love
ロンドンの店員やバスの運転手が口にする「love」は口説き文句じゃなく、ほぼ「お客さん」の意味。ただし誰が誰に言うかには地味に厳しいルールがあって、日本人男性が真似するとだいたい事故る。

ロンドンに来て最初の週、近所のコーナーショップで牛乳を買った。レジのおばちゃんがお釣りを渡しながら言う。「There you go, love. Ta!」
love。愛。30代独身男、その日は一日ちょっと機嫌がよかった。
翌日、同じおばちゃんが後ろに並んでいた作業着のおじさんにも「Ta, love」と言っているのを聞いた。その次の客にも言っていた。どうやら僕は選ばれたわけではなかったらしい。
大阪のおばちゃんの「お兄ちゃん」とだいたい同じ
店やバスで聞く「love」は、恋人を呼ぶ love とは別物だと思ったほうがいい。中身はほぼ「お客さん」「ちょっとあなた」。大阪のおばちゃんが初対面の相手を誰彼かまわず「お兄ちゃん」と呼ぶのに近い。兄弟じゃないことは全員わかっている。
よく聞く形はこのへん。
見知らぬ相手への気軽な呼びかけとしての love は、OEDで確認できる最古の用例が1865年。150年以上、イギリスのレジでは「愛」が小銭と一緒に手渡され続けている。
しかも呼び名は土地で変わる。
デヴォンで知らないおじさんに「my lover」と呼ばれても、やっぱり恋は始まらない。
受け取るのは自由、投げ返すのは要注意
この話を日本人の友人にしたら、翌朝さっそく実践していた。バスを降りるとき、運転手に「Cheers, love!」。相手は腕にタトゥーの入った大柄な男性で、ミラー越しに一瞬、確実に二度見されたらしい。
彼は単語を間違えていない。間違えたのは「誰が、誰に」のほうだ。
1990年代と2010年代のイギリス人の日常会話を集めたコーパス(BNC1994/BNC2014)を比べた2022年の論文によると、
肩身も狭くなっている。2012年にはブライトン&ホーヴ・バスが「love、darling、babe と呼ばれて不快に思う乗客もいる」と運転手に通達し、新聞に「love禁止令」と書き立てられた。
それに「イギリス人はフレンドリーだから誰にでも love」という説明、半分しか合っていない気がする。同じ論文によれば love は、「こっちの言うことを聞いてね」を愛想の包装紙で包む道具でもあるらしい。「Sorry, love, you can't park there.」。謝ってるし愛してるけど、言ってることは駐車禁止。人事面談の「期待してるからこそ言うんだけど」と同じ構造だ。
というわけで、love は受け取るだけにしておくのが平和。返すなら Cheers か Ta で十分だし、男同士なら mate でいい。