カティサークCutty Sark
スエズ運河に仕事を奪われた、最後の茶クリッパー
- 料金
- 大人 £22 / 子ども £11
- 所要時間
- 1〜2時間
- 最寄駅
- Cutty Sark(DLR)徒歩2分
- 開館時間
- 10:00〜17:00(最終入場16:15)
料金・開館時間は変更されることがあります。訪問前に 公式サイト で最新情報をご確認ください。
1869年に進水した、現存する唯一の茶クリッパー。中国から新茶を運ぶ速さの競争のために造られたが、進水の5日前にスエズ運河が開通し、目的そのものが失われた。船はオーストラリアの羊毛航路で本領を発揮する。2012年の再公開にあたって船体は乾ドックの底から3メートル持ち上げられ、見学者は船底の下に立って、速さのために絞り込まれた船体の線を見上げられる。
このページの内容
着いてからの歩き方
カティサークに着いたら、この順に見ていくと迷いません。
- 到着
DLRのカティサーク駅を出ると、いきなり目の前にある
軽便鉄道DLRのカティサーク駅から徒歩2分、船はガラスの覆いをかぶった乾ドックに据えられています。毎日開いていますが、最終入場は16時15分です。地域のマラソンなど大きな催しの日に臨時休館することがあるので、遠回りして行くなら公式の案内を先に見ておくこと。
- 見どころ
まず上へ行かず、船の下へ降りる
この見学の本題は甲板ではなく船底です。2012年の改修で船体は乾ドックの底から3メートル持ち上げられていて、船の真下に立って見上げられます。速さのために極端に絞り込まれた船体の線は、下から見ないと分かりません。順路は上から回るようにできていますが、下の空間に時間を取ったほうが記憶に残ります。
- 見どころ
船首像が腕を前へ突き出している理由
船首に付いているのは、バーンズの詩に出てくる魔女ナニーです。腕を前へ伸ばしているのは、詩の中で逃げる馬の尾を掴み取る場面を写しているため。追いかけてくる者を船首に据えたことになります。船名の「丈の短い肌着」も、この魔女が着ていたものです。
- 見落としやすい
船底のホールに並ぶ、80体の船首像
持ち上げられた船体の下は展示室になっていて、19世紀から20世紀の商船から外された船首像がまとめて置かれています。ロング・ジョン・シルヴァー・コレクションと呼ばれるもので、数は80体ほど。船そのものを見に来た人が素通りしがちですが、当時の船乗りが何を船首に掲げたかったのかがよく分かる並びです。
- コツ
グリニッジは半日で3か所回れる
旧王立海軍学校の彩色ホール、国立海洋博物館、グリニッジ天文台がいずれも徒歩圏にあります。天文台は丘の上なので、平地のこの船と海軍学校を先に見て、最後に丘を登る順番が体力的に楽です。甲板には日除けがないので、夏の晴れた日は帽子があるとよい。
スエズ運河が開いた5日後に進水した
1869年11月22日、スコットランドのダンバートンで進水した。目的ははっきりしていた。中国から茶を運ぶ競争に勝つことである。当時の茶クリッパーは、その年の新茶を最初にロンドンへ届けた船が高値を取れた。速さがそのまま金になる商売だった。
ところがその5日前、地中海と紅海をつなぐスエズ運河が開通していた。帆船は運河を自力で通れない。風の通らない狭い水路では曳船が要る。いっぽう蒸気船は運河を抜けて航路を数千マイル縮められる。この船は、自分の仕事が成り立たなくなる知らせとほぼ同時に世に出たことになる。
茶の航路から締め出された船が本領を発揮したのは、オーストラリアの羊毛だった。1880年代、船長リチャード・ウッジェットのもとでシドニーからロンドンまで73日という記録的な航海を重ね、同じ航路の蒸気船を抑えて羊毛を届けている。用途を失った船が、別の航路で最速になった。
1895年にポルトガルの船主へ売られフェレイラと改名。1922年、英国の船長ウィルフレッド・ダウマンが港でその姿に気づいて買い戻した。世界に残る茶クリッパーは、いまこの1隻だけである。
鉄の骨に木を張って、船を細くした
船体はコンポジット構造という作りである。骨組みを錬鉄で組み、その上から木の外板を張る。木だけで造ると強度を出すために肋材を太くせねばならず、船が重くなって遅くなる。鉄の骨にすれば骨を細くでき、そのぶん船倉が広がり、船体の線を絞り込める。速さのための工法だった。
材も部位で使い分けている。水線から下は弾力のあるロックエルム、上はチーク。さらに船底にはマンツメタルという真鍮の一種を張った。フジツボや海藻が付くと船足が落ちるため、それを防ぐ金属である。
2012年の再公開にあたり、設計事務所グリムショーはこの船体を乾ドックの底から3メートル持ち上げた。12基の鋼の架台が船を支えている。船の下に人が立てるようにしたのは、この船の値打ちが甲板の上ではなく船底の形にあるからである。上から眺めるだけでは、なぜ速かったのかが分からない。
2007年の火事は、報じられたほど失われていない
2007年5月21日、修復工事の最中に船が燃えた。炎に包まれる映像が世界中に流れ、歴史的な帆船が失われたと報じられた。
実際には違う。火が出たとき、この船は解体して直している途中だった。マストも、外板の多くも、すでに取り外されて場外の倉庫に入っていた。燃えたのは現場に残っていた部分である。船の材の半分以上は火の届かない場所にあった。いま見えている外殻は、約9割が進水当時のものである。
とはいえ無傷ではない。工期は18か月延び、費用は1千万ポンド増えた。再公開は2012年4月で、エリザベス2世が行っている。火元は、工事期間中に電源を入れたままにされていた業務用の集塵機とされた。
この一件は、火災報道の見出しと実際の被害がどれだけずれるかの例としてよく引かれる。世界中が失われたと思った船は、修復中だったおかげで助かっている。
船名の意味は「丈の短い肌着」
カティサークとは、スコットランド語で丈の短い肌着を指す言葉である。船名の出どころは、詩人ロバート・バーンズが1790年に書いた物語詩『タム・オ・シャンター』にある。
酔って夜道を帰る農夫タムが、廃教会で魔女たちの宴を覗き見る。その中にナニーという若い魔女がいて、丈の足りない肌着——カティサーク——だけを身につけて踊っていた。思わず「よくやった、カティサーク」と声を上げてしまったタムは、気づかれて魔女たちに追われ、命からがら逃げる。
船首像はこのナニーである。腕を前へ突き出しているのは、詩の中で彼女がタムの馬の尾を掴み取る場面を写しているため。速い船に、追いかけてくる者の名を付けたわけである。船主のジョン・ウィリスはスコットランド人で、この詩は当時の国民的な愛唱詩だった。
場所とアクセス
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