knackered
「I'm knackered」と言った瞬間、あなたは『動物農場』のボクサーと同じ車に乗っている
「knackered」はイギリスで一番よく聞く「くたくた」。でも語源の knacker は、働けなくなった馬を引き取って犬のエサと膠(にかわ)に変える商売だった。月曜の朝の軽い愚痴にしては、背負っているものが重すぎる。

画像: Thomas Rowlandson / Public domain, via Wikimedia Commons
ボクサーは、農場でいちばんの働き者の馬だった。口ぐせは「おれがもっと働けばいい」。定年の12歳まであと少し。引退したら牧場の隅で、まだ覚えていないアルファベットの残り22文字を勉強するつもりだった。
ある日、風車の工事現場で倒れる。豚たちは「立派な病院に送ってやる」と発表し、迎えの車がやって来た。車体の文字を読んだロバのベンジャミンが叫ぶ。
「Alfred Simmonds, Horse Slaughterer and Glue Boiler」——馬の屠殺、および膠煮(にかわに)業。
"They are taking Boxer to the knacker's!"
ジョージ・オーウェル『動物農場』(1945年)の、たぶん一番つらい場面。会社でいえば、定年直前に「関連会社でゆっくりしてもらうから」と言われて乗った社用車の横に「解体業」と書いてあったようなものだ。イギリスでは16歳で受ける義務教育修了資格GCSEの課題作品の一つで、学校で読まされた人も多い。
で、月曜朝のロンドンのオフィス。紅茶を片手に同僚が言う。「Morning. I'm absolutely knackered.」
彼はいま、自分をボクサーと同じ車に乗せた。本人に自覚はたぶんない。
knacker は「馬を2秒で終わらせる人」だった
捨てるところがない度合いでいえば、マグロの解体ショーより徹底している
knackered の元になった knacker は、老いた馬や病気の馬を引き取って処分する業者のこと。この意味での記録は1812年から。さらに遡ると16世紀には「馬具職人」を指していたらしく、馬まわりの世話を何でも請け負ううちに、最後の後始末まで担当するようになった——というのが有力な説の一つ。語源そのものは、正直よく分かっていない。
これが19世紀のロンドンでは巨大産業だった。1893年のルポ『The Horse World of London』によると、
- ハリソン・バーバー社1社だけで、ロンドンの馬を年に約2万6千頭処理
- ロンドン内外7か所の拠点に荷車が待機し、通報から5分以内に出動。ほぼ消防車
- 1頭を2秒で仕留め、30分ちょっとでバラバラに
バラしたあとも一切ムダがない。
- 肉 → 猫と犬のエサ
- ひづめ・足 → 膠(にかわ)
- 骨 → ボタンと肥料
- たてがみ・尻尾 → ソファの詰め物、釣り糸
- 蹄鉄 → 鍛冶屋が打ち直して再利用
ボクサーを迎えに来た車に書かれていた「Dealer in Hides and Bone-Meal. Kennels Supplied(皮・骨粉も扱います、犬舎に納品します)」は、この全工程のパンフレットだったわけだ。
そこから動詞の knacker が生まれる。1855年に「殺す・去勢する」、1883年には意味が弱まって「へとへとにさせる」。その過去分詞が knackered。日常語として広く出回るのは20世紀の後半らしい。つまり元のイメージは「疲れた」じゃない。「もう使い物にならないので、出荷されます」だ。
月曜の「knackered」は、ほぼ寝てない自慢
弱音じゃなくて、働いた証明書
「イギリス人は stiff upper lip、弱音を吐かない」。旅行ガイドにはだいたいそう書いてある。でもロンドンの月曜朝、オフィスで一番よく聞くのは「Good weekend?」「Yeah, lovely. Knackered though.」な気がする。弱音、普通に吐いている。
ただ中身は、愚痴というより報告に近い。IKEAの棚を6時間かけて組んだ、子どもの日曜サッカーで朝7時からピッチ脇に立ってた、ハーフマラソンを走った。日本の「昨日3時間しか寝てなくてさ」と同じで、要は「私はちゃんと働きました」の自己申告だ。そういう意味では、ボクサーの「おれがもっと働けばいい」の正統な子孫でもある。
使い方はこのへん。
- I'm knackered. — くたくた。tired より一段重く、exhausted よりくだけている
- cream crackered — 同じ意味の押韻スラング。甘くないクラッカーの名前で韻を踏んでいるだけ
- My knees are knackered. — 膝も洗濯機も knackered になる。体のパーツやモノに使うと「ガタがきた・壊れた」。中古自転車の出品に「a bit knackered」とあったら、それは「少しお疲れ」じゃなくて「ボロい」
地雷も2つある。
- knackers(複数形の名詞)は別物で、「金玉」。カスタネットのような鳴り物を指す方言から来たとされ、1837年にはもう使われている。語尾が変わるだけで話題が下に落ちる
- アイルランドでは knacker が人、特にアイリッシュ・トラベラーを侮辱する差別語として使われてきた。名詞で人を呼ぶのは絶対にやめておく
knackered 自体は上司の前で言っても平気な口語で、面接やメールだけ tired か exhausted に戻せばいい。疲れた日は遠慮なく使っていい。ただ、誰かに「いい病院に連れて行ってあげる」と言われたら、迎えの車の横っ腹だけは読んでおいたほうがいい。