cheeky
2015年、イギリス人は「cheeky Nando's ってどういう意味?」と聞いてきたアメリカ人に、全員でデタラメを教えて遊んだ。ひどい話だが、もっとひどいのは、あのデタラメの中身が半分くらい合っていたことだ。
2015年5月、Tumblrでアメリカ人が素朴に聞いた。「cheeky Nando's って何?」
イギリス人はそこで、親切に答えるという選択肢を全員で捨てた。返ってきたのは「mate it's hard to explain mate」から始まる、スラングをスラングで説明するという地獄みたいな文章。友人のあだ名が「The Bantersaurus Rex」で、そいつが「冗談の大司教」で、そこからナンドーズに行く流れがどうこう。説明する気がゼロなのは誰の目にも明らかだった。それが72時間で5万8千リブログされ、BuzzFeedもCosmopolitanも「アメリカ人が困惑している」と記事にした。国ぐるみの悪ふざけである。
で、笑い話として片付けたいところなんだけど、困ったことにあの語、本当に説明しづらい。しかも日本人が持っている「cheeky = 生意気な」という理解は、控えめに言って180年ほど古い。
同じ綴りで別の単語だと思ったほうがいい
まず古いほう。cheek は古英語の「顎」が語源で、そこから「頬」になり、さらに「厚かましさ」という意味に転がっていった。頬を突き出す仕草が図々しさの象徴だったんだと思う。形容詞 cheeky の初出はOEDによると1838年。意味は「生意気な、ずうずうしい」。学校で習うのはこっちだ。
問題は1989年。言語学者のBaileyとDurhamが2020年の論文で追跡したところ、この頃から cheeky がまったく別の意味を持ち始めている。150年経ってからの第二の人生である。
新しいほうの意味は、ざっくり言うと「本当はやっちゃいけないんだけど、まあいいよね」。
a cheeky pint — 仕事を抜け出して飲む一杯a cheeky takeaway — 自炊するつもりだったのにテイクアウトを頼む夜a cheeky Nando's — 飲んだあとの流れで寄るチキン屋見分け方は簡単で、古い意味は人間か擬人化された動物にしか付かない。cheeky monkey は生意気なガキ。一方 cheeky pint のビールは生意気ではない。生意気なのは、それを飲もうとしているあなたのほうだ。
中学で最初に習った冠詞が、ここで牙を剥く
この新しい cheeky は、見た目のゆるさに反して文法がやたら厳しい。前述の論文が挙げている制約が、けっこう怖い。
a cheeky pint は成立する。the cheeky pint にした瞬間、意味が1838年に戻る。定冠詞を付けると「例の生意気なビール」になってしまう。中学で一番最初に習う a と the が、ここで最後の刺客として現れるa cheeky little pint はOK。a cheeky naughty pint はダメ。同伴を許されているのは little だけという謎の狭さa couple of cheekies で通じるそして最大の制約がこれ。a cheeky salad とは言えない。a cheeky glass of water も無理。体にいいことには使えないのだ。
つまり cheeky は対象を褒めているわけじゃなくて、話し手の後ろめたさを測っている。何を cheeky と呼ぶかで、その人の罪悪感の位置が全部バレる。午後3時にコンビニで高いアイスを買って「今日は頑張ったから」と自分に言い聞かせるあの声、あれの英語版だと思えばいい。誰も責めていないのに勝手に言い訳しているという点まで含めて同じである。
ちなみに受容度を調べると、イギリス・アイルランドが5点満点中4.6に対して北米は2.8。45歳以上のアメリカ人にはほぼ通じない。イギリス発の言葉がアメリカに輸出されている、かなり珍しい事例だ。普段は逆の一方通行なので、あの夏イギリス人がやたらはしゃいでいたのも、まあ分からなくはない。