫刻家について、面白い逸話があります。** **ピエトロ・トリッジアーノ**はフィレンツェでミケランジェロと共に修行した同門でした。しかし二人は反りが合わず、**トリッジアーノがミケランジェロを殴り、鼻の骨を折った**という事件が記録されています。ミケランジェロの肖像に見られる潰れた鼻は、この時のものです。**トリッジアーノはフィレンツェにいられなくなり、各地を転々とした末、1509年頃ロンドンに辿り着きました。** **イタリア・ルネサンスの技法が、彼と一緒にイングランドへ渡ってきた**わけです。この胸像は、その最初期の成果の一つになります。 **素材と技術を見てください。** **テラコッタ(素焼きの粘土)**製です。粘土は焼くと収縮し、大きな像は歪んだり割れたりする。トリッジアーノは粘土に**グロッグ**(砕いた焼成粘土)や砂を混ぜ、収縮を抑えて、ほぼ実物大での忠実な再現を成功させています。 **そして、彩色。** ここが最大の見どころです。**白い下地の上に、卵や油で溶いた顔料が塗られています。** 肌、髪、帽子、マント——それぞれ顔料の配合を変えて、**素材ごとの質感を描き分けている。** マントの裏地は当初、**黒い斑点のある茶色**に塗られていました。これは**アーミン(白貂)の毛皮**を表しており、富と王権の象徴です。 **ルネサンスの彫刻は、彫刻家と画家の共同作業でした。** 白い大理石像のイメージが強いですが、実際には多くが彩色されています。この像は、**その彩色(ポリクローム)が良好に残る貴重な例**です。18世紀にフラックスマンによる修復(7分割して再組立)を受け、20世紀に後世の塗り重ねが除去された結果、**オリジナルの色が現れました。**

    ダビデ像(石膏複製)

    ダビデ像(石膏複製)

    ミケランジェロ(Michelangelo、彫刻)、クレメンテ・パピ(Clemente Papi、鋳造) — 1501-1504(原作)、約1856(石膏複製)

    **フィレンツェまで行かずに、ダビデ像を実物大で見られます。** そして——**フィレンツェの本物より、この複製のほうが優れている点があります。** **まず、展示室に入った瞬間の感覚を味わってください。** ここは**キャスト・コート(Cast Courts)**、V&Aで最も驚かれる空間です。天井の高いホールに、ヨーロッパ中の名建築・名彫刻の**実物大の石膏複製**がぎっしり詰め込まれている。ダビデ、トラヤヌスの円柱、大聖堂の門扉、墓碑——**縮尺なしのヨーロッパ美術史が、一部屋に押し込まれています。** **ダビデ像を見上げてください。** 高さ5メートル超。1501年から1504年にかけて、**26歳のミケランジェロ**が一塊の大理石から彫り出した原作の、忠実な複製です。 **見るべきは、その「間」の姿勢です。** 彼はまだ戦っていません。左肩に投石紐を担ぎ、右手に石を握り、首を左へ回して**巨人ゴリアテを見据えている。** 全身の筋肉は緊張し、首の腱が浮き、右手の血管が膨れている。**決断の直前、動き出す寸前の一瞬**が刻まれています。 **手と頭の大きさに注目してください。** 明らかに身体に対して大きすぎます。これは失敗ではなく、**この像がもともと大聖堂の高所に設置される予定だったため**、下から見上げたときに正しく見えるよう計算された結果です(実際には地上に設置されました)。 **そして——ここからがこの複製の価値です。** **1857年、トスカーナ大公がヴィクトリア女王に贈呈**したこの石膏像は、1856年頃にクレメンテ・パピが鋳造したものです。**当時の原作の表面**を型取りしています。 **その後、フィレンツェの原作には何が起きたか。** 大気汚染と酸性雨、風雨、そして1873年に屋内へ移されるまでの屋外での370年。**原作の表面は摩耗し、細部が失われました。** 1991年には、暴漢がハンマーで左足の指を破壊する事件も起きています。 **つまり、この石膏複製には、今の原作にはもう残っていないノミの跡が保存されている場合がある。** 複製が原資料になる、という逆転が起きています。 **なお、ヴィクトリア女王にまつわる有名な逸話があります。** 献上されたダビデ像の**全裸**に女王が衝撃を受けたため、**石膏製のイチジクの葉**が別途作られ、女王や高貴な女性が訪問する際には像の股間に取り付けられていた、というものです。**そのイチジクの葉は今も博物館に保管されており、像の背後のケースで見ることができます。** ダビデ像そのものと同じくらい、多くの人が写真を撮っていく展示品です。 **石膏複製という発想について。** 19世紀、海外旅行は極めて高額でした。**イタリアへ行けない人々に、本物と同じ大きさで名作を見せる**——それがキャスト・コートの目的です。教育のための施設でした。今日ではその複製自体が歴史的資料になっている。**「本物とは何か」を考えさせる部屋**でもあります。

    ティプーの虎

    ティプーの虎

    作者不詳 — 1780-1790年代

    **虎が、イギリス兵を食い殺しています。そして、その兵士は叫び声を上げます。** **まず、造形を見てください。** ほぼ実物大の木彫りの虎が、倒れた**ヨーロッパ人の兵士**に覆いかぶさり、その喉笛に噛みついている。兵士は赤い上着を着ています——**イギリス東インド会社軍の軍服の色**です。彼の顔は苦悶に歪み、片手を虎に向けて上げている。 **そして、これは動きます。** 虎の脇腹にハンドルがあり、回すと内部の**パイプオルガン**の仕組みが作動します。 - 兵士の**腕が上下に動く** - 兵士の口から、**人間のうめき声を模した音**が出る - 虎の口からは、**唸り声**が響く **さらに、虎の首の後ろのパネルを開けると、鍵盤が現れます。** 実際に演奏できるオルガンが仕込まれている。**殺人の再現装置であり、同時に楽器**なのです。 **誰が、なぜ作らせたか。** 南インド・マイスール王国の支配者**ティプー・スルターン**(在位1782–1799年)です。彼は南インドにおける**イギリス東インド会社の拡大に、最後まで武力で抵抗した君主**でした。フランスと同盟を結び、ロケット兵器を実戦投入し、四次にわたる戦争を戦い抜いた。 **虎は、彼の徽章でした。** 「マイスールの虎」と呼ばれた彼は、**玉座、貨幣、武器、軍服、大砲**——あらゆるものに虎の縞模様と虎の顔を刻ませています。彼の兵士の制服にすら虎縞が使われました。父の名**ハイダル**が「ライオン」を意味し、イスラムの英雄アリーの称号**アサドゥッラー**(神の獅子)に通じることもあり、虎とライオンは彼の家系の象徴として重ねられていました。 **つまりこの人形は、政治的な宣言です。** 虎=ティプー本人が、イギリス=赤い軍服の兵士を殺している。**支配者が、敵国の兵士が死ぬ音を楽しむために作らせた装置**です。趣味の悪さは、意図されたものです。 **そして、この物語には結末があります。** **1799年、セリンガパトナムの戦い。** イギリス軍が首都を陥落させ、**ティプー・スルターンは城壁の破れ目で戦死しました。** 市街は略奪され、宮殿の宝物はイギリス軍将校たちに分配されます。**この虎は、その戦利品としてロンドンへ送られました。** **皮肉はここからです。** ロンドンに着いた虎は、東インド会社の**インド博物館**で公開されました。**イギリス人を殺す装置が、イギリスの見世物になった。** 来館者はハンドルを回して兵士のうめき声を鳴らし、その音があまりにうるさいため、閲覧室で勉強する学生から苦情が出た記録も残っています。詩人**キーツ**も、この虎に言及した詩を残しました。 **現在は保護のため、動かすことはできません。** しかしV&Aは音声の記録を公開しており、うめき声を聞くことができます。抵抗の象徴が、戦利品として海を渡り、見世物になり、今は美術館の展示品として静かに置かれている——**帝国というものの姿が、この一体に凝縮されています。**

    聖ジョルジュの祭壇画

    聖ジョルジュの祭壇画

    Master of the Centenar(推定) — 15世紀前四半期頃

    **壁一面が、金です。** V&Aの中世展示室で、この祭壇画の前に立つと、まず光量に驚きます。高さ約6.6メートル、幅約5.5メートル。**文字が読めない人のための、巨大な絵本**です。 **まず、中央下部を見てください。** 白馬にまたがった騎士が、槍で**ドラゴン**を突いています。**聖ジョルジュ(セント・ジョージ)**——後にイングランドの守護聖人となる聖人の、最も有名な場面です。イングランド国旗の赤十字は、彼の紋章です。 **この祭壇画は「読む」ものです。順序を追ってください。** - **中央上部**——聖霊と、玉座のキリスト。両脇にモーゼとエリヤ - **中央下部**——ドラゴン退治と、**エル・プッチの戦い** - **左右のパネル**——聖ジョルジュの生涯が**各10場面、計20場面**。拷問、殉教、斬首まで - **最下段(プレデッラ)**——キリストの受難。磔刑、埋葬、復活の**10場面** **教会に来た人の大半は、文字が読めませんでした。** 説教を聞きながらこの絵を見上げれば、聖人の生涯とキリストの受難が、順を追って目に入る。**祭壇画は、視覚化された聖書であり、聖人伝**でした。 **エル・プッチの戦いに注目してください。** これは神話ではなく、**1237年に実際に起きた戦闘**です。アラゴン王ハイメ1世がイスラム勢力からバレンシアを奪回する過程の一戦で、**その時、聖ジョルジュが天から現れてキリスト教軍を助けた**と信じられました。 **つまりこの祭壇画は、地元の戦勝記念でもあります。** 制作を依頼したのは、おそらく「**セントゥナル・デ・ラ・プロマ**」——バレンシアの市民民兵団で、聖ジョルジュを守護聖人とする兄弟団でした。**自分たちの町を作った戦いと、自分たちの守護聖人を、同じ画面に描かせている。** **様式について。** これは**国際ゴシック様式**の傑作です。14世紀末から15世紀初頭、ヨーロッパの宮廷を横断して流行した様式で、特徴は——**細く優美な人物、豊かな衣の襞、鮮やかな色彩、そして惜しみない金箔。** 遠近法はまだ完成しておらず、人物は舞台のように前後に積み上げられます。**リアルさよりも、豪華さと物語の明快さ**が優先された時代の美意識です。 **近づいて、金箔の表面を見てください。** 平坦ではありません。**打ち出しや刻印で細かい模様**が入れられ、蝋燭の光を受けたときに輝きが揺れるよう工夫されています。当時の教会は暗く、光源は炎だけでした。**揺れる光の中で見ることが前提の絵**です。 **作者について。** 現在は「**セントゥナルの画家(Master of the Centenar)**」という便宜的な呼称で呼ばれています。かつてはバレンシアで活動したドイツ系画家**アンドレス・マルサル・デ・サス**の作とされましたが、現在は議論があり確定していません。**名前の分からない画家の、最高水準の仕事**です。 2019〜20年、バレンシアの保存修復機関(IVCR+i)による修復が行われ、色彩が回復しています。

    主要作品の一覧を見る
    Essentials

    基本情報

    大人料金
    無料
    子ども料金
    無料
    滞在時間の目安
    2時間
    写真撮影
    撮影自由
    荷物預かり
    大きな荷物は預ける必要あり、有料
    最寄駅
    South Kensington Station(徒歩5分)
    最寄バス停
    V&A Museum Stop(徒歩2分)
    音声ガイド
    あり
    カフェショップWi-Fi
    Trivia

    知っていると見え方が変わる話

    館内カフェは「ジンに対抗する策」だった

    初代館長ヘンリー・コールは、館内に食堂を設けることを「ジン・パレス(安酒場)への強力な解毒剤」と表現しました。労働者が酒場ではなく美術館で過ごすようにという意図で、1851年のロンドン万博の運営経験から、人が長時間滞在するには食事が要ると学んでいたのです。

    外壁の傷は戦争の跡

    エキシビション・ロード側の外壁には、第二次大戦中の空襲で生じた破片の傷跡がそのまま残されています。修復せずに残す判断がなされ、傍らにその旨を記した銘板が設置されています。

    Access

    場所

    Cromwell Rd, South Kensington, London SW7 2RL

    みんなの口コミ

    ヴィクトリア&アルバート博物館を訪れた感想や、次に行く人へのアドバイスがあれば教えてください。

    残り2000文字

    投稿は誰でも読めます。個人情報は書かないでください。

    まだコメントはありません。最初の投稿をお待ちしています。

    ほかの美術館も見る

    ロンドンには無料で入れる館が多くあります。近くの館と組み合わせて回るのがおすすめです。

    美術館の一覧へ美術館ガイドのトップへ