ロンドン大火記念塔Monument to the Great Fire of London
311段の階段の先に広がる、ロンドン再生の象徴
- 料金
- 大人 £5.40 / 子ども £2.70
- 所要時間
- 30分
- 最寄駅
- Monument駅
- 開館時間
- 9:30〜18:00 (最終入場17:30)
料金・開館時間は変更されることがあります。訪問前に 公式サイト で最新情報をご確認ください。
ロンドン大火記念塔(通称モニュメント)は、1666年に発生したロンドン大火を記念して17世紀に建てられた歴史的記念碑です。建築家クリストファー・レンと科学者ロバート・フックによって設計され、高さは202フィート(約61.6m)。火災発生地点であるプディング・レーンからの距離と同じ高さを持つという象徴的な構造です。内部には311段の螺旋階段があり、頂上の展望台からはシティ中心部やテムズ川を一望できます。観光・歴史・建築を同時に楽しめる、シティ・オブ・ロンドンを代表するランドマークです。
このページの内容
着いてからの歩き方
ロンドン大火記念塔に着いたら、この順に見ていくと迷いません。
- コツ
311段、エレベーターなし
螺旋階段を311段上るしかありません。途中に踊り場はほとんどなく、すれ違いも窮屈です。上りきると地上48.7mの展望台。所要は往復20〜30分ほどですが、体力に不安があるなら無理をしない判断も要ります。
- 見どころ
高さと距離が同じ
塔の高さは61m(202フィート)。そして塔が立つ位置は、1666年に大火が始まったプディング・レーンのパン屋から西へちょうど61mです。倒せば火元に届く——そういう設計になっています。単なる記念碑ではなく、火元を指し示す巨大な物差しです。
- 見どころ
展望台からの眺め
周囲を高層ビルに囲まれているため、いまとなっては見晴らしがよいとは言えません。ただ、シティの狭い路地がどう入り組んでいるかを真上から見られるのはここだけ。大火が3日で街を焼き尽くした理由が、上から見ると分かります。
- 見落としやすい
登頂証明書がもらえる
上りきって降りてくると、受付で証明書を渡されます。ヴィクトリア朝から続いている習慣で、311段を上った記録として日付が入ります。子ども連れなら、これを目標にすると最後まで登り切れます。
- コツ
昼休みに閉まる
9:30〜13:00と14:00〜18:00の二部制で、13時から14時は閉まります(最終入場は12:30と17:30)。この時間帯に行って入れなかった、というのが一番ありがちな失敗です。
高さ202フィートに意味がある
1666年のロンドン大火を記念して、1671年から1677年にかけて建てられた。設計はクリストファー・レンとロバート・フック。
この塔の高さは202フィート(約61.6メートル)だが、これは切りのいい数字を選んだのではない。塔の位置から、火元となったプディング・レーンのパン屋までの距離がちょうど202フィートなのである。倒せば火元に届く長さに建てた、ということになる。記念碑が指し示しているのは方角ではなく距離だった。
大火は市内の家屋の大半を焼いた。石造の記念柱をこの規模で建てたのは、復興を進める市が「ここから始まり、ここまで立て直した」と示す必要があったからである。
記念碑のふりをした、巨大な天体望遠鏡
レンもフックも王立協会の会員で、この柱には記念碑とは別の用途が仕込まれていた。天頂儀(zenith telescope)である。
柱の内部は空洞になっており、頂上の蓋を開けると真上の星が見通せる。狙いは年周視差の観測だった。地球が太陽の周りを回っているなら、半年違えば同じ星の見える方向がわずかにずれるはずで、それを捉えられれば地動説の直接証拠になる。土台部分には実験室も設けられた。
結果は失敗に終わる。市街地のただ中にあり、通行する馬車の振動で観測に必要な精度が出なかった。科学装置としての使用は短期間でやめている。それでも、螺旋階段の中心が空洞で、真上に抜けているのは当初の設計の名残である。
豆知識
- 頂上まで311段の螺旋階段。エレベーターは無い
- 上りきると登頂証明書がもらえる
- 台座の碑文には、大火をカトリック教徒の仕業とする一文が1681年に加えられた。教皇派陰謀事件(Popish Plot)の熱狂のさなかである。カトリック解放法のあと、1830年に削り取られた
場所とアクセス
ロンドン大火記念塔が出てくるコラム
このスポットにまつわる歴史や逸話を、1本ずつ掘り下げた読み物です。

連載「ロンドン大火物語」
ロンドン大火のあと、火災保険と消防隊が生まれた——「燃えた家の家賃を誰が払うか」だけを裁く法廷から 第3回
大火のあと、7万人が家を失った。しかも当時の借家契約では、燃えた家を建て直す義務は借主にあり、焼け跡にも家賃が発生した。この地獄のような法律問題を捌くためだけに特設法廷が作られ、そこから世界初の火災保険と、契約者の家だけを消して回る私設消防隊が生まれる。

連載「ロンドン大火物語」
ロンドン大火の「犯人」は無実だった——火事の2日後に入国したフランス人時計職人が絞首刑になるまで 第2回
1666年10月27日、ロベール・ユベールという名の若いフランス人がタイバーンで絞首刑になった。ロンドンを焼いた罪である。ただし彼は火事の二日後に入国していた。裁判長は国王に「この男は無実だと思う」と伝えていた。それでも彼は吊るされた。

連載「ロンドン大火物語」
ロンドン大火はなぜ止まらなかったか——1666年9月2日、「女の小便で消せる」と市長は言った 第1回
ロンドン大火は「パン屋の不注意」で片づけられがちだが、街を焼き尽くしたのは火そのものではなく、最初の数時間の判断だった。市長は現場を一瞥して寝室に戻り、その間に風が火を街ごと持ち上げた。九月の五日間を、時刻を追って再現する。

連載「クリストファー・レン物語」
ウェディングケーキの形はセント・ブライド教会の尖塔から生まれた——レンが石炭税で51の教会を建て直した話 第2回
1666年のロンドン大火で86の教区教会が焼け落ちた。国王直属の建築総監となったクリストファー・レンが引き受けたのは、そのうち51の教会を石炭税というユニークな財源で甦らせるという仕事だった。今日私たちが結婚式で食べる「あの形のケーキ」も、実はこの再建プロジェクトの副産物だったことをご存じだろうか。全3回連載の第2回。
みんなの口コミ
ロンドン大火記念塔を訪れた感想や、これから行く人に役立つコツがあれば教えてください。
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