Cleopatra: the Mummy of a Young Woman
不明, 紀元前後頃
大英博物館 Room 62

名前はクレオパトラ。しかし、あの女王ではありません。
古代エジプトのギリシャ系住民のあいだで、クレオパトラはごくありふれた女性の名前でした。日本でいえば「花子」のようなものです。有名なプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世は、その名を持つ7人目。この若い女性は、まったくの別人です。テーベ出身のソテル家という一族の女性で、紀元後2世紀ごろに亡くなりました。
まず、外側の覆いを見てください。 全身を包む布の表面に、亡くなった彼女自身の姿が描かれています。エジプト風の装いで、来世の神々に囲まれている。布に描かれた本人という点が、この時代の特徴です。
次に、包み方に注目を。 布は幾重にも巻かれ、表面には幾何学的な菱形模様が組まれています。これは単に巻いただけではなく、色の違う細い帯を交差させて編み上げたもので、当時の包帯技術の最も凝った例の一つです。死者を美しく仕上げること自体が、送り出す側の務めでした。
副葬品も見てください。 棺の中には櫛と、ビーズの首飾りが納められていました。神々の像でも護符でもなく、日用品です。生前に使っていた持ち物を持たせている——この素朴さが、かえって胸に来ます。
そして、ここからが現代の技術の出番です。 彼女は一度も包帯を解かれていません。 19世紀から20世紀初頭にかけて、博物館はミイラを解くのが普通でしたが、それは遺体を破壊する行為でもありました。現在はX線とCTスキャンで、包んだまま中身を調べます。
分かったこと:
17歳です。 死因は特定されていません。良い家柄に生まれ、健康に育ち、丁寧に葬られた少女が、2000年後にスキャナーの中で年齢を言い当てられている。
包帯を解かないという選択そのものが、この展示の見どころでもあります。中身を暴かずに知る技術が、彼女をそのままの姿で保っています。