Nereid Monument
ネレイド記念碑
作者不詳, 紀元前390〜380年頃
大英博物館 Room 17

作品の概要
神殿に見えますが、これはお墓です。 一人の男のために、丸ごと一棟のギリシャ神殿が建てられました。
まず、全体を見上げてください。 イオニア式の細い円柱が並び、その上に屋根が載る——アテネのアクロポリスに建っていてもおかしくない外観です。ところがこれはギリシャではなく、リュキア(現在のトルコ南西部)で、紀元前390〜380年頃に建てられた王墓です。
次に、柱と柱の間を見てください。 女性の立像が配されています。ネレイド——ギリシャ神話の海の精霊たちです。この記念碑の通称の由来になっています。
彼女たちの衣を見てください。 薄い布が身体に貼りつき、脚の輪郭が透けて、裾は後ろへ流れている。風を受けて前進している姿です。石でありながら、動きと速度が刻まれている。海の精を配することで、この墓は海に面した地の支配者のものであることを示していたと考えられます。
そして、基壇のフリーズ(帯状の浮彫)を追ってください。 ここに物語があります。戦闘の場面、城市を包囲する場面、降伏する者、連行される捕虜、そして饗宴。被葬者の生涯の業績が、絵巻のように連続して彫られているのです。
被葬者は誰か。 西リュキアを治めた支配者アービナスと考えられています。彼はギリシャ人ではありません。当時のリュキアはアケメネス朝ペルシア帝国の支配下にあり、彼はペルシアの承認のもとで統治する地方領主でした。
ここが、この記念碑の最も面白い点です。 フリーズの中には、アービナス自身がペルシア風の衣装で描かれた場面があります。つまり彼は——
- 墓の外観はギリシャ神殿を選び
- 墓を飾る神々はギリシャ神話から取り
- 自分の服装はペルシア風で描かせ
- 統治していたのはリュキア人の土地
三つの文化を同時に着こなしている。 大国のはざまで、どの権威も否定せずに全部使う。地方支配者の生き残り戦略が、建築そのものとして立っています。
発見の経緯。 この墓は古代都市クサントスに建ち、ビザンティン時代まで残っていましたが、やがて地震などで崩壊しました。19世紀初頭にチャールズ・フェローズが瓦礫の中から発見し、断片をイギリスへ運搬。大英博物館が正面部分を組み上げ直して展示しています。今見ているのは、瓦礫から再構成された姿です。
ここがポイント
- 神殿に見えるが一人の男のための墓。紀元前4世紀のリュキア(現トルコ南西部)に建てられた
- 柱間に立つ海の精ネレイドは、薄い衣が身体に貼りつき裾が流れる——風を受けて前進する姿
- 基壇のフリーズには戦闘・包囲・捕虜・饗宴と、被葬者の生涯が絵巻のように連続する
- 外観はギリシャ神殿、自分の衣装はペルシア風、統治するのはリュキア。三文化を同時に着こなす戦略
- 地震などで崩壊した瓦礫を19世紀に発見・搬出し、正面部分を組み上げ直した姿を展示している