pissed
アメリカ英語では「激怒」、イギリス英語では「泥酔」。同じ一語で意味がほぼ真逆に振れる、たぶん英語で一番タチの悪い地雷です。しかも先に生まれたのは「泥酔」のほう。

月曜の朝、オフィスのキッチンで同僚が笑いながら「I was so pissed on Saturday」と言う。周りもゲラゲラ笑っている。そこで日本人の私だけが、眉を下げて「何かあったの?」みたいな顔をしていた。土曜日にそんなに嫌なことがあったのか、と本気で心配していたのだ。実際には彼はただベロベロに酔っ払っただけだった。心配された本人が一番きょとんとしていた。
アメリカ英語で覚えた単語の、一番危ない一個
結論から言う。イギリスで pissed と言われたら、まず酔っ払っていると思ったほうがいい。
日本人が英語を習うとき、教材はだいたいアメリカ英語ベースだ。だから pissed = 「ムカついてる」で頭に入っている人が多い。ところがドーバー海峡を渡ると、この単語の第一の意味は「泥酔」に切り替わる。Collins も Merriam-Webster も、はっきり英米で語義を分けて書いている。
地味に効いてくるのが、この誤読がバレにくいことだ。「怒ってた」も「酔ってた」も、週末の話としてはどちらもあり得てしまう。だから聞き手は間違えたまま相槌を打ち、会話は表面上ちゃんと流れる。そして数週間後、まったく違う話を記憶していたことに気づく。
I was pissed last night. → 昨夜ベロベロだった(英)I was pissed off last night. → 昨夜ムカついてた(英米共通)Piss off! → 消えろ / あっち行け(英)off があるかないか、それだけ。前置詞ひとつで泥酔と激怒と罵倒に飛ぶ。日本人が句動詞を苦手とする理由が、この一語に全部詰まっている気がする。
後から来た「怒り」が世界を制圧した下剋上
ここで一個だけ賢くなって帰ってほしい。先に生まれたのは「酔っ払い」のほうだ。
語源辞典の Etymonline によれば、「drunk」の意味の pissed は1929年。一説には1810年まで遡るという話もある。対して「angry」の意味が記録されるのは1946年で、しかも第二次大戦中のアメリカ軍のスラング piss off から派生したものとされる。
つまり構図はこうだ。英語圏で長く「酔っ払い」として通用していた単語に、戦後、アメリカ発の「怒り」という新参者が乗ってきて、そのまま世界標準の座を持っていった。日本の英語教育に入ってきたのも当然そっち。イギリスからすれば、自分ちの言葉が海外留学から帰ってきたら性格が変わっていたようなものだと思う。
ちなみに piss は語族が異様に広い。
on the piss — 飲み歩いているa piss-up — 飲み会(パーティー)taking the piss — からかう / ふざけてるpiss-poor — お粗末きわまりない(1946年頃から)英語圏の口語で、一つの下品な語がここまで働かされている例もなかなかない。ちなみに piss-poor には「昔の貧しい家は尿を売って生計を立てていた」という壮大な由来話がネットに転がっているが、あれはほぼ確実にデマらしい。よくできた話ほど疑ったほうがいい、というのはイギリス英語の語源全般に言えることだと思う。