Comcast傘下のSkyが、ITVの放送・配信部門を最大16億ポンドで買うことで合意しました。CMAとOfcomの審査はまだ始まったばかりですが、この取引で目を引くのは規制の行方よりも値札のほうです。72年前、BBCの独占を壊すために法律まで作って生まれた商業放送が、いま「巨大配信企業の独占に対抗するため」という同じ形の理屈で、アメリカ企業の傘下に入ろうとしています。
City A.M. 2026年7月24日の報道から
2026年7月6日、ITV plcが放送・配信部門(ITV1などのチャンネル群と配信サービスITVX)をSky UKに売却すると発表しました。対価は現金12億ポンドに、Sky傘下の制作会社Love Productions(『ブリティッシュ・ベイクオフ』の制作元、2億ポンド相当)を加え、さらに2027年度の広告収入の実績しだいで最大2億ポンドが上乗せされます。合計で最大16億ポンド。番組制作会社のITV Studiosは売らずITV plcに残り、完了予定は2027年後半です。
CMAは7月23日にケースを開設して意見を募集し、締切は8月6日でした。2026年9月1日の時点で、まだ正式なフェーズ1調査には入っていません。焦点は市場をどう区切るかにあります。テレビ広告市場という枠で見れば統合後のシェアは約70パーセント、YouTubeやMetaを含む広告市場全体で見れば約20パーセント。両社は後者こそ実態だと主張しています。Ofcomの審査も並行し、メディアの多元性を理由に文化相が介入する余地も残っています。
出典: Sky and ITV mount defence of £1.6bn merger as regulators probe deal (City A.M. 2026年7月24日)
1952年5月22日、貴族院。BBCを作った初代総裁リース卿は、商業放送の導入案についてこう述べました。「誰かがイングランドにキリスト教を持ち込み、誰かが天然痘と腺ペストと黒死病を持ち込んだ。そしていま、誰かがスポンサー放送を持ち込もうとしている」。並べる順番のほうに本音が出ています。反対派が恐れていたのは、要するにアメリカ化でした。
それでも1954年にテレビ法は成立し、1955年9月22日の夜8時12分、ロンドンで英国初のテレビCMが流れます。歯磨き粉でした。氷に埋めたGibbs SRを映す一分足らずの映像が、BBCの独占を終わらせた瞬間です。
制度の設計は慎重でした。免許は地域ごとに切り分けられ、1962年までに14社が全国を覆います。送信設備は公的機関が持ち、番組を作る会社には期限つきで免許を貸す。一社が全国の電波を握れないようにするための構造です。それでも、儲かりました。1957年に中部スコットランドの免許を取ったロイ・トムソンが残した一言が、この商売の性格をいまだに説明しきっています。紙幣を刷る許可証のようなものだ、と。
そこからの70年は、ひたすら箍を外していく歴史でした。1990年の放送法で統合が解禁され、14社は減り続け、2004年にカールトンとグラナダが合併してITV plcという一社になります。合併時、二社を合わせた時価総額は55億ポンドでした。
そして2026年、その会社から放送とITVXだけを切り出した値段が16億ポンドです。ITV plc全体でも、2026年6月時点の時価総額は約31億ポンド。紙幣を刷る許可証は、22年で桁を一つ落としたことになります。
ここからは私見です。
この取引で本当に見るべきなのは価格ではなく、対価の中身だと思います。ITVは現金と一緒に、Skyから『ベイクオフ』の制作会社を受け取る。放送免許を手放して、番組の版権を取る。自社の資産をどう値付けしたかが、これ以上ないほどはっきり出ています。買い手が記者会見で何を言うかより、売り手が何と交換したかのほうが雄弁です。規制当局が70パーセントか20パーセントかで揉めているあいだに、当事者はもう答えを出している。
そして皮肉なのは、賛成と反対の理由が同じ形をしていることです。1954年に商業放送へ反対した人々は、アメリカ化を恐れました。2026年にこの取引を擁護する人々は、アメリカの配信企業に対抗するためだと言います。72年かけて、同じ相手の名前が反対の根拠から賛成の根拠に移った。議論は一周してもとの位置に戻り、そして今度は本当にアメリカ資本が入ってきます。リース卿の喩えを借りるなら、黒死病を恐れて閉めた門を、いまは黒死病対策として開けているわけです。
最後に一つ、気になっている数字があります。SkyはITVの公共放送義務を2034年まで引き継ぐ一方で、ITV NewsとSky Newsは「少なくとも2030年まで」別々の編集主体でいくと約束しました。この四年のずれは偶然ではないでしょう。人は、守る自信のある範囲にだけ期限を書きます。1954年の制度も期限つきの免許でできていましたが、あのころは期限が切れたときに免許を取り上げる相手がいました。いまは、いません。
英国のいまを、もう一本。
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