第1章
何が問題だったのか
What the dispute was actually about
ロンドンのレストランTenshi(Tenshi61 LTD)で働いていたときのサービスチャージについて、何が争点になったのかを整理します。感情の話ではなく、数字で説明できる部分だけを取り出します。
私はロンドンのイズリントンにあるレストラン Tenshi(運営会社は Tenshi61 LTD)で、フロアスタッフとして働いていました。
問題になったのは、未払いのサービスチャージです。
当時、店では会計時に 12.5% のサービスチャージ が加算されていました。 客側から見れば、それは当然スタッフに還元されるものだと思いやすい仕組みです。
ただ、私が働いていた当時の認識では、従業員に還元されていたのは 時給に加えて1ポンド程度で、サービスチャージの大部分はスタッフには渡っていないように見えました。
こういう話は、感情的に書こうと思えばいくらでも書けます。 ただ、Employment TribunalやAcasの手続きで意味を持つのは、「ひどい話だ」と言うことではありません。
問題はもっと単純です。
客からサービスチャージを取っていた。 それがどのように従業員に配分されていたのか。 そして、私に支払われるべき金額は、本当に支払われていたのか。
この章では、後に審判所へ持ち込むことになる事実関係を、順番に整理します。
1. 違和感の出発点は「説明がない」ことだった
金額そのものより、ルールが存在しないことが問題だった
最初に引っかかったのは、金額の大小ではありませんでした。
サービスチャージがどう計算され、どう配分されているのか、誰も説明できないということです。
私の在職期間を通じて、次のどれについても、書面でも口頭でも説明を受けたことがありませんでした。
- サービスチャージの計算方法
- そのうち何割をスタッフに配分するのか
- 役職や成績による傾斜があるのか、あるとしてどういう基準か
- 配分されなかった分はどこへ行くのか
給与明細には、サービスチャージがひとつの合計額として載っているだけでした。内訳も、算出根拠もありません。
つまり、受け取った側には、その金額が正しいのかどうかを検証する手段がなかったということです。
後から振り返ると、この「検証できない」という点そのものが、手続き上とても重要でした。
2. 同僚に聞いてみて、認識がそろった
自分だけの思い込みかどうかを先に確かめる
自分の感覚だけで動くのは危ういので、まず同僚に確認しました。
複数の同僚から返ってきたのは、受け取っているサービスチャージは時給に上乗せされる1〜3ポンド程度という認識でした。
一方で、店の売上と、客が支払っている12.5%という比率を考えると、その水準は明らかに釣り合っていないように見えました。
ここで分かったのは、これは私一人の勘違いではないということです。 同時に、誰も正確なことを知らないということでもありました。
自分の違和感が事実に基づいているのかどうかは、動く前に確かめておいた方がいいです。 ただし、この段階では「みんなで抗議しよう」という方向には行かない方がいいと思います。人を巻き込むと、巻き込まれた側にリスクが生じます。
私の場合も、証言に協力してくれた人はいましたが、それは後の段階の話です。
3. 問題提起をする前に、空気の方が先に変わった
ここは事実と、私の受け止めを分けて書きます
未払いの疑いについて会社に確認しようと考えていた時期に、この件についてAcasに相談するという話が社内で出ました。
そのあと、マネージャーから、この件でAcasに相談すれば解雇につながり得る、という趣旨の説明を受けました。
ここは慎重に書きます。これは私が受けた説明であり、私の受け止めです。審判所がそのような事実を認定したわけではありません。
ただ、私にとっては、これが行動を左右する出来事でした。 実際、私はその後しばらく、相談に踏み切れませんでした。
この経験から言えることがひとつあります。
「言えば不利になるかもしれない」と感じる職場では、口頭でのやり取りは自分を守ってくれません。
チャットやメールなど、後から確認できる形に残すこと。 話し合うなら、できれば1対1ではなく第三者がいる場で行うこと。
この点は次の章でもう少し詳しく書きます。
4. 契約書が用意されたが、署名しなかった
それまで存在しなかった書面が、このタイミングで出てきた
私が問題提起を検討していた時期の直後に、会社側の動きがありました。
弁護士が関与する形で、サービスチャージに関する契約書が用意されたのです。
それまで、サービスチャージの取り扱いについて書面化されたものは存在しませんでした。
契約書について私が受け取ったのは、「署名してほしい」という短いメッセージが1通だけでした。内容の説明はなく、フォローもありませんでした。そのメッセージには業務連絡も一緒に書かれていて、正直なところ、私は最初その部分に気を取られていました。
それから4週間ほど経ったころ、すぐに署名しなければ雇用を続けられないという趣旨の話がありました。
そこで内容を確認したところ、それまでの認識と食い違う点がありました。 私は署名しませんでした。
そして、署名を断ったのち、私は解雇されました。
ここも書き方に注意が必要な部分です。私は不当解雇の請求はしていません。 したがって、解雇の理由について審判所の判断は存在しません。 出来事の順序は事実として書けますが、「だから解雇された」という因果関係は、私が主張できる立場にありません。
5. 手続きに載せられる形に絞り込む
言いたいことは多くても、争うのは1点でいい
振り返ると、この時点で私が言いたかったことは複数ありました。
説明がないこと。言いにくい空気があったこと。契約書の出し方。解雇のタイミング。
ただ、Acasや審判所の手続きで扱えるのは、証拠で示せて、金額に落とし込めるものです。
最終的に私が絞り込んだのは、次の1点でした。
客から徴収されたサービスチャージのうち、私が受け取るべきだった額と、実際に受け取った額との差額。
これは未払い賃金(unpaid wages)の請求として整理できます。
しかも都合がいいことに、この主張を支える資料はすべて会社自身が業務上作っていた記録でした。
- POSシステムの日次売上レポート(Zレポート)— 日ごとの総売上と総サービスチャージ
- シフト表 — その日に何人が働いていたか
- 給与明細 — 私に実際に支払われた額
推測も再構成も要りません。この3つを突き合わせるだけで差額が出ます。
計算の中身は「自分の未払い額を計算する」で全部公開しています。
6. 法律上、サービスチャージは誰のものか
Employment (Allocation of Tips) Act 2023
背景として、英国の法律の状況にも触れておきます。
Employment (Allocation of Tips) Act 2023(いわゆるTipping Act)により、雇用主はチップやサービスチャージを自分のために留保することができず、スタッフへ配分しなければならないことになっています。
あわせて、雇用主には次のことが求められます。
- チップの配分方針を書面で定めること
- 配分の記録を保持し、従業員からの求めに応じて開示すること
- 公正かつ透明な方法で配分すること
ここで重要な点をひとつ。
「公正」は「全員同額」という意味ではありません。
勤続年数や役割、成績に応じて傾斜をつけること自体は、それだけで違法にはなりません。実際、相手方はのちに、まさにその主張をしてきます(「証拠提出と相手方とのやり取り」で扱います)。
ただし、傾斜配分が成り立つには前提があります。そのルールが実在し、書面化され、説明できることです。
私のケースで問題だったのは、傾斜配分そのものではなく、参照できるルールが存在しなかったことでした。
ルールがないところでは、記録から検証できる形を取るしかありません。