Moses
ミケランジェロ(Michelangelo、彫刻)、Monsieur Desachy(石膏複製), 1513-1542(原作)、約1858(石膏複製)
ヴィクトリア&アルバート博物館 Room 46a

モーゼの頭から、角が生えています。 悪魔ではありません。これは、聖書の翻訳ミスです。
まず、頭部を見てください。 二本の短い角が、額から突き出ています。旧約聖書の預言者に角がある——奇妙ですが、ヨーロッパ中世・ルネサンス美術では標準的な表現でした。
なぜこうなったか。 出エジプト記に、シナイ山で神と対面したモーゼが山を降りる場面があります。ヘブライ語の原典では、彼の顔が「קָרַן(カラン)」した、と書かれている。この語は「光を放つ」という意味です。
ところが、この語根は「角(ケレン)」とも通じます。4世紀末、聖ヒエロニムスがラテン語訳聖書(ウルガタ訳)を作った際、これを「cornuta(角のある)」と訳しました。以後1000年以上、西欧の画家と彫刻家は、角を生やしたモーゼを彫り続けたのです。
ミケランジェロも例外ではありませんでした。間違いを、傑作として定着させてしまったわけです。
次に、モーゼの表情と姿勢を見てください。 彼は座っていますが、静かではありません。顔は左を向き、目は見開かれ、眉が寄っている。 右腕は長い髭を掴み、指が髭に食い込んでいる。 左脚は後ろへ引かれ、今にも立ち上がりそうです。
何を見ているのか。 一般的な解釈では、山を降りたモーゼが、民が金の子牛を作って偶像崇拝している場面を目撃した瞬間とされます。この直後、彼は激怒して十戒の石板を叩き割ります。爆発の直前の抑制が、大理石に封じ込められている。
そして、プロポーションの違和感に気づいてください。 上半身が大きく、脚が相対的に短く見えます。これは、この像がもともと高い位置に設置される計画だったからです。
原作の経緯は、美術史上もっとも有名な挫折の一つです。 1505年、教皇ユリウス2世は自らの墓廟をミケランジェロに発注しました。当初の計画は、40体を超える等身大彫刻を配した巨大な自立式建造物。ミケランジェロは大理石を選びにカッラーラの採石場へ籠もります。
ところが計画は縮小を繰り返し、教皇は彼をシスティーナ礼拝堂の天井画へ回し、資金は途絶えました。 完成は1545年、着手から40年後。規模は当初案の数分の一に削られ、設置場所も聖ピエトロ大聖堂ではなく、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会という小さな聖堂になりました。ミケランジェロはこの一件を「私の青春の悲劇」と呼んでいます。
その残骸の中心に、このモーゼが座っています。 高所に置かれる前提で彫られた像が、低い位置に据えられ、見上げると身体のバランスが崩れて見える。プロポーションの違和感そのものが、40年の挫折の痕跡です。
なお、この石膏複製は1858年頃の鋳造で、 V&Aのキャスト・コートでダビデ像と並んでいます。ミケランジェロの代表作二点を、同じ部屋で歩いて比べられる場所は、世界にここしかありません。