faff
「a bit of a faff」は「ちょっと面倒」じゃない。文句の顔をしているのに文句にならない、日本語に存在しない機能を持った一語。これを持たずに不満を言うと、あなたの話は毎回3分長くて2倍重い。
ビザの更新でやらかした手続きの話を、パブで友人に説明していたときのこと。窓口が二つに分かれていて、片方で言われた通りに書類を出したら、それはこっちじゃないと言われて、また予約を取り直して——と、たぶん3分くらい喋った。相手はビールを一口飲んで、こう言った。「Yeah, that's a faff.」
3分が、5音節になった。しかも全部伝わっている。悔しいのは、その一語のほうが自分の3分より正確だったことだと思う。
a bit of a faff / faff about / can't be faffed
辞書を引くと「無駄に時間を使う」「まごつく」と出てくる。間違ってはいないけど、それだと半分も掴めていない気がする。
実際の使われ方はだいたい三つ。
で、ここが本題。日本語で同じことを言おうとすると「面倒」「手間がかかる」「まだるっこしい」あたりになるんだけど、これ全部言った人の機嫌が悪そうに聞こえる。愚痴になってしまう。
faff は愚痴にならない。「制度がちょっとバカなんだよね」という事実の共有として着地して、聞いた側は「だよね」と返せばそれで会話が終わる。文句を言っているのに誰も責めていない。イギリス人が礼儀正しいというより、責めずに不満を言うための語彙を発明しただけなんじゃないかと思う。
ヨークシャーの方言が、全国区になるまで200年
語源がかなり良い。18世紀末のスコットランドと北イングランドの方言で、faff は風がふっと puff で吹くことを指していたらしい。擬音語だという説が有力で、たしかに口に出すと「ファッ」としか言っていない。
1868年の北ヨークシャーの語彙集に、その用例の説明が残っている。手のひらに載せた麦からもみ殻を吹き飛ばすとき。煙突から煙がふっと押し戻ってくるとき。あの、ひと吹きでは片付かない感じ。
近縁の方言語も候補に挙がっていて、16世紀からある faffle(どもる、そよそよ揺れる)や、maffle(どもる、ぐずぐずする)あたりからの変化だという説もある。どれも決定打ではないので「諸説あり」なんだけど、共通しているのが「一発で決まらない」というニュアンスなのが気持ちいい。風も、どもりも、手続きも、要は一回で済まない。
そして面白いのがここから。「無駄に手間取る」の現代的な意味は19世紀末には育っていたのに、印刷物で普通に見かけるようになるのは1980年代だという。100年近く、書かれずに喋られ続けていたことになる。教科書に載っていないのも当然で、この語はずっと口の中だけで生きてきた。
ちなみに北イングランドには in a faff(あたふたしている)という言い方も残っている。ディナーパーティー前に台所で慌てている人の状態、と説明されると、もう完全に情景が見える。