The Tower of Babel
不明, 紀元前600-400年頃
大英博物館 Room 55

聖書の伝説だと思われていた塔の、設計図が出てきました。
展示されているのは、手のひらに載るほどの粘土板です。地味です。しかしこれは、旧約聖書のバベルの塔に実在のモデルがあったことを示す一次資料です。
まず、粘土板の下部を見てください。 線で描かれた図形があります。階段状の建造物の立面図——七層に積み上がった、ジッグラト(聖塔)の外形です。上には神殿が載っている。紀元前6世紀の建築図面が、そのまま残っています。
次に、上部の楔形文字を見てください。 ここには各層の寸法が記されています。何段目が縦横何キュビト、高さ何キュビト、という数値の羅列です。基底部は一辺およそ90メートル、高さもおよそ90メートルと読み取れる。30階建てのビルに相当する高さの、正方形の塔が、平坦なメソポタミアの沖積平野にそびえていたことになります。
この建物の名前は「エテメナンキ」。 「天と地の基(もとい)の家」という意味です。バビロンの主神マルドゥクに捧げられ、新バビロニアの王ネブカドネザル2世(紀元前6世紀)によって大規模に再建されました。粘土板はその再建にまつわる記録と考えられています。
そして、聖書との関係。 創世記11章にはこうあります——大洪水の後、人類は同じ言葉を話していた。人々は「天まで届く塔を建て、我々の名を上げよう」と考え、煉瓦を焼いて積み上げ始めた。神はそれを傲慢と見て、人々の言葉を乱し、互いに通じなくさせ、人々は各地へ散っていった。
ユダヤの民はバビロン捕囚によって実際にこの都市へ強制移住させられ、そこで巨大なジッグラトを目にしています。征服者の都にそびえる、天を衝く塔。 さまざまな言語を話す各地の民が集められ、その労役に従事させられていた。バベルの物語は、この光景から生まれたと考えるのが通説です。「バベル」はヘブライ語の「バラル(混乱させる)」との語呂合わせですが、地名としてはそのまま「バビロン」です。
塔は現存しません。 紀元前4世紀にアレクサンドロス大王が再建を試みましたが、瓦礫の撤去だけで頓挫し、その死とともに計画は消えました。今のイラクに残るのは、水を張った窪地と基礎の輪郭だけです。
神話の側にあったはずのものが、寸法を持って戻ってきた——この粘土板の面白さは、そこにあります。